第3話 店の名前はトロイメライ『Träumerei』 『夢』という意味です(2)
文字数 1,986文字
── 仕事が終わると近くのコンビニで缶ビール。(残念ながらアムステルは売ってない)
と、いつも同じ顔をして棚に並んでいる海苔弁を手に取る。
そして、一人で遅い夕食を済ませるのが常になっていた。
職場では、スタッフが気遣うことを考え、なるべく明るく振舞うようにしていた。
ただ、一人になるとぽっかりと穴の開いたような、寒々とした
── 人はこんなに孤独に弱かったんだ……。
人間はいつかは死ぬ。それが早いか遅いかだけだ。
などと、妻を亡くすまでの彼は、達観した死生観を語っていた。
「酷くカッコ悪い……」
「スペンサー(ボストンの私立探偵)も恋人のスーザンと別れたときは酷かった」 と、
自らを慰めるように、棚に並んだR・B・パーカーの『スペンサーシリーズ』を横目に呟いた。
父、ましてや母が亡くなった時でさえ、このよう感情が湧くことはなかったのに。
──本当に一人になってしまった……。
こんな時、フィリップ・マーローなら
「ただ、酒や女に逃げることだけはするまい」 なんて言うんだろうか。
仕事が終わり真っすぐに帰宅する。マンションのドアを開けると、いつもキョウコの笑顔が飛び込んできた。まるで昨日のようだ──。
その仏壇に、今は三人の遺影が並んでいる。
「キョウコ、ただいま。父さん母さん、ただいま」
仏壇に手を合わせ、
「キョウコは、『苺大福』の方が良かったか?」 と、
「おはぎ」が三個入ったパックを仏壇に供える。
元気だったころ、彼女の薄桃色の頬とぽってりとした唇をみて、
「なんだか『苺大福』みたいだな」
シンスケがそう言って笑うと、
「私って、そんなに美味しそうかな!」
彼女は、撫でるとジョリっと音がしそうな髭が残るシンスケの頬に、桜色の頬を押し付けてきた。
「オレの最後を看取るって言ったじゃないか──」
今度は仏壇に向かって話しかける。心がぽっかりと開いている。
──まったくハードボイルドじゃない。女々しすぎるよな。
女性にはちょっと失礼か……。
そんな感情を塞ぐすべを未だに、シンスケは見つけられずにいた。
妻が好きだった黒ラベル。サミュエル・アダムスなら尚いいけど──。
プルキャップを引き上げると、星のマークを傾け彼女のビアグラスに注ぎこむ。
彼女がいなくなってからのルーチンワーク。
いつまで続ければいい?
適度に泡立った琥珀色のビアグラスを、丁寧に妻の指定席に置く。
シンスケは残ったビールの缶を目の前に差し上げ、
「かんぱい!」
そう言って、一気に喉の奥に流し込んだ。愛した妻へのいつものルーチンワーク。
一缶のビールで夕食を済ませると、シャワーを浴び眠るまでの時間を、音楽を聴いて過ごすのが習慣になりつつあった。愛する人との会話はもうない。
シンスケは「Jazz」をよく聞いた。
「SONNY ROLLINS」や「MILES DAVIS」などである。
やはりハードボイルドには「Jazz」だ!
──何故だかそうなんだ。
ただ、キョウコと結婚してからは、「浜田省吾」を聞くことになった。
彼女はデビュー当時からの「浜省ファン」で、彼女に、
「一押しのアルバムは?」と聞くと、
「やっぱり、『PROMISED LAND〜約束の地』かな」
小さな掌を頬にあてて、そう答えた。
「スペンサーにも『約束の地』はあるんだよ」
── 小説のことを彼女に話したことがある。
君が憶えていたら肯いてくれるはずだ。
シンスケが「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などを聞いていると、
「私たちにとっての『PROMISED LAND』は『Träumerei』ね」
そう言って、「僕と彼女と週末に」をかけてとリクエストされた。
── 長い曲だな……。そんなことを思いながら、聞くようになった。
そうして、いつの間にか「浜省」が、二人のCDレクション棚の一角を占めるようになっていった。
── 彼のこの歌を聴く度に思ってしまう。
たった一人の君を守ることもできなかった……。
マーロウやスペンサーのようにハードに生きれるとは思ってないけど──。
『 シンスケさん
ごめんなさい……。こんな病気になって……。
── 貴方の子供を産んで二人で育てること。
…… それをしてあげることが私にはできません。
その代わり、いつまでも貴方の側にいます。約束します。元気になって、
必ず二人の「PROMISED LAND」の「Träumerei」に戻るからね。 キョウコ 』
── 彼女からの最後の手紙を読み返す。
「オレと約束したじゃないか……」
やっぱり、オレには無理のようだよ。 ハードボイルド ──。