緋の羽根・Ⅳ
文字数 2,696文字
不意に空気が震えた。
ルウシェルの胸の羽根が、小さく震えている。
一拍置いて
ユゥジーンの翡翠の欠片が
ヤンの片割れの羽根が
リリのお守り袋が
そしてフウヤの半月の石が
今、一斉に
共鳴するように
震え出した。
***
――パアァァァ――ン
天井の氷が割れて、光の帯が差した。
見上げて五人は顔を輝かせる。
砕けた氷がダイヤモンドダストのように舞い、白蓬(しろよもぎ)の馬がゆっくりゆっくり降りて来る。
逆光の中、馬上に花が開くように羽根が広がる。
「天翔馬(てんま)みたい」
リリがぽつりと呟いた。
波紋の穴は、天井が割れたと同時に消え失せ、行き場を失った銀の羽根達は霧散している。
緋色の羽根が、馬からフサリと飛び降りた。
バサバサで野放図で不揃いで……でもどんな羽根よりも美しく見える、千切(ちぎ)っては分け与えて来た羽根。
その羽根の持ち主を、五人は両手を伸ばして受け止めた。
無防備にほけらっと見開いた、真ん丸な瞳。
皆には分かっていた。それは自分達を信頼しきった究極の表情だって事を。
「しんりぃっ」
「シンリィ!」
「シンリーィ!」
「シンリィ……」
「おかえり、シンリィ」
そうして六人が手を取り合って、心を繋いだその真下は、チラチラ瞬く太陽の標だった。
――これは、いらない――
皆の心が一斉に唱えた。
――ピシッ
切り裂くような高音と共に、標が真っ二つに割れた。
《 な・に・・? 》
石像にしたら、一瞬の出来事だった。
彼は、子供達が言葉を要しないのを知らなかったのだ。
亀裂の入った所から翡翠色の光が滝のように立ち上った。
《 何をぉぉぉ・・!!! 》
空中の銀の羽根達は光の中に溶け失せる。
床が割れて盛り上がり、太陽の標は音を立てて粉々に吹っ飛んだ。
六人も外側にひっくり返った。
破壊は標だけに留まらず、そこから放射状にヒビが走り、壁を昇り天井に達した。
地鳴りが響く。
細かい震動がだんだんに大きくなる。
《 ああああ! 何て事をぉぉ! 》
六人はそれぞれを助け起こしながら、唖然と周囲を眺めた。
もしかして……もしかしなくても、自分達がやった事?
今の言霊で、部屋を縛っていた時間の枷が、一気に解除されたのだ。
柱もレリーフも、みるみる風化してボロボロと崩れて行く。
石像の羽根にも無数の亀裂が駆け上がる。
《 な、何をしたのか、分かっているのだろうな! 》
「分かんない、何?」
フウヤが大真面目に聞いた。
《 愚か者! 偉大な……偉大な風の民の始祖の遺産を…… 》
石像は全身にヒビが入り、声を発する度に重そうな翼が崩れて行く。
「神さまになんかちっとも近くないじゃん。自分達で作った仕掛けが壊れちゃったらおしまいなんて」
風の子孫でもないフウヤは遠慮無しだ。
《 この、無知で無価値な凡民が…… 》
「そんな事…… そんな事を言っているからこんな事になってしまうんだ…… 」
ルウシェルが噛み締めるように呟いた。
他者を見下げ、頑なな考えにしがみ付いて滅ぶのは、けして他人事ではない。
西風だって、蒼の里からの介入がなければ、同様の道を辿っていたかもしれないのだ。
石像の羽根はもう形骸も無い。残った首に音を立てて亀裂が入る。
崩れる・・!!
皆が後退りする中、シンリィが一人、ほてほてと進み出た。
「シンリィ、危ない!」
「シン……! ……」
深いはなだ色の瞳でじっと見上げて子供は、緋の羽根を広げて両手で掴み、翼ごと上に差し出した。
《 なんの、つもり、だ・・・・ 》
「羽根を、くれてやるって……」
ユゥジーンが半ば呆然としながら言った。
シンリィには、敵も味方も、良いも悪いも、何も無い。ただ与えるだけ。
皆静かに引き返して、羽根の子供の両側に立った。
「受けとれば?」
フウヤが斜に構えて見上げる。
「こいつ執念深いから、受け取るまで差し出し続けるよ」
「あの、草の根の民ですら、間違ったらやり直すんです」
ヤンが遠慮がちに言った。
《 こんな事で我が意志を違えるとでも思うのか。神殿に封印されていた年月はそれほど軽い物ではない 》
「いいです、それで。硬骨な大人と突っ走る子供がいて世の中上手く回るんだって、俺の剣の師匠が言っていました」
ユゥジーンが言うのに、
「あっ、あたしのシショーもそんな事言ってた」
とリリが被せた。
「宜しいかと」
ルウシェルが燃えるオレンジの瞳で見上げる。
「ご老人は鉄石のように堅固でいらっしゃる方が、張り合い甲斐がある」
六人のそれぞれの瞳が、石像を真っ直ぐに見上げる。
石の作り物の筈の顔が、表情を緩めたように見えた。
《 ・・片羽根だけ、貰って行こう 》
「え?」
いきなり石像から、例のスポットライトのような光が伸びて、シンリィを包んだ。
強い輝きの中、緋い羽毛が散らばるのが見えた。
《地上に羽根を遺して置く。そなたらが今の考えを違えた時、我はいつでも戻って来よう・・ 》
次の瞬間轟音が響き、石像の首が割れて前方に崩れ落ちた。
「わああっ!」
落ちる瓦礫から逃れながら、皆、折れた首から銀の渦が飛び出し、散った羽根を吸い込んで、中天高く飛び去るのを見た。
中身が抜けると支えていた物が失せたように、石像は肩から一気に液状崩壊した。
・・・・
・・・・
「ひっでえぇ。崩れるなら崩れるって言ってくれればいいだろ」
ユゥジーンが砂礫の中から立ち上った。
身体の下にルウシェルを庇っている。
「最後まで己を突き進むご老人だったな」
そのルウの下にはシンリィが庇われていた。
二人で引っ張り出したシンリィは、右の羽根が無くなり、肩甲骨の上が火傷みたいに引き吊れている。
「シンリィ大丈夫? 生きてる?」
「うわぁ、痛そう……」
砂を払いながらヤンが身を起こし、その下にはフウヤが庇われている。
シンリィは自力で立ち上がったが、背負っていた物が片方無くなったんだ。真っ直ぐに立てないでフラフラしている。
「両方持って行ってくれてもよかったのにな」
フウヤが呑気に言ったが、ユゥジーンとルウシェルは口をキュッと結んでいる。
羽根に命を救われたシンリィが、両羽根失くすとどうなるか、そんなの誰にも分からない。
有翼人がそれを慮(おもんはか)ってくれたのかは定かでない。
「あぁ―― あたしの事もちょっとは心配してぇ」
髪をぐしゃぐしゃにしたリリが、壁沿いまで流れた砂礫の中からズボッと頭を出した。
一番素早く逃げた筈が、結局砂に押しやられて壁際で一番被害を受けたのだ。
「ああ、何か、リリは空が落っこちて来ても大丈夫な気がして」
フウヤが言ってリリが瓦礫を投げ付け、皆笑った。
(ログインが必要です)