蜃気楼・Ⅴ
文字数 3,305文字
ガタガタと無遠慮な騒音に、トロトロしていたシドは起こされた。
何だよ、せっかく物凄く良い夢見ていたのに(内容は忘れたけれど)、また痛みに逆戻りだ。
「戻ったぞ、エノシラ。シドはどうだ?」
ルウシェルがマントを外しながら入って来る。心なしか、出た時よりも表情が明るい。
エノシラが答える前にシドが、「問題ありません」と声を出した。
「どうでしたか? やっぱり僕が行った方が」
身体を起こそうとモゾモゾするシドの傍らに、モエギは緩く結んだ布包みを置いた。
「スオウ教官からだ」
「??」
包みの隙間から黄緑の尖った葉が覗いている。
「あ、シロヤナギ」
エノシラが手を伸ばして結び目を解く。青臭い匂いと共に、色んな形の草や実が膨らんだ。
「ケシにニワトコ、ダチュラ、クラトム、ジギタリス……鎮痛作用のある薬草ばかりだわ、シドさん」
「へえ……」
シドが草の一枚に手を伸ばしかけると、エノシラはサッと包みごと枕元から取り上げた。
「痛み止めの中には、使い方を違えると大変な劇薬になる毒草もあるのです」
「えっ」
ルウシェルも慌てた感じで覗き込んで来た。
「どれだ? 里の者に注意を促さねば」
「そういう特殊な物が生えているのは大僧正様のお庭だけでした。スオウさんと一緒に里内を捜索したけれど、他では見られなかったです。大僧正家のご先祖様は、希少な薬草を取り寄せては庭で育てて、子孫に残して下さったのですね」
先程から玄関でガタガタやっていた物音が、一旦止んだ。次に、ワラワラと幾人かの動く気配と、廊下を歩いて来る一人の足音。
「輿(こし)のまま入っても良いと言ったのだがな。やはり玄関は通れなかったか」
ルウシェルが涼しげな目で部屋の入り口を見やる。
扉を潜って入って来たのは、多少台無しになった色男。でもまぁシドよりは大分マシだ。しかし注目されるのはそこではなく、背におぶった人物。
「だ、大僧正様・・!」
シドは必死で身を起こした。寝転がっていたら何を言われるか分からない。
「ああ、横になっていて下さい、シド教官。祖父が無理やり来たがったのですから」
スオウが申し訳なさそうに、わら半紙を丸めたような老人を、ルウシェルの勧めた椅子に下ろそうとした。
「よい、このまま下ろすのじゃ」
老人は、数週前に自宅ベッドで会った時と、声の調子が変わっていた。
下ろされた彼は、支えようとするスオウの手を離れて、プルプル震えながらも一人で立った。
「エノシラ殿ぉ・・」
(ええっ!?)
驚愕するシド。
困った顔のスオウ。
こめかみをポリポリ掻くルウシェル。
「おじいちゃん、無理しちゃダメよ!」
エノシラの言葉に、もう一度顎が外れるシド。
「何の何の、見てみなされ、このように歩けるようになったぞい」
老人は小刻みに震えながらも一歩づつ足を進め、後ろを心配そうに着いて来るスオウの手を最後まで借りずに、エノシラの所まで歩ききった。
「どうじゃ、もうそなたに弱虫だの腰抜けだの言わせんぞ」
「うん、凄いわ、おじいちゃん!」
固まるシドを尻目に、お下げ娘はおじいちゃんの肩を抱いて支え、何か知らんが感動的な場面になっている。
「あ――・・ エノシラは、庭に来る度に、祖父のマッサージもやってくれていたんだ。あと、庭に生えていた薬草と文献を見て、西風の妖精の身体に合った薬を調合してくれた」
スオウの申し訳無さそうな解説が、シドの耳を左から右に通り抜ける。
「シド、エノシラを責めてはダメだぞ。私らが驚かし過ぎたんだ。エノシラが具合の悪い病人を放って置ける訳ないって、私も知っていた筈なのに」
ルウシェルの言葉も、シドの胸を虚しく吹き抜ける。
自分は…………何をやっていたのだろう‥‥…
「ごめんなさい、シドさん。でも目の前に強張(こわば)っている手足があって、何故誰もあれに触れてほぐしてあげようとしないのだろうと。そう考えて、正直、西風の里全体がちょっと怖くなってしまったのです」
エノシラの言葉は、身体の痛みよりも心の芯にズンと響いた。
自分も子供の頃、彼女みたいに無垢にヒトの役に立ちたかった筈なのに。
いつからこんな、がんじがらめになってしまったのだろう。
まるで、歩いても歩いても辿り着けない砂漠の蜃気楼に拘るように。
***
元老院の聴取の場に、輿(こし)に乗った大僧正がいきなり現れたのに、老人達もビックリ仰天したらしい。
どうやら彼の動けない隙に、これ幸いと好き勝手をやっていた輩も存在したようで。
「エノシラ嬢は、昔の蒼の里の常駐者に負けず劣らず、西風の為に働いてくれておる。儂の身体をこのように癒してくれたばかりか、我が孫と協力して素晴らしき先人の知恵を掘り起こしてくれたのじゃ。そのような賢女に我が孫が惹かれるのは至極当然。むしろ慧眼と褒めてやりたい。何ぞ口挟みをしたい者はおるか?」
査問に呼び出されていたルウシェルは、ほぼ何も問われる事なく終了した。
厩係の少年の証言で、厩の前での質問に対するそれぞれの誤解も解けた。
そもそもエノシラは、スオウもシドも『教官』だという認識がなかった。彼女にとっての『教官』はサォ教官で、蒼の里に婚約者がいる話をどこかから聞いたんだろうぐらいに思っていたのだ。
***
夕刻の西日が細い窓から入る。
昔の宿屋跡の最奥の部屋、いまだ夢うつつに意識の戻らないモエギ長のベッド横。
椅子に腰かけたシドは、彼女の手首をそっと握って、指の付け根を一本づつ丁寧に圧している。エノシラに教わったのだ。
「マッサージとかツボ圧しとか、いろいろな理屈はあるんですけれど…… 結局の所ヒトの手からエネルギーを送る事が一番の効能ではないかと思うんですよ」
「エネルギー? 術の一種なのか?」
「さぁ、私は術力って奴がほぼ無くて…… 馬を低く飛ばせる程度? ……術とはまた違うと思います。心のエネルギーっていうか。まぁそれがいわゆる『手当て』です」
「ふうん……」
言っている事はふわふわしているが、この女性の指がえもいえぬ力を持っている事は確信している。それは……本当に、心を込めていれば、誰にでも出来る事なのだろうか。
窓の外で、子供が駆けて行く賑やかな声が聞こえる。エノシラの見送りに、相当の里人が集っている事だろう。
短い滞在期間にお産の世話をする機会もあり(本業が助産師なんて知らなかった、まあこれはお互い様か)、本当に沢山の友達を作ってしまった。
制作途上の薬草の調合資料は、スオウが必ず完成させると胸を叩いている。シドも古文書の解析等を協力し、大僧正の庭に出入りをする内に、あの側近の老人や、元老院の一部の者と、少しずつ雑談などもするようになった。
「シドは見送りに行かなくていいのか?」
さっき出て行きがけにルウシェルが声を掛けたが、モエギ様と一緒にここで見送りますと言って彼は残った。
この家にモエギだけ残してルウシェルが出掛けてしまう事はままあるのだが、今日みたいに里が浮かれている時にこのヒトを独りにする事が、シドは何だか嫌だった。
馬繋ぎ場の方で歓声が上がった。
エノシラが、ルウシェルの馬の後ろに乗せられて飛び立ったのだ。
粕鹿毛で三日月湖の手前まで送り、その後ナーガと引き継ぐと、鷹の手紙で打ち合わせている。
(ナーガ様は、忙しくて西風や元老院にかまける暇がないのではない。ユゥジーンやエノシラの作った空気を、自分の登場で壊してしまわないようにしているんだ。昔、大長様が、駐在員達のそれぞれに任せて尊重していたように)
シドは立って窓に寄り、夕空の馬上にたなびく三つ編みが小さくなって行くのを眺めた。
「僕も触ってみたかったな」
「何にだ?」
仰天して振り向いたベッドの上で、ほんわり開いたオレンジの瞳が見つめている。
「今、いつだ? 朝、夕方? とにかく喉がカラカラだ」
「モ、モ・・モエギさまぁ・・・・」
「なんだ、子供の頃みたいな声を出して。ちゃんと食ってるのか?」
シドはもう何も言えなくてベッドに突っ伏し、モエギの手は昔みたいに当たり前に彼の頭に乗っていた。
~蜃気楼・了~
~砂漠の閑話・了~
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