冬茜・Ⅱ
文字数 3,642文字
「いや、こちらこそごめん」
ヤンは気を取り直して謝った。
部族の定石(セオリー)なんて千差万別だ。
ルウの所は異性との接触に厳しいんだろう。
そういえばルウは、険しい岩場で手を差しのべられても、助けを借りずに一人で頑張って登っていたっけ。
「ち、ちが……ヤンを嫌いなんじゃなくて、これは、えっと……」
「分かってるよ、気にしていないから」
「いや、ちゃんと、話す」
ルウは膝に手を置いて畏(かしこ)まった。
「西風の妖精の子供は、手を握って、心をやり取り出来るんだ」
「ぇ……ええ?」
予想外の事を言われて驚くヤンに、ルウは急いで続きを説明する。
「勿論そんなに簡単には出来ない。お互い合意して集中して、それでやっと視えて来るレベル。勝手に他人の心を覗く力なんて無いから、安心して」
「う、うん……分かった」
それで、安易にヒトの手を握らない習慣が付いていたらしい。
確かにそれは、部族外の者には言いにくいよな。
「でもさ、ルウはそんな能力使わなくても、こまめにヒトの気持ちを思いやっているじゃない。そっちの方が凄いよ」
ルウシェルは面映ゆい顔で、んん、と言って俯いた。
「さっきだってフウヤが嫌がったらすぐにお姉さんの話を止めたでしょ。ああいうのって、大人でも出来ないヒトいるもの」
俯いたままルウは、自分の右手を見つめる。
「そういうの、ソラに煩く言われていた」
「あの錫杖(しゃくじょう)のヒト?」
青銀の髪と動かない表情が金属的で、もう一人の西風の青年シドと違って、近寄りがたい印象だった。
「ソラは西風の中でも特別なんだ」
大人になったら薄まる筈の精神感応の力が、成長につれて、逆に強くなって行ったらしい。
しまいには手を握らなくても他人の心の声がガンガン入って、往生したとか。
「そ、それって大変なんじゃ」
「うん、でも、その時に付いていたお師匠さんの助けで、耳を閉じていられるようになったんだって。今では西風一……ううん、砂漠一の術者だ」
「おおぅ」
ミミズを鎮めたのからして只者ではない感が漂っていたが、何か凄いヒトだったんだ。
そのソラのお師匠さんは、蒼の妖精だという。
それもあってルウは蒼の里に憧れを抱いたのだが、彼女が興味を持ち始めると、彼は蒼の里の話をしてくれなくなった。
「けど、シドが言うには、ソラは滅茶苦茶そのヒトに傾倒していて、恰好から真似をしているって」
「形から入るって奴か」
意外と可愛い所を知って、ヤンは、金属みたいなソラにちょっとだけ親しみが湧いた。
「だからさ、蒼の里に行ったら、ソラみたく髪に鋏を入れていなくて、年がら年中ローブ姿の術者を探すんだ」
「ルウもそのヒトの弟子になりたいんだ?」
「何で分かる? ヤン、もしかして西風の血が入ってる?」
「いや分かるでしょ」
気が付いたら、無理をせずとも自然と雑談出来ていた。
シドとソラは、ルウシェルの母である西風の長モエギの従者で、その時々に応じて命じられた仕事に着いているとの事。
今は、シドは子供達の教育者、ソラは外交で外を飛び回る事が多いが、開いた時間はルウの家庭教師をしている。
「勉強だけ教えてくれればいいのに、立ち居振舞いとか、口を開けばヒトの心に気を付けろ、気を付けろって、ホントもう煩くて」
「良いセンセだね」
「ヤンはすぐにそう思えるんだ」
ルウはまた自分の右手に目を落とした。
「他人の心に気を付けろって言って置いて、自分を保て、心は配っても支配されるなとか、禅問答みたいなのが始まってさ。ワケ分かんなくていつもイライラする。でもヤンなら分かる?」
ヤンは一本目の薪が燃え尽きるのにも気をやらないで、じっと考えてから口を開いた。
「……そのソラさんって、他人の心が聞こえ過ぎて苦労して来たんだろうね。きっとルウには、そんな能力あっても無くても、跳ね飛ばして強く生きて行けるヒトになって欲しいんじゃないかな。だってルウ、まだ子供じゃん。これからどんな能力が伸びるか分からない訳で」
ルウは見つめていた右手首を、左手で強く握った。
「……馬鹿だ、私」
「ルウ?」
「家出する前の晩……癇癪を起こして、突き飛ばしちゃったんだ。触れただけで心を読めちゃうから、普段誰とも距離を取っているヒトなのに」
「…………」
「ちっちゃい奴だ、私。我が儘で考えなしで。ヤン達にこんなに良くして貰う価値なんか、私には無かったのに」
「ルウ……」
真っ暗で不安な夜、いきなりそれまでの自分の悪い所だけが思い出されて、落ち込んでしまう……分かる、どういう仕組みか知らないけれど、何かそうなっちゃうんだよな。
ヤンはそっと腰を浮かせた。
いつもはフウヤに頼りたい所だが、ここには自分しかいない。
だから……
「ヤ、ヤン!?」
自分の右手に掛けられたハイランダーの少年の長い指を、ルウは慌てて離そうとした。
でも少年は逃げるその手を追い掛け、更に強く握る。
「口でどんなにそうじゃないって言っても、ルウは自分を慰める為の嘘だと思うだろ? だったら僕の心のまん真中まで、覗きに来ればいい」
「…………」
「ね、僕は口下手だから。よく考えたら便利だな、これ」
少年は頑として、握った手を離さない。いつも控え目そうなのに、こんな強引な一面があったなんて。ルウシェルは色々言い訳していたが、彼の頑固さに押し切られた。
「……幹ではない、枝葉が視えちゃう事だってあるんだぞ」
「視られて困る事なんて無いもの」
唯一隠しているとしたら、あのアケビの谷でシドに会った出来事だけれど、あれも、視られたら視られたで構わない。
ルウは観念したように指を握り返し、目を閉じた。
それから口の中だけで何か唱えて、微動だにしなくなった。
ヤンはなるべく、楽しい幸福な事を思い浮かべようとした。
真っ直ぐで真っ白で、いつも一所懸命なルウ。
彼女との出逢いが自分にとってどんなに素敵だったかを伝えたい。
そう、さっきの口琴の場面にしよう。
何気ない一時だったけれど、凄く幸せだったんだ……
・・・・・・
「……フウヤとシンリィが、口琴を弾いている。さっきの奴だね……楽しい、明るい気持ち」
凄いな、ルウ。本当に視えるんだ。
「二人ともピョンピョン跳ねて……ふふ、ヤンと私も立ち上がって手を叩いて、みんな焚き火のオレンジに照らされて」
「うん、暖かかったね」
「うん、暖かい・・・・いや、これ、焚き火じゃない?」
「んん?」
「これは……暖炉?」
ヤンは首を捻って正面のルウを見た。
彼女は手をしっかり握ったまま目を閉じて、視えている風景に入り込んでいる。
・・・・・・
「指笛が聞こえる。ヤンと違うのかな、スゴい下手くそ。あ、やっぱりヤンだ……けど……小さい」
「??」
「跳ねている二つの影。フウヤ達じゃない、もっともっと小さい。足元もおぼつかない二人の子供が、お囃子のような声を上げて。小さいヤンの指笛と合わせている。…………扉が開いた、大人の女のヒトが入って来る、赤い服に前掛けのお腹が大きくて、えっちらおっちらと。三人の子供が駆け寄って支えて、またお囃子を唄って……ああ、皆笑っている、本当に幸福そう」
・・・・・・
焚き火のパチパチという音が戻って、ルウはゆっくり目を開く。
「だから、枝葉が視えてしまう事もあるって言ったじゃないか」
手を離して自分の袖口で、正面の少年の目の端を拭う。
「……凄いね、ルウは」
ヤンはまだ茫然としている。
「いつもいつもやる訳じゃないからな、何度も言うけれど」
「うん」
「……ヤンの家族?」
「うん、母さんと二人の弟。あと、性別が分からなかったけれど、もう一人加わる予定だった」
「…………」
「僕がやっと指笛の音を出せるようになって。父さんに比べたら全然下手くそだったけれど。母さんに聞かせてびっくりさせようって、ティコとビィと練習をしたんだ。……あの日、父さんが亡くなって以来久し振りに、母さんが笑ってくれた」
「…………」
「本当に、ルウは凄いね」
二本目の薪が投入され、ルウは温めたお茶をヤンに渡した。
「さっきの口琴で、昔の事を思い出したのか?」
「うん、ティコもビィも生きていたら、こんな毎日だったのかなぁとか。……亡くなった者と重ね合わせてしまって、申し訳ないけれど」
「そんな事ない」
もうあんな幸福、訪れる事は無いと思っていた。
黒い病に全部持って行かれて、掘り起こすと母さんが壊れるから、自分も心の奥底に封印していた。
でもフウヤが来てくれて、シンリィと出逢って、ルウと旅をして、こんな風に昔の幸福を思い出せている。
「こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。本当に……感謝しかない」
ルウはまた面映ゆい顔になって、神妙にお茶をすすった。
ヤンも、柄にもなく饒舌な自分に、今更照れて俯いた。
またパチパチと焚き火のはぜる音。
「私も」
「んん?」
「私も、いつかヤンの故郷に行ってみたい」
「ああ、ルウに見せたい景色が一杯ある」
二人は焚き火のオレンジに照らされて、心からの笑顔になった。
(ログインが必要です)