蜃気楼・Ⅲ
文字数 4,213文字
別に女のコに人気があるとかどうとか、シドは拘りたい質(たち)じゃない。
小さい頃は西風の里が廃れてしまうかの瀬戸際で、無邪気な子供をやっている時間が無かった。
早くからモエギ長の護衛騎士(ナイト)となる事を誓い、蒼の里へ留学し、寝食惜しんで研鑚(けんさん)した。
お陰で自他共に認める能力だけは身に付けているのだが、女のコってそういう物には興味を持たない。
大概は人当たりが良くて毛並みの良いスオウのような優等生か、砂の民の色んな遊びを知っているちょっとキケンな香りのする若衆に惹かれる。
(* 双方血が濃くなり過ぎる問題を抱えていたので、砂の民との縁談に限った交流を、昔ナーガが動いて締結させていた)
シドを目に止めるのは、酸いも甘いも噛み分けたお婆ちゃんか、質実主義の母親世代。
だから見合いの話は来るが、肝心の相手に微妙な反応しかされないので、全て断るようにしてしまった。
(いいんだ。子供の頃誓ったように、モエギ様を左右から守護する護衛騎士として一生を捧げていれば)
…………と思っていたのに、相方のあいつが手の平クルッと返しやがった。
あの野郎~~・・
なんて考えていると、やっぱり自分も女子の目線ひとつに左右されてしまうような小者だったんだなと、ちょっと落ち込むシドだった。
人事異動から数週が過ぎ、ようやく多忙に慣れて来たシドの元に、奇妙な組み合わせの訪問者が訪れた。
放課後の準備室、一人で居る所に、忍ぶように訪ねて来たのは、大僧正の側近の老人の一人と、厩番の少年。いつも連れだって動く年寄りが一人なのにも驚いたが、何故に、普段鼻にも掛けない厩番の子供と?
「蒼の妖精のあの三つ編みの娘について尋ねたい。包み隠さず答えて欲しい」
「は、はぁ……」
「大僧正様の末の孫、スオウ殿と交際しておるという、聞き捨てならぬ噂が流れておるが」
「スオウ教官が世話を焼いてあげているだけじゃないですか? ほら、あの方、誰にでも親切じゃないですか」
「儂もそう思いたいのじゃが」
老人は後ろを向いて少年を促した。
「僕、スオウ教官が大好きだから、相手の女性(ヒト)と温度差があって傷付いたりしたら嫌だなって思って……教官、ああ見えて純情で女性に免疫無いじゃないですか……で、あの女性が厩の側を一人で通り掛った時に、思い切って聞いてみたんです。教官のお嫁さんになるんですか? って」
うわっ、どストレートだな。
「で?」
「はい、約束していますし、って」
「え゛・・!」
そしてつい先程、少年は、二人が馬に二人乗りで、里の外へ出掛けて行くのを目撃したと言うのだ。表からじゃなくこっそり裏から。
「さ、里の外ぉ!?」
何処にでも人目のある小さな集落だ。
未婚の男女が連れ立って外に出掛けるのは、『そういうコト』という暗黙の了解がある。
大人しそうな娘だと思っていたら随分と積極的…………いやそうじゃなくって!
「儂は、スオウ殿を赤ん坊の頃から知っておる。心根の綺麗な天使のような方じゃ。おかしな事になって後ろ指をさされるような身になって欲しゅうない」
老人は珍しく、殊勝に弱い声を出した。
シドは少年の両肩を掴まえた。
「まだ、このご老人以外に言っていないな。そのまま他言無用で頼む。ただ、ルウシェル様には、聞かれたら答えてあげてくれ。……ご老人」
「何じゃ」
「僕が行きます。
取り返しの付かない事
にならない内に、阻止して来ます」老人は口を結んで頷いた。
少年に二人の行った方向を聞いて、シドは全力で厩まで走って青毛で飛び立った。
――何考えんだ、エノシラ!!
『蒼の里は、西風の里の内側には決して踏み込まない』という先人達の努力を台無しにするつもりか!?
ちょっとイケメンに逆上せてデートの真似事してみたかったんだろう……位に思っていたら、何、斜め上方向へ進展させてんだ。
いや彼女は個人の自由な恋愛だと言い張るかもしれないが、大僧正の孫だぞ、大僧正の!
その辺の奔放な若者とは違う。本人がいいって言っても、周囲が段階と礼節と潔癖を重んじるんだ。それを疎かにしたら、『蒼の里は西風を軽んじている』と取られても弁解出来ない。
・・そんな相手に、何やらかしてくれちゃってるんだ!
握った手綱に冷や汗が滲む。
「願わくば間に合ってくれ、っていうか、トンでもない場面にだけは出くわさないでくれ!」
***
里を出て、目鼻の先の岩山に、少しの灌木と地衣類の緑が覆う場所があり、三つ編み娘はそこにいた。
(近過ぎるだろ、もうちょっと遠くへ行くとかの気遣いはないのか)
スオウの姿は見えない。見たくもない場面に出くわさなくて良かった。
娘はシドの馬を見上げて、明らかに罰悪い表情をしている。
手前に降りて、軽率な行動を咎めようとした時……
「エノシラ、どうした?」
岩の裏から声がして、色男が現れた。
相変わらず、身なりに気を使える余裕のある出で立ちだな、腹立って来た。
「シド教官、何でここに?」
あんたのせいでしなくてもいい苦労を…………・・んんん? えっ?
「あれぇ、セ―ンセ」
「シドせんせだぁ」
思いも寄らぬ声々に顎が外れた。
スオウ教官の後ろから、修練所の子供が数人、目を丸くして歩いて来る。手に手に石版や萱紙、筆記用具、草の葉を持って。
「エノシラに、薬草知識の講義をして貰っていたんだ。いやぁ、本当に博学だなぁ、私も勉強させて貰ったよ」
「………………」
「前々から依頼していたんだが、西風であまり目立つ事はしたくないと言うから。公にせず、植物学に興味のある子だけを募って、少人数でやっていたんだ」
そういえば、地味に募集は掛けていたような気はする。個人的な補習だと思って気に止めていなかった。
「ねえねえ、普段何気なく摘んでたお花でも、血止めの効果があったりしたんだよ、ビックリしちゃった」
「こっちの葉っぱは煎じて飲んだらお腹痛に効くんだって。知らなかったぁ」
子供達に賑やかに話し掛けられ、声の出せないシドを見やって、スオウは手をパンと叩いた。
「さあ皆、本日はここまでとしよう。荷物を片付けて、帰りの準備だ」
それから、微妙な顔でオドオドしているエノシラを振り向く。
「結界の入り方は分かりますよね。子供達を引率して、先に里に戻って下さい。修練所の前で解散にして、貴女も待っていなくていいですから、そのまま帰宅して下さい」
え、あの……というエノシラを、子供達共々送り出す。
彼らの姿が結界で見えなくなり二人きりになると、スオウは突っ立ったままのシドに向き直った。
「シド教官、失礼を承知でお尋ねしますが、もしかして、私とエノシラの間が男女の何かだと誤解して、泡喰って飛んで来たのですか?」
答えられないシドを前にして、では順序立って話しますと、スオウは岩に腰掛けて隣を促した。
***
大僧正宅の庭でスオウ会った翌日、彼女は再びそこを訪ねて来た。
シドやルウシェルに心配を掛けるので元老院に近付かないようにしたいが、庭にどうしても気になる物があるのだと、物陰からそっとスオウに声を掛けたのだ。
「シド教官じゃないけれど、最初は私も誤解しましたよ。色んな口実を作って近付いて来る女性がいましたから。あ――あ、またか、って」
色男は周囲が思う程、純情でも天使でもなかった。
庭に入れて貰うと、娘はすぐに這いつくばってクンクンし出し、次に大木の枝を掴んで登り始めた。
そうして呆気に取られる色男を置いてけぼりに、木の葉まみれになりながら、これはゴシュユだゴミシだ宝の山だと騒ぎ出したのだ。
「宝の山……」
「要するに、薬草ですね」
どうやら、何代か前の知識豊富な大僧正が役に立つ草木を庭に植えていたのだが、伝承されずに忘れ去られていたらしい。
彼女は、初めてここを訪れた時、色男ではなく、その後ろの『宝の山』を凝視して固まっていたのだ。
北の草原では見られない、書物でしか知らない薬草群を見て、その夜眠れなかったらしい。
「特にキナの皮なんて、あちらではマボロシ扱いらしいですね。蒼の里の常駐者の方々は気付かなかったのかなと尋ねたら、薬学はまた専門が全然違うと」
そういえば、最初会った時、キナがどうとか言っていたな。
庭だけでなく、里のあちこち、厩の裏の林やその向こうの水辺にも、いつの時代か誰かしらが持ち込んだらしい薬草が群生していた。
本当にどうして伝えが途切れてしまったのか、代々古い家に住むスオウですら知らなかった。
思い立って自宅の倉庫を調べてみると、薬草関連らしき古書が幾ばくか発掘出来た。
そうしていつしかスオウも夢中になり、二人で薬草捜しに没頭して行ったという。
ただ、本で知っているだけの薬草が、本物かどうか分からない。それで……
「彼女、自分の身体で試していたんだ、害が無いか。だから私も付き合った」
「え?」
「そりゃ、私の祖先が植えた薬草だ、責任を持たなきゃ。まぁちょっと、眠れなかったり逆上(のぼ)せたりの作用に悩まされたが」
「…………」
「結果、ほぼ全てが文敵通りの薬草だった。それできちんとまとめて誰が見ても分かる資料にする事にしたんだ。私が文敵の古い文字を解読して書き起こし、彼女がそれを清書する。そんなこんなとしている内に、騒がしい噂が立ってしまった」
・・そうか……
岩山の上で、シドは脱力した。
ホッとはしたのだが、胸に渦巻くこのモヤモヤは何だろう……
「でもねぇ、シド教官。私はこの噂を否定するつもりはないのですよ」
スオウは、立ち上がって砂を払った。
「何故ならどうやら本当に、私は彼女に激しく惹かれているのです。女性にこんな気持ちになったのは初めてだ」
「ぇぇ……」
何故それを僕に聞かせる? そこまで言うのなら勝手に頑張ればいいじゃないか。
皆に愛されている純情天使スオウが懇願するのなら、元老院だって里人達だって、どうせ手の平を返して応援し始めるだろうよ。こちらの気苦労などまるで無かったかのように。
そんな風に考えてもう帰りたがっているシドに、スオウは近付いて、いきなり手首を掴んだ。
――!?
何も言う間も無く、持ち上げた手の甲に、自分の拳の甲を合わせる。これは砂漠地方に古くから伝わる、ある一つの意思表示だ。
――えっ、えっ、えっ??
「決闘を申し込む、シド教官」
色男は上着を脱ぎ捨て、筋骨隆々の上半身で両拳を構えた。
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