リリ

文字数 2,460文字

   
   

「そう、弟は……フウヤは元気にしているのね」

 風露草(ふうろそう)色の瞳をしばたかせて弟の近況を尋ねる女性に、ナーガは優しくゆったりと答える。
「ああ、直接は会っていないけれど、三峰の族長殿と書簡でやり取りをしていてね。友達と旅をしたり、細工職人に弟子入りしたり。最近は友達の成人の試験を手伝っているらしい」

「まあ、あの子にそんなお友達が……」

 蒼の里より北西に十数里、
 ミルクの霧に尖塔群がそびえる、風露の谷。
 ナーガの妻フウリは、ここで楽器職人として生涯を過ごす。
 風露の民は全員がそうで、ここでは当たり前な事なのだ。

「あちらの子は……あ、いえ」
 フウリは言いかけて止め、そっと、自分の二胡の縁をなぞった。

 今は行方知れずだという、この方の甥子の羽根の子供。
 彼に貰った木切れはこの方の二胡の立ち駒に使ったが、残った破片を細工して、自分の楽器の端飾りに埋めてみた。
 そのせいか、この方との奏(かなで)は、本当に素直に響き合う。
 ……不思議な子供だった……

(早く見付かりますように)
 フウリは心だけで念じて、また弓弦を取った。

 しばらく妻の奏(かなで)を聞いていたナーガが、ふと立って、戸口に寄った。

「きゃ」

 戸口の横の壁に背中をもたせ掛けていた女の子が、小鳥みたいな悲鳴を上げる。
 フウリと同じ紫色の前髪に、ビイドロみたいに真ん丸な瞳。

「あの、ろーしさまが……ちゃんとアイサツにいきなさいって……」
 小さい唇が消えそうな声で喋る。

「リリ!?」
 ナーガは目を丸くした。
「ええっ、本当にリリか? リリ……だよなあ?」

「先月より頭一つも背が伸びたんですよ」
 フウリが歩いて来て、娘の手を引いた。
「ちゃんと挨拶って、当たり前でしょう。お父様がみえているというのに、どこへ行っていたの?」

 リリと呼ばれた女の子は口をキュッと結んで、ギクシャクした動作で部屋に入った。
 ワサワサと広がる猫っ毛は、前髪が紫、後半分は蒼の一族の空色、後頭部にナーガと同じ群青色が一房。親が言うのも何だが、かなりカラフルだ。

「まあまあ」
 ナーガは娘の目の高さまで屈んだ。
 目線を合わせて喋るのはノスリの指導だ。
「たまにしか会えないからね。今日も元気なリリのお顔が見られて嬉しいよ」

「……………」
「リリ」
「……こんにちは」
 フウリに促されて挨拶したが、女の子の表情は強張ったままだ。

「今日は何をしていたの?」
「……別に……何も……」

 月に一度会えるか会えないかの父親じゃ仕方がないのかもしれないが、もうちょっと懐いてくれたっていいじゃないかと思うのは、ワガママなのだろうか?
 自分の子供時代、氷の神殿で、たまにしか父親に会えなかったけれど、大騒ぎで妹と膝の上を争った物だったのになぁ……

 ガックリするナーガの横で、フウリも申し訳ない気持ちになる。
 でもこの娘は蒼の妖精なのだ。
 畏まって父の前で座る娘は、数えで二つの筈なのに、もう六つか七つにしか見えない。語彙は少ないながら、文章をきちんと喋る。風露の子はこんな成長の仕方はしない。

 就学年になったら蒼の里へやる事になっている。寂しいけれど、フウヤと比べたら、行った先で望んで待たれているこの子は幸せなのだろう。

「あたし、おトモダチとヤクソクしているの」
「リリ、お友達とはいつでも会えるでしょう?」
「うぅん! ここを出ちゃったらもう会えない!」
「リリ!」

「いいよ、リリの言う通りだ。友達は大切にしなくては」
 ナーガは優しく言ったが、リリは最後まで仏頂面なまま、お辞儀をして、隣の塔へのツタを滑って行ってしまった。

「ごめんなさい、あの子……」
「なかなか来られない僕が悪いんだ。あの子を健やかに育ててくれている。感謝しているよ」

 そう言いながらも、ナーガはやはり複雑な気分だった。
 初期のシンリィといい、自分は子供を警戒させる何かを持ってるのだろうか?

「こちらの子も、リリみたいに元気で生まれてくれますように」
 気持ちを切り替えるように、ナーガは妻のお腹に手を添えた。
 前回来た時より大分目立つようになった。
「作業も大切だろうけれど、無理をせずに……って、釈迦に説法か。でもとにかく大事にしておくれ」
「今は力を使わない軽い仕事だけを回して貰っています。大丈夫、スクスク順調ですよ」

 明るく答えるが、フウリには心の底に言えない思いがあった。
 ――こちらの子は、風露の種族に生まれてくれますように――

 この優しい夫が求婚に際して、こちらの部族の掟を全て呑んでくれた事には感謝している。
 もっとも、呑まねば風露の老師様は認めてくれなかった。

 そしてこの方の跡取りが重要だという事は、この谷を出ない自分にだってヒシヒシと伝わる。
 だから、生まれた子供が蒼の妖精ならば、快く送り出すつもりだ。

 けれどやはり、思ってしまう。
 こちらに残ってくれる子供だって欲しい。



 風露を後にして月夜を駆けるナーガは、厳しい顔をしていた。

 娘(リリ)の成長の仕方は、やはり異常だ、早過ぎる。
 ノスリに聞いても、似た事例は見付からなかった。
 『稀だが、たまにはある事』であって欲しかった。

 一つだけ思い当たるのだ。
 一つだけ、その前例を聞いた事がある。

 自分の叔父……二代前の長。
 あのヒトが、先代の父親に急死された時、実はまだ儚げな子供だった。
 それは本人の口からではなく、当時叔父の片腕だったオタネお婆さんという故人から聞いた。
 彼が本当に短期間で、異様な早さで大人まで成長してしまったという事。
 本人には自覚が無かったのかもしれない。

 当時は、人間の帝国が産声をあげる前の混沌の時代だった。
 人間界も人外界も荒れに荒れ、蒼の里も多くの犠牲を出したと聞く。
 彼は一刻も早く大人になる必要があったのだ。


「あの子が、大人に全て委ねられる甘やかな幼子(おさなご)の時代を犠牲にせねばならぬ程の、『何か』が来ると言うのか」

 それは許さない。
 『何か』が来るのなら、自分が全力で阻止する。
 護り切れなくて後悔する事は、二度としない。






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登場人物紹介

シンリィ:♂ 蒼の妖精  愛馬は白蓬(しろよもぎ)

蒼の長ナーガの甥っ子。

言葉を使わないのに人付き合いが出来るのは、汲み取る力が突き抜けているから。

ヤン:♂ 三峰の民  愛馬は四白流星

狩猟部族の子供で弓の名手。家族は母一人。フウヤとは相棒同士。

指笛が得意なのは、幼い頃亡くなった父から唯一教わった物だから。

フウヤ:♂ 三峰の民  愛馬は栃栗毛(愛称・黒砂糖)

フウリの弟。風露を家出して、ヤンの家に転がり込んで居候。

ナーガを嫌っているのは、自分の無力を思い知らされるから。

ルウシェル:♀ 西風の妖精  愛馬は粕鹿毛

西風の長モエギの娘。シドとソラは教育係。

蒼の里へ行きたがっているのは、違う教育を受けたら自分は変われると思っているから。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精  愛馬はコバルトブルー(大器晩成タイプ)

幼名ジュジュ。執務室の見習い。シンリィと友達だがそれ以上にはならない。

ヒトとの関係を深めたがらないのは、失う事を怖がっているから。


リリ:♀ 蒼の妖精  愛馬はまだいない(白蓬が大好き)

ナーガとフウリの娘。身体の成長だけ早くて中身がアンバランス。

言葉の覚えが早いのは、自分の事を他人に知って欲しいから。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精  愛馬は闘牙の馬二世

当代の蒼の長。長に就任した途端、数万年ぶりのご先祖様の逆襲が始まって大変。

父親としてポンコツなのは、『親』という物に高い理想を抱き過ぎているから。

シド:♂ 西風の妖精  愛馬は青毛

西風の長モエギの側近。修練所の教官。

エノシラを意識しだしたのは、生え方がエグくて悩んでいた胸毛をスルーされたから。

ソラ:♂ 西風の妖精  愛馬はパロミノ

西風の長モエギの側近。西風の外交官。

大長を追い掛けたのは、自分を叱ってくれるヒトがいないと不安だったから。

フウリ:♀ 風露の民

二胡造りの名人。ナーガの妻。フウヤの姉。

何があっても仕事がぶれないのは、大昔に諭してくれたヒトの言葉を忘れていないから。


大長:♂ 蒼の妖精  愛馬は先日亡くしました。今は夏草色の馬を拝借。

先先代の蒼の長。アイスレディの兄。行方不明扱いに乗じて、身分に縛られず行動。

名前が無いのは、授けてくれるべきヒトが急逝してしまったから。

ノスリ:♂ 蒼の妖精  愛馬は里で一番筋肉の多い馬

先代の三人長の内の一人。

おちおち隠居もしていられないのは、ヒヨコ長のナーガが危なっかしいから。


ホルズ:♂ 蒼の妖精  愛馬はぽっちゃり系

蒼の里執務室の統括者。ノスリの長男。

文句を言わず黙々と働くのは、縁の下の力持ちに誇りを持っているから。

エノシラ:♀ 蒼の妖精  愛馬はソバカス馬

助産師のヒヨコ。シンリィやルウシェルの世話をしていた事がある。

ダイエットを始めたのは、生まれて初めてのお姫様抱っこで相手がよろめいたから。


アイスレディ:♀ 蒼の妖精  愛馬はごく普通の馬(本人談)

ナーガの母。シンリィの祖母。大長の妹。風の神殿の番人。

妙に儚くなったのは、自分の役割がそろそろ終わる事を悟っているから。


赤い狼:?? ???

ヒトの欲望を糧に生きる、戦神(いくさがみ)。

何事にも動じなければ永遠に生きられる、そういう時間に価値を見いだせなくなったから…

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