第19話 モダニズムを語る男 1993  晩秋 (2)

文字数 1,990文字

 初対面で「リートフェルト」の椅子の入荷を聞かれるのも珍しい。
が、さらに、「堀口捨巳の椅子」とは──。

「貴方は、映画監督の市川昆サンの作品は好きですか? 金閣寺の『炎上』とか、『横溝正史』の作品を監督して、また有名になりましたが。見たことありますか?」
と言う馮炳文に対して、

「いくつかの作品は見たことがあります。『八墓村』とか──。 陰影の撮影の方法が特徴的ですね。とくに縦と横の線が強調された日本間のシーンなど」 
シンスケがそう答えると、

「じゃあ、彼のタイトルクレジットやオープニングロールは気になりません?」
「あれは、『リートフェルト』ですよ。 あくまでも私見ですが」
馮炳文は薄い唇の口角を上げ断言した。

「貴方も、『リートフェルト』を好きなんじゃありませんか?」
その様なやり取りを思い出していた。

 改めて、三邑興業について調べてみることを藤川モモコに話すと、
「有名な会社で上場していれば『企業四季報』を見れば分かります。でも、そんなに大きな会社じゃないとすれば、『日本データバンク』で調べるか──、後は法務局で法人登記簿を取得すると分かると思いますが──」 という返事が返ってきた。

「案外、『企業四季報』に掲載されている会社でも、ボクらも知らないような会社名ってあるよね。自分の仕事に関係のない業種の会社って、存外知らないもんだよ」
そう言ってから、店に置いてあった東経済新聞社発行の「企業四季情報」を()ってみた。 残念ながら、それらしき会社名は無い。

「後は、『日本データバンク』か……。モモちゃん調べてみてくれるか」

「分かりました。連絡してデータを郵送してもらいます」
その様なやり取りから、三日ほど経って「日本データバンク」からの資料が届いた。

三邑興業(さんゆうこうぎょう)は、名証の二部に上場している会社ですね。業種はサービス・娯楽業です。創業は一九五五年。三邑不動産から映画・演劇などの娯楽産業に進出したようです。資本金は二億七千万円でスタートしたようです」 
との藤川モモコの説明に、

「高度成長期の不動産業で成功し、名古屋駅前にシネマビルを展開かぁ……」
「昭和の三十年代の初期だよなぁ。終戦から十年経ち、日本の経済成長の真っただ中だよ。その頃に不動産で儲けて、映画や演劇の興行に向かうってのは、その筋の方々とも付き合いがないとムリだろうなぁ」
シンスケの推測を交えた話を耳にしながら、

「そうですね。確かに馮会長の雰囲気からは想像できませんが、普通の会社の社長や会長さんとはまったく違う雰囲気がありましたね。インテリヤクザなんて言葉もありますし、年齢もまだ五十代でしょう?」
藤川モモコは、少し不安げな表情を浮かべた。

これまた探偵小説のキャストみたいじゃないか──。

ただ、シンスケは馮炳文が店を去る直前の
「月森さんの家に伝わるモノと交換するというのはどうでしょう?」  
あの言葉が気になって仕方がなかった。

 家に伝わるものと言えば──、
「Barber chair」と最近発見した「天目茶碗」、そして「ロザリオ」か……。

福珠宗海の次は、馮炳文か──。
大陸や台湾と関係することが、時計の針を巻き戻しながら断片的に目の前に現れる。
いったいどういうことだ!? シンスケは困惑していた。
妻を亡くしてからの、これまでの黄昏に満ちた彼の日常は、酷く慌ただしく変化してきていた。

 馮炳文がトロイメライを訪れてから一週間ほどが経った頃、まるで状況を察したかのように、福珠宗海から連絡がきた。

「月森さま、お祖父様、お父様の遺品についてェ 何かァ分りましたでしょうか?」
電話口から聞こえてきた南国特有の言葉の抑揚に、これまでの不思議な出来事に揺れ動いていたシンスケは、ある種の脱力感とともに安心感を覚えた。

「実は、こちらから、早急にご連絡すべきことがあったんです……」
シンスケは、トロイメライを訪ねてきた折に宗海に問われた「天目茶碗」が、父の使っていた李朝箪笥の中から見つかったこと。そして、馮炳文という人物が店に来店し、不可解な申し出をして帰っていったこと。などを()い摘んで話をした。

(ふう)……、炳文(へいぶん)ですかァ──。馮正如(ふうせいじょ)の関係者でしょうかねェ」
電話の向側で、そう呟いた福珠宗海は、暫くの沈黙の後、

「貴方に、すべてェをを語る時のようですねェ。近いうちにそちらに参りますよ」 
そう言って電話が切れた。

やはり、二人には何か繋がりがあるのか……。

「それにしても、三点会に三邑興業。どう見てもヤバイ組織だよな……」
(本当に、R・B・パーカーの小説みたいになってきたよ。マズイなあ)

──ワクワクしたページを(めく)るのは小説だけで結構だ。オレはスペンサーみたいに、あんなにタフでも、律儀でもない。

 兎に角、「天目茶碗」を持って、福珠宗海のいる沖縄を訪ねてみるか。頭で色々と考えるよりも早い。シンスケは自らのスケジュール帳を、急いで(めく)った。


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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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