第20話 いらよい浜に月は上る 1993 臘月 (1)

文字数 2,094文字

 異国を感じる那覇空港に初めて降り立ったのは大学時代であった。
(あの時は春学期が始まる前だった……)
シンスケはその時のことを思いだしていた。

── そう、三月も終わりで、しかも沖縄である。まあ、薄着でも大丈夫だろう。そう思って上着を持ってこなかったのを酷く後悔した。風が強く、気温の割にはとても寒い。所謂(いわゆる)体感温度と実際の温度とは違うということを、初めての身をもって沖縄で体験した。

 十二月の上旬である。その記憶があったので、厚着をして飛行機のタラップを降りた。
「やっぱり、沖縄だ。思っていたより暖かい。いやいや、暑い!」 
南国だ! 月森シンスケは、思わず着ていたセーターを脱ぐと、オックスフォードシャツ一枚になり強い日差しに目を(しばた)かせた。
師走とは思えない沖縄の日差しを感じつつ、空港からタクシーに乗り込んだ。天目茶碗が入った茶色のボストンバッグを携え、彼は糸満へと向かった。

 福珠宗海がトロイメライ(Träumerei)を訪ねてきたのは、妻の三回忌の法要が終わった四月の中旬であった。あれから八か月が過ぎ、再び彼と糸満にある「南空院」で会うことになった。

 南空院は那覇空港から車で三十分ほどの距離にあった。小牧空港を十四時十五分の便で、定刻どおりに出発した。既に十七時三十分になろうとしていた。沖縄はまだ随分と明るい。

──名古屋では師走ともなると、十七時も過ぎれば暗い。腕時計のベルトに纏わりつく肌の汗ばみに、沖縄にいることを改めて感じていた。

「なるほど、南空院とは禅寺か──」
薄い朱色のテラコッタのような瓦葺きの屋根に、「金剛禅南空院」と大書された扁額(へんがく)が掲げられた山門の柱に時代の流れを感じながら、シンスケは南国の黄昏を楽しんでいた。

暫くして、
「お待たせしてェ、悪かったねェ」 
にこやかに笑いながら福珠宗海が現れた。

「暗くなるまでェは、まだ三十分以上は有りますな。寺を案内ィしましょう」 
そう言うと、山門をくぐり境内へとシンスケを誘った。

 宗海によると、南空院が福珠家の菩提寺であり、福珠家は、四百年ほどまえの明の末期に、中国福建省同安県の挙人であった陳鼎(ちんてい)を祖としていると語った。

「月森様はァ『陳鼎(ちんてい)』と『陳永華(ちんえいか)』という名ァを知っていますか?」
暫くの間があり、

「陳永華っていうと、あの鄭成功の軍師の? ……陳永華のことですか?」
シンスケがそう答えると、

「おお! そのォ陳永華ですよ。陳近南(ちんきんなん)とも呼ばれてェおました。陳鼎(ちんてい)は、その近南の父親ですわ」
 
 ── 明朝末期、陳鼎は同安県の、現在(いま)でいう教育長であった。清朝軍が進軍し、同安の県城を落した折、清軍に投降せず明国に殉じた。その時、息子の陳永華は鄭成功の基に逃れ、その後、天与の才を成功に認められる。その後、成功の長子である鄭経(ていけい)の師として鄭氏における諸葛亮(しょかつりょう)と言われるようになる。

「鄭成功は、あの近松の『国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』で知りました。高校の歴史の教科書で。最初、国姓爺ってなんのこっちゃ? という感じで」 
シンスケは笑いながら、

「陳永華についても、金庸(きんよう)という中国の作家の小説で知ってるんですが。『鹿鼎記(ろくていき)』という小説に、陳近南として登場してたと……」 
シンスケの話に宗海は肯きながら、

「成功の縁に繋がる()んは、現在(いま)も中国にィ()るそうですが、実は、福珠家は、その国姓爺・成功の長子の家系ォを守護する役目を担ってェきたんです」
宗海のその言葉に、

「ほおーっ……」 驚いたのか、感心したのか──
シンスケの口からは、なんとも表現できない溜息が漏れた。

 福珠宗海は、徐に肩に掛けていた帆布製のショルダーを降ろすと、
「その証拠の一つがァ、父の宗臣が月森鷹三様に託したァ『天目茶碗』だと聞いとォります。(ちまた)では『曜変』と呼ばれとるゥようです」
 と話ながら、ショルダーの中から、

「そして、もう一つがァこれです」 
と、如何にも中華風の縁頭と蒔絵が施された鞘拵(さやぞな)えの小刀を取り出した。

 ── 彼の手にした小刀は、陳永華が、鄭成功の直孫である鄭克蔵(ていかつぞう)に娘の季娘(りこ)が嫁いだ折に手渡した懐刀(ふところがたな)であるとのこと。成功の弟である田川七左衛門に頼んで、日本で打ってもらった短刀であるらしい。

「その証拠としてェさ、刀の(はばき)と呼ばれる鞘走留(さやばしりどめ)んにわァ『鄭』とその裏面には『陳』と名が彫られとりィます」 
宗海は静かに小刀の鯉口を切ってみせた。

刀身の作りは見るからに日本の時代劇でみる短刀である。(はばき)を見ると、そこには「鄭」と「陳」の文字が彫られていた。

シンスケは、まるで架空の物語を聞いているようであった。
これじゃあ、アメリカの探偵小説じゃなくて、横溝正史に近い。
── まだ殺人事件は起こってないが……。

TVの『歴史ミステリー』のような話の展開に、

「まったく、驚くことばかりです。が、抑々(そもそも)、福珠家と月森家に繋がる接点がまるで見えないのですが……」 
月森シンスケは、躊躇(ためら)わずに福珠宗海に投げかけてみた。

「これからんの話はさァ、長なりますよォ。是非、夕食をご一緒していただけませんかァね? このォ年寄りの話に付き合ってェ下さい」 
そう言って、福珠宗海は歩き出した。
沖縄の空が足早に暮色を帯び始めていた。
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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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