第45話 夢の終わりは、やっぱりHard Boiled (4)
文字数 2,642文字
「はい、月森です」
電話の向こうから聞こえてきた親密な声音に、
シンスケは、福珠宗海が亡くなった時のことを思い出していた。
月森シンスケに福珠宗海の突然の訃報が届いたのは、二年前の初霜月とはいえ沖縄では記録的な暑さが続いていた頃であった。取る物も取り敢えず、シンスケは沖縄に向かった。
手にはしっかりと黒柿の共箱に入れられた『天目茶碗』が握られていた。月森家に託されていたこの黒い茶碗を、シンスケは福珠宗海に返そうと考えていた矢先のことであった。
霊柩の中の宗海は、糸満の丘から見る海のように、実に綺麗な顔をして眠っていた。
「遠いところを、よくおいで戴きました。宗海の息子の福珠健心と申します」
少し体が不自由なのであろう。ただ、杖を突いていたが、しっかりとした足取りで、
シンスケに丁寧に頭を下げた。その声は、宗海の訃報を知らせた電話の主であった。
シンスケは驚きの余り、言葉を失って彼の顔を見つめ続けていた。
「健心の妻の華と申します。とても、綺麗で穏やかな顔でしょ」
そう言って、棺に横たわっている宗海の頬を撫ぜた華もまるで別人のようだ。
その言葉で、シンスケはようやく我に返った。
「つ、月森シンスケです。宗海さんの息子さんと奥様ですか……。はっ、初めまして」
「こ、この度は、突然の訃報で…… お、驚きました」
シンスケは、それだけを言うのが精一杯であった。
二月の末に会った時と変わらず、まるで生きているようだ──。
健心に促され、シンスケは宗海の柩の足元に座った。そして、手にしていた天目茶碗をそっと柩の中に収めた。
「父はとても喜んでいると思います。月森様においで戴いて──」
そう言って、華の頬に零れつたう涙の流れとともに、弟子たちのすすり泣く声が聞こえてきた。
まったく、状況が一変していた。息子の健心は躰が少し不自由ではあるが、葬儀を仕切っている。そして、華も継承式で会ったときとは別人のように、夫に寄り添っていた。
「最後まで何も教えてくれませんでしたね──。」
柩の中で眠る宗海に、シンスケはそう語り掛けた。
福珠宗海と華との共有した時間は、まるで砂丘に流れる砂のように形を変えてしまった。
シンスケの頬には、いつの間にか涙が伝っていた。
また、ここでも『The Long Goodbye』 か……
福珠宗海が荼毘に伏されてから三日後の深夜であった。
「父が亡くなる前に書いたと思われる二通の手紙が、御本尊の広前に供えてありました。一通は華に、そしてもう一通は、月森様、貴方に宛てたものです」
福珠健心はそう言うと、妻の華と共に、奉書紙に包まれた封書をシンスケに手渡した。
丁寧に折り込まれた奉書の表には、見事な筆跡で「月森森介様」と記されていた。
無言のままそれを受け取ったシンスケは、道場の広前に置かれた宗海の位牌を前で、徐に封書を開いた。健心と華は、シンスケを一人残し、静かにその場を離れていった。
宗海が残したその手紙には、鄭氏と福珠家及び月森家の関りが、見事な筆跡で記されていた。
『 拙文にて逡巡しながら述べることを何卒お許しください。この手紙を森介様がお読みになられるのは、私が荼毘に付されてから三日が経った深夜であろうかと思います。
健心と華にはこのことを良く伝え、筆を執る次第です。
今思えば、私たち、つまりは私の一族は兎も角、貴方様のお祖父である月森鷹三様やお父様である森一様には、心ならずも必然とも思える縁により、鄭一族と関わることとなりました。
福珠家の当主の多くがそうであったように、私もまた、森介様とお会いする機会を得ることとなりましたのも、鄭一族の因縁ともいうべき力でありましょう。
この手紙の中で私自身が、それを明確に綴ることはできませんが、それでも私たちが出会うことになったのは必然であると申し上げておきます。
今を去ること三百年ほど前に遡ります。福珠の祖である陳家と、そして鄭家と田川家は中国の福建から台湾、そして海を渡り沖縄の地に辿り憑きました。
一般的な歴史認識では、五海商を束ねた鄭芝龍、そして息子の国姓爺・鄭成功とその長男鄭経、そして、鄭克蔵において長子男系は途絶えたとしておりますが、その血脈は、鄭成功の実弟の田川氏の一族と結びつき、現在の華に至っております。
鄭一族の血脈は、台湾の興亡を経て、琉球へと至り、大東亜戦争を経てもなお生き続けました。ただ、私の息子である福珠健心と華とに、鄭家の血を引く子供は生まれることはないと、覚悟をいたしておりました。が、雲外蒼天、…… 』
続く文言をすべて読み終わったシンスケは、その場に座り込んだまま、呆然とその手紙を握りしめていた。
福珠宗海の遺体とともに火葬された天目茶碗は、その形をとどめ灰の中にあった。
宗海の遺骨は、厨子甕と呼ばれる首里城の屋根を模した、やちむんの供養壺に収められ、
細かな骨灰とともに、天目茶碗だけが残された。
茶碗は灰を被っていたが、以前のままその姿をとどめていた。
健心は拾骨に使った渡し箸の先端で、その天目茶碗の見込み口を軽く打った。
すると、「チィーン」という澄んだ金属音が響き、漆黒の釉がかけられた茶碗の内側に銀色に輝く斑紋が星雲を思わせるように群れをなして浮き出した。青、いや青紫の虹彩が鮮明に耀を放ち、そして、見事な形で三方に割れると宗海の骨灰の中に沈んだ。
華がその三片を丁寧に拾い上げた。一つを宗海の骨壺に収め、一片を天目を包んでいた錦糸の布に包み、黒柿の共箱に収めるとシンスケに手渡した。
まるで茶碗が自ら望んだように三片に割れ、そのことを、健心も華も知っていたかのように振舞った。
「残った器の一片は、道場の御本尊にお供えしたいと思います」
と、華はそう言った。
告別式が終わると、福珠家の墓に案内されたシンスケは、その墓の大きさに驚いた。
「話には聞いていましたが、まるで石の家ですね」
健心は笑いながら、
「このお墓は昭和に入ってから建てられたものです。神墓は別にあります」
沖縄の墓の特徴はその形と大きさで、形は家の形をしている。
大きさもちょっとした家と同じくらいで、文字通り石造りの「死者の家」である。
「沖縄戦では、先祖の
華の話を聞きながら、明治から続く激動の歴史の中で、生き続けてきた血族の絆の強さを感じずにはいられなかった。