第36話 土と炎に魅せられる (2)

文字数 2,404文字

 松本幸は、二か月後に始まる「春の陶器まつり」への出品する雑器類の準備に、忙しく立ち働いていた。ただ、彼の脳裏からは、トロイメライ(Träumerei)で見た天目茶碗、あの「曜変」の耀(かがやき)が離れないでいた。
そして茶碗を眼にしたことに後悔をしていた。

曲がりなりにも作陶家として生きている以上、あの茶碗を見て心を動かされない者はいない。
親父が何かに取り憑かれたように、天目を焼いていた意味が分かった。

── 理屈じゃない。大変な器(モノ)を見てしまった……。
あの茶碗を見ることは二度とないのだ。忘れられるだろうか…… 
松木幸は、自問自答を繰り返していた。

陶芸家の父が亡くなって十五年以上の月日が流れていた。その時間が、松木自身の陶芸家としてキャリアであった。


「私を岡本窯で働かしてもらえないでしょうか!」
意を決して、社長である岡本長康に頼み込んだのは、幸が十八年勤めた会社を辞め、故郷に戻った涼秋(りょうしゅう)を心待ちにする頃であった。

 岡本窯は、彼が生まれ育った「やきもの」里である伊賀羽根地区で、歴史的にも知名度でも最も有名な窯元であった。その八代目の岡本長永(長康)は、地域をやきものの里として、さらに展開していきたい思いがあった。
そして、同じ地区の窯というだけでなく、幸の父親である松木栄明を陶芸家として高く評価していた。

 松木幸の祖父は黄聡明という。福建省の閩南(びんなん)出身で、台湾の陶芸家の「孫興文」の作品に惹かれ師事した。当時、孫興文は天目茶碗を多く作陶し、曜変の研究家でもあった。
聡明は、台湾が日本統治下にあった頃に台南に渡り、孫興文に学んだ。その後、日本が敗戦国となった後、妻の生まれ故郷の三重伊賀の羽根地区に戻り、やきものを生業として窯を開いた。
それが「桃興窯(とうこうがま)」である。
後に妻の松木姓を名乗り、松木聡明となる。

 幸の父も祖父の後を継ぎ陶芸家となった。父の名は栄明。
地域では職人気質で有名な陶芸家であった。祖父は伊賀の土にあった焼きものを作陶したが、
彼は白絵を得意とした。ところが、ある時期から「曜変天目」に拘り続け、亡くなるまで
天目茶碗を焼き続けた。

しかし、稲葉天目と呼ばれる「青嘉堂文庫美術館」に所蔵されているような器。碗の内側の漆黒の釉の中に、銀色にそして碧紫に輝く、星雲を思わせるリングが創出する作品を作陶することはできなかった。

 祖父は孫が生まれると、師匠の名前を一字貰い「興」とした。
が、後に興は、自ら「幸(コウ)」と改名する。

「曜変天目」に拘り続ける父の姿を見て、幸は陶芸家にだけはなるまいと決めていた。
それは、父が家族を顧みない職人気質で、気難しい性格のため、母が他に仕事を持って家族を
支え続けていたからであった。苦労し続けたその母の姿がいまだに幸の頭から離れないでいた。

 母は、彼が十六歳の時に働いていた給食センターで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
それ以来、幸は高校を卒業し家を出るまで、父親とはほとんど口を利かなかった。

 幸は高校を卒業と同時に大阪に出て就職した。自動販売機などを設置する会社で営業兼設置作業を担当し、夜はK大学の二部で経済学を学び卒業した。いずれ起業をしたいと考えていた彼は、職場はそのための金を稼ぐ場所であると割り切っていた。そして恋も遊びも自制して、金融や株取引などの勉強に時間を費やしてきた。

 記録的な猛暑が続く日の朝であった。突然、幸の部屋の電話が鳴った。

「松木幸(まつき さち)様でしょうか?」
いかにも硬質の男性の声が聞こえてきた。

「あっ、そうです。マツキ コウですが……」
早朝の電話に戸惑いながらも彼が答えると、男性は自らを名乗り、端的に用件を伝えてきた。

「分かりました……。お世話をお掛けしました。すぐ伺います」
彼はそう応えて電話を切った。

電話の内容は次のようなものであった。
「父親の栄明が、自宅の窯場で亡くなって発見された。至急、伊賀警察まで来てもらいたい。
遺体は警察で預かっている──。」 
担当者の淡々とした口調と同様に、驚くほど感情が揺れない自分に幸は寧ろ驚いていた。

父が亡くなった。いずれ、こんな日が来ると思ってはいたが……。
幸はボンヤリした頭で暫く座っていた椅子から立ち上がろうとした。
が、立てないでいた。──彼は母親のことを思っていた。

ただ只管(ひたすら)、父を陰で支えた母の細っそりとした横顔が浮かんできた。
途端に嗚咽が漏れていた。

「母さん……。父さんもそっちへ逝ったよ」
慟哭というのでもなく、滂沱(ぼうだ)の涙と表現するのが正しいのかもしれない。静かに、そして止めどなく涙が溢れてきた。幸は三十六回目の晩夏を迎えようとしていた。

 その日の午後、幸は会社に事情を説明すると十八年ぶりに故郷に戻った。
彼は大阪に出て以後、母の墓参りにも帰っていなかった。父の死から三日ほどが過ぎていた。

警察の担当官からは、
「丁度、お父さんが亡くなった日に、窯業センターで『陶器まつり』の打ち合わせがあったそうで、その会合に出席するはずのお父さんが出てこなかったらしいのです」
「──、メンバーの方が連絡を取ったが電話にも出ないとのことで、翌日に窯場を訪ねてみると──窯の前で倒れていた。ということです」

 すぐに消防に連絡が入り、救急車で病院に搬送されたが既に亡くなっていた。
警察は事件と自殺の両方を考えたが、事件性はないと判断された。

父の栄明は「自ら命を絶った」ということで結論付けられた。幸の父親を最初に発見したのは、近くで窯場を開いている「岡本窯」の社長であった。

岡本窯も、栄明の桃興窯も「羽根窯業会」に所属し、窯の代表者は皆そのメンバーであった。
幸が警察に安置されていた父の遺体を引き取る際に、

「岡本さんには、よォく、お礼を言って下さい」
「──夏の暑い盛りです。発見が遅ければもっと大変だったと思いますよ」
担当官はそう言って、クールな表情を浮かべ話を締めくくった。


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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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