風紋・Ⅱ
文字数 4,567文字
―――るる る―る るんるんるん ――
―――る― る―る るんるんる― ――――――
耳の痛みが遠のくのと交代に、ルウシェルの頭に唄声が響いた。
凍るような風が頬をなぶる。
身体の周りに白いもやが飛ぶばかりで、状況が分からない。
粕鹿毛の馬上の自分。
前に群青が一房の女の子。
「唄っていたのは、リリか?」
振り向いたリリは、ビィドロみたいな目を見開いて興奮している。
「すごい、すごい、るうしぇるの馬、すごいね」
「いや、私が乗ってこんな飛び方をした事は……」
暴走はされた経験は散々あるが、今の粕鹿毛はしっかりと前を向いている。
馬銜(ハミ)は受けているのか? と手綱を見ると、ダルンダルンだ。
彼女の生まれ持った能力なのか?
馬に潜在していた能力なのか?
とにかくこれは尋常じゃない。
(この子の安全も確保しなきゃならないし、まずは地上に降りる事を考えなくては)
どの位の高さなんだ? 地上も見えないし、とにかく寒い。
西風の妖精の自分には危険な寒さ。
ルウシェルは、リリに言って手綱を渡して貰い、とにかく高度を下げようとした。
粕鹿毛は首を下に向け、垂直効果する。
―――降下する……
―――降下する……
―――って、どんだけ高い所にいたんだっ!
また耳がヅンヅンするが、白いモヤの密度は幾らか薄らいで来た。
「すっごぉい、おへその下がキュンってなるね!」
リリは呑気だ。
シンリィと一緒に居たという事は、白蓬でそれなりの飛行も経験しているんだろう。
やっとモヤの隙間から地上が見えた。
何か知った目印はないかと、目を凝らす。
月明かりに浮かぶは、帯のような樹林帯と三日月型の湖。
(知った場所だ、良かった。西風の里からそんなに遠くはない)
まったく知らない所に飛ばされていたらどうしようかと思った。
すぐに元の場所に戻ろうと思ったが、夜の森にほのかなオレンジ色を見付けてルウは留まった。
凍えた手足が火を欲している。
「な、リリ、あそこで誰かが焚火をしている。ちょっと当たらせて貰いに行っていいか?」
「うん、いいよいいよ、あたしも手が冷えちゃった」
粕鹿毛を降下させて、念の為、焚火から少し離れた茂みに降り立つ。
馬はそのまま待たせて、そおっと覗くと、小さな広場に焚き火が焚かれていたが、ヒトの姿は無かった。
火に鍋が掛かっているので、何かの用事で少し外しているだけだろう。
「誰か来たら謝ればいい」
そそくさと火にすり寄り、ルウシェルは冷たい手足を暖めた。
リリも側に屈んで、物珍しそうに焚火を眺めていたが、ふと顔を上げてキョロキョロし出した。
「ね、何か変じゃない?」
ルウも気付いた。
砂漠に季節の変化は少ないが、この樹林は四季がハッキリしている。
今は夏の盛りの筈なのに、木々の繁りが少ない。
空気もシンと冷えて、まるで冬から春への移り変わりの頃。
下生えの中に咲く白いイチゲは、春の花だ。
首を傾げながら立ち上がって、リリの方を向いた。リリもこちらを向いて……
「えっ?」
「ひゃっ!」
二人同時に悲鳴を上げた。
焚火に照らされたお互いの身体が透けて、向こうが見えるのだ。
「いやだあ! あたしどうなっちゃったの?」
「落ち着けリリ、どんな事にも理由があるんだ。ほら、私はリリに触(さわ)れる、大丈夫だ。とにかく落ち着いて……」
ふるる、と、馬の声がした。
そちらの茂みで六つの目が光り、三頭の馬が自分達を見ている。
三頭とも草の馬で、一頭はズバ抜けて大きい。
「蒼の一族が居るのか?」
ルウはちょっとホッとした。蒼の一族のヒト達なら頼りになる。
身体が透けてしまった理由も、聞けば教えて貰えるかもしれない。
背後に衣擦れの音。
「ほぉ………」
焚き火のオレンジに照らされて、水色の長い髪の男性が、すぅっと立っていた。
「小鬼が、いる………」
***
藪から抜けて来たそのヒトは、多分蒼の妖精……だと思うが、ルウの知っている蒼の一族にはいないタイプだった。
腰を越えるボサボサ髪。色があるかないかの水色の瞳。浮き出た鎖骨、落ち窪んだ眼窩……
そしてそれらの些細な個性を凌駕する、背中の強烈な・・
「キレイ……」
リリが真っ正直に声に出した。
焚火の揺らぎに照らされる、鷹のように立派な、翡翠色の羽根。
「それはどうも、迷い鬼」
有翼の妖精は、眉間にシワを入れて二人を見据えた。
取り敢えず、このヒトに自分達は見えるし話も出来る。
良かった、こうなってしまった原因を相談出来る。
一安心したルウが声を発しようとした時……
「待って、待ってよぉ!」
森の奥で小鳥みたいな声が響いた。
一瞬で、夜の森が昼間のように白んだ。いや、明るくなった訳ではない。
飛び込んで来た空色の巻き髪の女性……彼女の輝くようなオーラが、夜の森を照らしたのだ。
「あれぇ?」
女性ははなだ色の瞳を見開いて、辺りを見回した。
「何かいる?」
真正面にはキョトンとしたリリが居る。彼女にはルウ達は見えていないのだ。
「別に……」
有翼の男性は訪問者達から視線をそらして、引きずっていた落ち枝を焚き火に放り込んだ。
そうして二人の子供の存在をまるで無視したように、女性と隣合わせで腰掛けた。
ルウの胸にザワザワが過った。
さっき会話出来たと思ったのは勘違いだったのか? では自分達は本当に、『存在しない者』になってしまったのか? 胸がドキドキして喉が詰まりそう。
「あのさ」
有翼の男性が、何気ない素振りで巻き髪の女性に話し掛ける。
「もしも僕らが、また何かの拍子で西風に行ったとして、その時モエギに娘がいたとしたら、やっぱり父親はハトゥンかな?」
女性はキョトンと答えた。
「まぁそうでしょうね。運命の女神様なんて何時(いつ)何処(どちら)に向くやら分からないけれど、何があったってハトゥンの方が一枚上だわね」
男性はチラリとルウの方を見た。オレンジの瞳の娘は、高速で何回も頷いた。
「うん、ボクも、そう思う」
彼は愉しそうに笑った。
よかった、ちゃんと見えているんだ……ルウは少し安堵した。
でも、このヒトにしか見えないって?
「じゃあさ」
一拍置いて、男性はまた聞いた。
「前髪は紫、てっぺんは水色で、後頭部の一房だけ群青色な髪の女の子って、誰の子供だと思う?」
「ええっ? ナゾナゾ?」
焚火に照らされた女性は目を丸くして、首を捻った。
「随分カラフルね、何色のリボンを結っても似合いそう、桃色とかオレンジとか。金鈴花の冠もいいわね」
「聞いているのはリボンの色じゃない」
「え~~・・蒼の一族ではあるんだよね。群青って、術力が強いって事? でも一房だけ? 分かんない・・降参っ!」
「そうか」
「答えは?」
「ボクにも分からない」
「ええっ、何それ?」
「ちょっと聞いてみたかっただけだ」
女性は、何よそれと言いながら、足を伸ばして交互にパタパタした。
既視感がある、と思ったら、シンリィが時々やっていた癖に似ている。
リリは突っ立ったまま、何故か頭の毛糸を気にして巻き直したりしている。
「うぇぇぇ~~~」
茂みをガサガサいわせて、二人の少年が現れた。上半身裸で下は薄布だけ、そしてずぶ濡れだ。
彼らの幼い顔を見て、ルウシェルは仰天した。
「あらあら、早く火に当たりなさいな」
女性は立って、彼らに乾いた布を被せてやり、焚火の前へいざなった。
突っ立っていたルウ達は後ろに退いたが、少年達にもやはり彼女らが見えていないようで、焚き火の前に真っ直ぐに来てしゃがみ込んだ。
「言い付け通りの回数、水を被って呪符を唱えて来ましたよ」
「数をごまかしていないだろうな」
「ちゃんとやりましたよ……多分」
「これって何か、意味あるんですか?」
「大長から、蒼の里に着く前に、キミ等のあらゆる素養を試して置けと言われている。不満があるならやらなくともよい。自らの可能性を閉ざすだけだ」
「……は……い」
「す……みません」
「さ、シド、ソラ。もうすぐスープが温まるわ。蒼の里までまだまだあるんだから、一杯食べて元気を付けなきゃ、明日飛べないわよ」
巻き髪の女性が、沈んでしまった雰囲気を取りなすように明るく言った。
「何に才能があるかを試すのはとても大切よ。早く立派な者になって、故郷に錦を飾るんでしょ」
「錦なんて、そんな……」
「僕達はただ……」
「ん、ん? なあに?」
「僕達は、西風の為に一生懸命になってくれた、蒼の里の常駐者のヒト達に……」
「恩返しとか言うなよ」
男性が、二人の額や頭頂部に手をかざしながら、ピシリと言った。
「『歓び』…… 大長様がモエギ様に言っていました。『貴方の成長が私の歓びです」って。僕達も、そう言って貰えるようになりたいです」
青銀の髪の子供が、頑張って述べた。
「まあ、なら、アタシ達も入れて。シドとソラが立派になってくれたら、アタシ達も凄く歓ぶわ。ね、そうだわよね!」
「まあな……」
凄いな、この巻き髪の女性。重い雰囲気になりそうな所を、フニャっと緩めてくれる。
蒼の妖精にはこんなヒトもいるんだなあ……
ルウは、はなだ色の瞳のどこか懐かしい女性を、しげしげと眺めた。
・・と、彼女の傍らにある剣を見てギクリとした。
柄に七宝の花模様の、白銀の剣……・・ え?
少年達の身体に手をかざしていた男性が、納得の行った顔をして立ち上がった。
「シド、キミは、飛行術を徹底的に教われ。ツバクロ……いや、ユユがいいな、飛行術の素養はユユに近しい。彼女に師事しろ」
「えっ、アタシ?」
巻き髪の女性が目を丸くした。
「ユユさんが僕の飛行術の師匠っ!?」
シド少年は顔色を変えて叫んだ。
女性が師匠なのは不満なのかな? うんまぁ、シドってそういう所あるよな……と、ルウは勝手に納得したが……
「い、いい、命が幾つあっても足りませんんん!」
……ん? 違ったようだ。
「ふふふ~ シド、よろしくね」
身を捩(よじ)って笑う女性に片えくぼが浮かぶ。
男性は今度はソラ少年に向いた。
「キミは、・・選べる」
「……はい?」
「大長か、ボク……どちらに師事するかを、選べる」
「…………」
女性とシドが目を見開いて、男性を凝視した。
「未知数の術の地力がある。大長に師事すれば、間違いなく一級の術者になれる。滞りなく一直線に。そうだな、そちらの方が確実だ。変な博打を打つ事もない、大長に師事しろ」
「貴方に師事すればどうなるんですか!?」
自分で言って置いて勝手に決め付ける男性に、幼顔のソラ少年はキッパリと聞いた。
「というか、僕、貴方に術の手解きをして貰える素養があるんですか?」
巻き髪の女性が、天地がひっくり返ったような驚愕の表情をしている。有翼のこの男性に教わる『素養』とやらは、そんなに驚く物らしい。
「そりゃ、底が見えないんだから、伸ばすだけなら幾らでも……いや、危うい力も一緒に伸ばしてしまう。そうなったら後戻り出来ない。大長なら無難に抑えながら……」
男性は俯(うつむ)いてブツブツと一人で呟いている。ソラの聞いた事に答えたくない感じだ。
「僕、貴方に教われる資格があるんですよね!」
少年が大声を出した。
「・・・・・・」
居丈高だった男性が、とうとう黙って少年を見た。
「宜しくお願い致します、・・カワセミ様」
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