薄暮の唄・Ⅱ

文字数 3,716文字

 
  


 馬を置いて、声のする方に分け入ると、小広場に出た。
 薄暮の淡い明るさの中、倒木の枝の高い所に、一人の女の子が腰掛けている。

 細い声の唄だった。
 不思議な、のったりとした、末尾が唄いっ放しな旋律。
 女の子の首には山吹色の御守り袋が掛かり、中身の緋(あか)い羽根が、お手玉みたいに玩(もてあそ)ばれている。

「あっ、それ、俺の……!」
 思わず叫んで進み出るユゥジーンに、女の子はキッと振り向いた。
 七つ位の、顔立ちの整った子だ。紫のたっぷりした前髪と服装から、風露の子供だと思われる。

「あの、それ、俺の落とし物なんだ。その羽根、なくさないで」
 ユゥジーンはそわそわと走り寄った。
 女の子は羽根を袋にしまって封を閉じ、枝から飛び降りた。

「えと、拾ってくれてありがとう」
 出された手を横目で見て女の子は、御守りを首に掛けたまま、ツイと後ろを向いてしまった。
「これほしい。ちょうだい」

「えっ、駄目だよ」
「どぉして?」
「大切な物なんだ。あっ、その山吹色の袋が気に入ったの? じゃあ中身だけ返してくれればいいから」
「イヤ! このあかいのが入っていないと」
「…………」

 困った、この御守りでなければこんなに困らないのだが。

 女の子は、真剣な顔で黙ってしまった綺麗な髪色の少年を、じぃっと見上げた。
「じゃあ、おねがいきいてくれたら、かえしてあげる」

「お願い? ああいいよ、俺に出来る事かい」
 ユゥジーンはホッと頷(うなず)いた。
 年端も行かない子供の願い事だ。せいぜい草の馬に乗せてくれとかだろう。

「う――ん」
 勿体ぶって袋をいじりながら、女の子は倒木の幹に腰掛けた。
 ユゥジーンも並んで座った。
 取り敢えずこの子供のペースに合わせよう。

「あたし、リリ」
「ああ、俺はユゥジーン」
「ゆぅじん……くさのウマにのってた。あおのよーせいさんでしょ?」
「うん、そうだよ」
「あたしのとぉさまも、あおのよーせい。なーが・らくしゃってなまえ。しってる?」

 ユゥジーンはしゃっくりしたみたいに息を呑み込んだ。
 知ってるも何も……
 じゃあこの子が、ナーガ様の大切な後継者?

 リリはビイドロみたいな紫の瞳を見開いて、絶句しているユゥジーンを覗き込んだ。
「チエをかしてほしいの」

「知恵?」

「ん、あおのよーせいさんなら、あたしより、いろんなコト、しっていそうだから、よいチエがあるかな、とおもって」
「そうか、うん、分かった。どんな事だい?」

 リリは、胸の御守り袋を人質みたいに押さえながら、思い切ったように喋った。
「あたしが、あおのさとへ、いかなくてもいいほうほうを、かんがえてほしいの」
「えっ?」
「あたし、このまま、ここにのこって、ガッキつくりの、ショクニンになるの」

「えっ、ええ――っ!?」
 ユゥジーンは叫んで、思わず立ち上がった。

「そんなにオドロク? あんたがそんなにオドロクんじゃ、とぉさまには、とてもいえないね」

「…………」
 解らない。
 蒼の妖精として大空を自由に飛び回れる身の上なのに、外の者と話す事もままならず、一生霧の塔で暮らす職人の道を選ぶっていうのか?

「えと、リリ、えーと…… 君、蒼の里へ来た事もないじゃない。もっと色々と体験してから将来を決めても遅くないんじゃないかな? だって里では皆、君の事を待っているんだよ。大歓迎なんだよ」

 少年が一所懸命喋る程に女の子は俯(うつむ)いて行ったが、言い終わった瞬間キッと顔を上げた。
「あたしの事を何にも知らない、会った事も無いヒト逹が、どうやってあたしを歓迎するの!?」

 少年はビビった。
 女の子の目からそれまでの幼さが消え、理知的な光をギラギラと放っている。

「あたしを知ろうともしないヒト逹に歓迎されても、何にも嬉しくない!」
 リリはイライラした様子で立ち上がった。
「もういい!!」

 乱暴に外された御守り袋が、斜面の繁みに投げ付けられた。

「あっ! 何すんだ!」

「ゆぅじん、嫌い、嫌い!」

「リリ!」
 ユゥジーンは御守り袋を拾いに行くより、リリの肩を掴まえた。

「あたし帰る! 離して離して! きゃあああ、誰かあ!」

 上部の茂みがガサガサと揺れて、紫の頭が三つ四つ現れた。
 山菜袋を下げた、風露の男の子達。

(ヤバッ!!! いやこれは、状況的に、マズイ!)
 ユゥジーンの頭の中を色んな絶望が駆け廻った。

 が、子供達が不審そうに睨んだのは、女の子の方だった。

「なんだ、リリか」
「誰? そっちのヒト」
「ラゥ老師様のお客さんだよ。手紙を届けに来た」

 さっき関で会った伝令の子供が混ざっている。
 山で山菜を採る仲間に、回覧板を回しに来たんだろう。

「ふうん、リリを連れに来たの?」
「いや、別に……」
 ユゥジーンが言う前に、リリが叫んだ。
「あたし何処へも行かないモン! 風露で楽器造りの職人になるんだモン!」

「え~~嘘つき」
「またリリが嘘ついたぁ」
「大きくなったら行っちゃう癖にぃ」

「行かないモン!」

「行くよね。ねえ、リリは何処かの国のエライヒトの子供なんでしょ。風露の子じゃない、他所に行っちゃ子なんでしょ?」

「いや、リリは…………」
 ユゥジーンは絶句した。
 いずれ出て行く特別な子として、運命共同体の風露で育つのがどういう事なのか、想像もしていなかった。

「おーい皆、暗くなる前に帰ろうぜ」
「うん、かーえろ、かえろ。老師様に叱られるぅ」
「特別扱いのリリは叱られなーい」

 子供達はバラバラと山中を登って行った。
 後に、下を向いたリリと、ユゥジーンが残る。

「……リリ」
「特別扱いじゃないモン……ちゃんと叱られるモン……」
「リリ、ごめんな」

「何を謝るの!?」
 紫の前髪の顔を上げて、女の子はユゥジーンを睨み付ける。
 目の下が膨らんで必死に涙を堪(こら)えている。
「あたしの事なんか、何も知らない癖に! 知ろうともしない癖に!」

 ユゥジーンは両手でリリの肩を掴んだ。
「うん、知らない。だから教えて」

「!?」

「教えてくれなきゃ分からない。俺は自慢じゃないけど結構にぶい。だから教えて、ちゃんと聞くから」

「…………」


   ***


 ユゥジーンは、自分の何気ない言葉でもこの子が酷く傷付いてしまう事を知った。
 どうやって切り出そう。

「ね、リリ。いつでもまた会えるからって、後回しにしていたヒトに、結局もう会えなくなっちゃった事ってない?」

 唐突な質問に、リリは目をパチパチした。
「えっと……分かんナイ。ないと……思う」

「俺は、ある。あの御守り袋の中の羽根の主。とっても後悔してる。もっとあいつの事、沢山知りたかった」
「そうなの……」

「だからリリの事もちゃんと知らなきゃって思う。後悔したくないから。ね、話して。何で蒼の里へ来たくないの?」

 リリは、さっき御守り袋を投げた谷に分け入った。
「ごめんね、大切なモノ投げちゃって」

「そんなに遠くまでは飛んでいなかったよ」
 言いながら、ユゥジーンも後に続く。

 しかし、もうかなり暗い。
 今日は見付けられないかも、と、半分は諦めている。
 まぁ、また別の日に探しに来よう、元々は自分のミスで落とした物だし。

「あのね、あんな子ばっかりじゃないのよ」
 リリが、繁みをかき分けながら話し出した。
「優しいお友達もいるわ。だからさっきの事とか、父さまに言わないでね」
「ああ、分かった、言わない」

「あのね……あたし…………父さまや、蒼の里の人達が期待しているような子じゃないと思うの。ああいう子達にも言われっ放しだし、簡単にケンカするし。きっとガッカリされる。自分で分かるモン」
 リリは繁みの中で立ち止まって、空中を見つめた。

「こわい…… 風露で要らない子で、蒼の里でも要らない子になっちゃったら……」

「リリ……」

「だからね、考えたの、これでも結構沢山考えた。あたしが一番好きなのは音楽。唄う事が好き。母さまの奏(かなで)も好き。楽器造りを見ているのも好き。風露での方が、『要る子』になれると思うの」

「そうか……」

 ユゥジーンはリリの幼(おさな)顔を染々(しみじみ)と見た。
「リリは、ちゃんと色々考えているんだね。俺、感心した」
「ホント? お世辞でしょ」

「ううん、俺がリリ位の時って、蹴り玉が上手くなる事とか、大人の目を盗んでこっそり馬の背中によじ登る事だとか、そんなのしか頭になかった。リリは凄いよ」
「ええ? ぇへへ」
 丸い頬がほころんだ。
 笑うと片エクボが出来て可愛い。

「だけど分かって。蒼の里ではリリを待っているって事」

 リリがまた表情を硬くしたが、ユゥジーンは続けた。

「だから、ナーガ様や待っているヒトに、リリは自分の考えをしっかりと言わなくちゃならない。今みたいにきちんと。大丈夫、リリは変な事は言っていなかったよ。俺は味方する」
「うん……分かった!」

 ユゥジーンは蒼の里が、割りと……かなり、好きだ。
 だから来るんなら、ちゃんと納得して、明るい気持ちで来て欲しいと思った。

(それにしてもナーガ様、何やってんだ…………)

 前を行く女の子の後ろ頭を、何気に見つめる。
 ナーガ長そっくりの群青色の一房。
 長の血が一滴でもあれば俺ならなあ……と、ボォッと思いを馳せていると、リリが急に立ち止まった。

「あった!」









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登場人物紹介

シンリィ:♂ 蒼の妖精  愛馬は白蓬(しろよもぎ)

蒼の長ナーガの甥っ子。

言葉を使わないのに人付き合いが出来るのは、汲み取る力が突き抜けているから。

ヤン:♂ 三峰の民  愛馬は四白流星

狩猟部族の子供で弓の名手。家族は母一人。フウヤとは相棒同士。

指笛が得意なのは、幼い頃亡くなった父から唯一教わった物だから。

フウヤ:♂ 三峰の民  愛馬は栃栗毛(愛称・黒砂糖)

フウリの弟。風露を家出して、ヤンの家に転がり込んで居候。

ナーガを嫌っているのは、自分の無力を思い知らされるから。

ルウシェル:♀ 西風の妖精  愛馬は粕鹿毛

西風の長モエギの娘。シドとソラは教育係。

蒼の里へ行きたがっているのは、違う教育を受けたら自分は変われると思っているから。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精  愛馬はコバルトブルー(大器晩成タイプ)

幼名ジュジュ。執務室の見習い。シンリィと友達だがそれ以上にはならない。

ヒトとの関係を深めたがらないのは、失う事を怖がっているから。


リリ:♀ 蒼の妖精  愛馬はまだいない(白蓬が大好き)

ナーガとフウリの娘。身体の成長だけ早くて中身がアンバランス。

言葉の覚えが早いのは、自分の事を他人に知って欲しいから。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精  愛馬は闘牙の馬二世

当代の蒼の長。長に就任した途端、数万年ぶりのご先祖様の逆襲が始まって大変。

父親としてポンコツなのは、『親』という物に高い理想を抱き過ぎているから。

シド:♂ 西風の妖精  愛馬は青毛

西風の長モエギの側近。修練所の教官。

エノシラを意識しだしたのは、生え方がエグくて悩んでいた胸毛をスルーされたから。

ソラ:♂ 西風の妖精  愛馬はパロミノ

西風の長モエギの側近。西風の外交官。

大長を追い掛けたのは、自分を叱ってくれるヒトがいないと不安だったから。

フウリ:♀ 風露の民

二胡造りの名人。ナーガの妻。フウヤの姉。

何があっても仕事がぶれないのは、大昔に諭してくれたヒトの言葉を忘れていないから。


大長:♂ 蒼の妖精  愛馬は先日亡くしました。今は夏草色の馬を拝借。

先先代の蒼の長。アイスレディの兄。行方不明扱いに乗じて、身分に縛られず行動。

名前が無いのは、授けてくれるべきヒトが急逝してしまったから。

ノスリ:♂ 蒼の妖精  愛馬は里で一番筋肉の多い馬

先代の三人長の内の一人。

おちおち隠居もしていられないのは、ヒヨコ長のナーガが危なっかしいから。


ホルズ:♂ 蒼の妖精  愛馬はぽっちゃり系

蒼の里執務室の統括者。ノスリの長男。

文句を言わず黙々と働くのは、縁の下の力持ちに誇りを持っているから。

エノシラ:♀ 蒼の妖精  愛馬はソバカス馬

助産師のヒヨコ。シンリィやルウシェルの世話をしていた事がある。

ダイエットを始めたのは、生まれて初めてのお姫様抱っこで相手がよろめいたから。


アイスレディ:♀ 蒼の妖精  愛馬はごく普通の馬(本人談)

ナーガの母。シンリィの祖母。大長の妹。風の神殿の番人。

妙に儚くなったのは、自分の役割がそろそろ終わる事を悟っているから。


赤い狼:?? ???

ヒトの欲望を糧に生きる、戦神(いくさがみ)。

何事にも動じなければ永遠に生きられる、そういう時間に価値を見いだせなくなったから…

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