冬茜・Ⅲ
文字数 3,761文字
「ず――る――い――っ!」
案の定フウヤがブウたれた。
朝、ルウシェルが能力の事を打ち明け、ついでに夕べの出来事も話した。
シンリィは変わらず通常運行で、スンと水を汲みに行く。
「僕も――僕もやって――」
妙な対抗心を燃やすフウヤ。
話したのは口琴が視えた所までで、ヤンの記憶の事は言っていない。
フウヤが弟達と重ね合わされるのを嫌がる事をヤンは知っているし、ルウシェルも、ヤンが言わない事は言わない。
「何か、思ったより疲れるみたいだよ。ルウ、目の下が青い」
ヤンの言葉は庇う為だけではなく、彼女は本当に顔色が悪い。
夕べは時間通りルウを寝かせたのだが、今朝は冷えたせいか、起きて来るのが遅かった。
「大丈夫?」
「すまない、旅を頑張ろうって決心した所なのに。だらしないな」
「旅の疲れがたまって来たんじゃないの?」
フウヤもむくれるのを止めて、心配そうにルウを覗き込む。
「今日はちゃんとした宿に泊まろう。皆も野営続きで疲れただろう」
ヤンが地図を広げた。
今越えようとしている山脈の、尾根道を外れて下った所に、程々の大きさの村があり、宿場町の印がある。
少し古い地図だが、村の大きさ的に、多分今でもやっているだろう。
「ちょっと距離があるけれど、頑張ってベッドを目指すぞ」
「行きは寄らなかった所だね、どんな所だろ、楽しみ」
フウヤはもう切り替えて、荷物をまとめ始めている。
荷物と身支度を整えてから、一旦集まって皆で地図を見て行程を共有し、それから馬装して出発。
そういうルーチンはヤンが決めた。
万が一はぐれた時に合流出来るようにで、フウヤと二人の時から続けている。
「旅ってもっと気紛れにフラフラする物だと思ってた」
「僕もそう思っていたけれど、出てみて分かった。行き当たりばったりやってたら、野営出来ない場所で暗くなったり、鉄砲水や滑落の危険のある場所って、暗くなってからじゃ分からない。ヤンがちゃんと計画してくれるから、そういうのから免れているんだ」
「へえ!」
「大した事じゃないよ。たまにはフウヤがリーダーやってみる?」
「や、やだ、無理、ムリ!」
***
その日の行程は、いつもの1.2倍の距離だった。
でも天幕の設営や食事の準備をしなくていいし、何より、行った先でベッドに倒れ込める。
女の子のルウシェルだけでなく、少年達だって心が軽い。
下馬して歩かねばならない険道も多かったが、獣や夜露に悩まされない寝床を思うと頑張れた。
……が……
「ルウ、大丈夫?」
昼過ぎた辺りから、ルウシェルの具合が急に悪化して来た。
最初は「大丈夫」と笑顔を見せる余裕があったのだが、だんだん声を出す力も無くなり、ただ馬の上で心許なく揺れるばかりになってしまった。
折しも風避けの無い尾根道で、冷風が体温を奪って行く。
(しくじった・・!)
ルウの騎馬は空を飛べるが、今は術力と馬が折り合っていない。
市場での 〈〈どん!!〉〉 以来、ちょくちょく練習はしているものの、制御出来なくてシンリィに連れ戻されてばかりだ。
正直、飛行術は蒼の里へ行ってから、専門家に習えば良いと思っていた。
それもあって、地を行くヤン達と同じ行程を歩んでいるのだが。
(まだ余裕のあった朝の内なら、シンリィと二人乗りで先に尾根を越えさせて、楽をさせてやれたのに)
馬上でヤンは首を振る。
(いや、たらればを考えたって何にもならない。今からをどうするのがベストか、考えなくては)
「ヤン」
フウヤの騎馬がそっと寄って来た。
「僕はここで夜営でも構わないよ。この場所ならまだ風を避けられる平地がある」
確かに、ここから先は斜面ばかりで、天幕を張れるポイントが無さそうだ。
(だけれど、この気温の低い場所で夜営したとて、ルウはますます悪化してしまうのでは? それに風上に足の早い黒雲が……)
「ヤン!」
小声だが、フウヤの声が強くなった。
「一人で抱え込まないで。一緒に考えよう。僕も出来うる限りの事をするから」
「そうだな、フウヤ……・・んん??」
白蓬を下馬して来たシンリィが、反対側から袖を引いた。
手には、予備の腹帯を持っている。
「それで、ルウをお前に縛れって?」
子供は神妙に見上げて来る。
いつもロケットスタートの燕飛びしかしない白蓬で、ぐったりしたルウを自分に縛り付けて、飛ぶって?
「い、行けるの?」
「いや、フウヤ、シンリィに任せよう」
ヤンは決断した。
「今夜半から天気が崩れて雨が来る。ここでの夜営は悪手だ」
「了解!」
言うが早いか、フウヤは白蓬の荷物を外し、二人乗れるスペースを作った。
その間にヤンは、宿屋宛の手紙を書き、銅貨と共にシンリィに託す。
それから二人でルウを抱え上げ、先に白蓬に跨がったシンリィにくくり付けた。
小さい声でお礼を言う土気色の娘を励まして、ヤンのマントで上からくるむ。
「いいよ、シンリィ」
羽根以外がんじがらめになった鞍上の子供は、口をぐっと結んで風を呼んだ。
静かに、ゆっくり、ゆっくり羽根を広げる。
顔が真っ赤になり、いつもの何十倍もの力を使っているのが分かる。
やがて白蓬はおごそかに浮き上がり、樹上ギリギリを側対歩で駆け始めた。
風の密度が分厚い。鞍上は殆ど揺れていない。
「すご……」
馬が山下に見えなくなってから、二人で呟いた。
馬をあんな風に収縮させる方が、奔放に駆けさせるより遥かに難しい事を、二人は五つ森の団子鼻に教わっていた。
『究極は、その場足踏みだ。これは人馬とも全力疾走と同じくらい疲れるんだぜ』
やって見せてくれたので二人も挑戦したが、まったくもって出来なかった。
取り敢えずホッとした二人は、そんな思い出話をしながら、白蓬の荷物をルウの馬にくくり付け、村を目指した。
ヤンの予想どおり、夕方から雲が分厚くなり、空気がズッシリ湿気を含んで来た。
しかし心には余裕がある。
着いたら暖かい部屋に食事。
ルウは安心なベッドで寝て、ちょっとは具合を良くしてくれているだろうか。
シンリィはご苦労さまだったな。
白蓬も思いっきり労ってあげなきゃ。
夕暮れに人里の屋根が見えた。
安心したのも束の間、二人の目に思いがけない光景が飛び込んで来た。
村は棘のある塀で囲われ、入り口に分厚い門扉、その前で男が棒を振り上げている。
彼の足元に倒れているのはシンリィ。
「な、何やってる!」
先を行っていたフウヤが、馬を飛び降りて駆け寄った。
シンリィはフウヤを見るや、彼にすがり付いて、悲しそうな顔を門の脇に向けた。
そこの繁みに白蓬が身を横たえ、その首もとに、マントにくるまれたルウシェルがうずくまっている。
どうして!? 暖かいベッドで寝ている筈じゃ……
「こいつらの連れか?」
怖い顔をした男が怒鳴る。
「とっとと立ち去ってくれ」
「ど、どうして?」
「どうしてもこうしても、その娘は病気だろう。病気の他所者を村に入れられる訳ねぇだろうが」
「!!」
「こっちの羽根の奴も具合が悪そうじゃねぇか。早く消えろ、早く!」
「そんな、酷い!」
「フウヤ」
抗議の声を上げるフウヤの肩に、ヤンが後ろから手を置いた。
「あの、あそこの女の子はただの風邪です。疫病なんかじゃありません」
「お前は医者か、子供にそんなの分かる訳ねぇだろ! 村の掟で決まってるんだ。病気の者は一歩たりとも村に入れねぇ」
扉が薄く開いて、男の後ろから別の者達が、鋤(すき)や鍬(くわ)を持って現れた。
「まだ手こずってるのか。ってか、ガキ増えてるじゃねぇか。お前、殴るマネだけだからダメなんだよ、どいてな」
ヤンは慌てて、フウヤとシンリィを引っ張った。
「分かりました、行きます」
「ヤン!」
「行こう」
ルウを抱え上げて粕鹿毛に乗せようとしたが、驚く程冷えきっていて意識が無い。
すがるような気持ちで振り向いたが、男達は農具を振り上げて、岩壁のように立ちはだかっている。
項垂れて四騎はそこを離れた。
塀に沿って村を迂回し、山を下る。
ヤンがルウを抱えるように前に乗せ、ヤンの荷物も追加した粕鹿毛、フウヤ、シンリィが続く。
「酷い、酷い!!」
「フウヤ、仕方がない」
「何が!?」
「黒い災厄の時代なら、三峰も多分同じ事をした」
「・・・」
そう、黒い疫病が世界を苛んだ時代から、十年も経っていない。
傷痕がまだ膿んだままの村だってあるのだ。
(だけれど馬も疲れている。最初に見付けた平らな場所で天幕を張ろう。早くしないと雨にやられる)
また襲ってくる後悔と闘いながら、ヤンは自分を鼓舞した。
今を何とか出来るのは、自分達しかいない。
ガサ、と音がして、側方の藪が揺れた。
見ると、十歩ほど入った繁みに、カンテラを持った老婆が、腕を上げて一方を指差している。
「その枝道の奥に、使われていない猟師小屋がある。雨露ぐらいはしのげよう」
そう言って、蕗葉の包みをポンと投げて来た。
「熱冷ましじゃ。気休めにしかならんが」
「うぅん、ありがとう、お婆ちゃん」
フウヤが下馬して拾った。
「あの、ルウだけでも何とかならないでしょうか」
ヤンの言葉に老婆は眉間を険しくした。
「そう言って、たった一人の病人を受け入れてしまったが為に、村は悪魔に舐め尽くされたのじゃ」
「…………」
「一泊だけにしとくれ」
老婆は藪に消えた。
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