第13話 蒼嵐とは言い得て妙 (2)
文字数 2,330文字
サーキットで有名な白子を越え、海を一望できる高台の住宅地に入っていった。
石田貴文は車を運転しながら、淡々と自分の近況を語った。
── 石田貴文は父親の後を継いで、四日市で特定郵便局長になった。
彼は石田家の三男であったが、長男は東京の一流商社に勤めていた。海外支店の部長などを歴任し、現在は仙台で支店長を務めていた。
次男は、嫁の父親が大阪の町工場の社長で、勤めていた区役所を辞めて養子に入った。
兄二人が父親の後を継がなかったため、結婚時に家を建てることを条件に、三男の貴文が郵便局を継ぐことになったのである。
「月森さんもご存じのように、母が死ぬと財産分与のことで、兄弟間で揉めまして──。というのも、兄貴、あっ長男ですが、『親父の十三回忌も済んだし、お袋の七回忌を最後に仏さんを永代供養しようと思うんだ』なんて、突然言い出しまして……」
流石にこれには、石田も次男も反対したらしい。
「う~ん。何処にでもあるもんだな……」
感心したような顔でシンスケは言った。
「兄弟のいないオレには分からないが……。君もいろいろ大変なんだ」
石田ご指定の店に向かう道中、そんなことを話していると、
「確かこの路のはずですが……」
石田は独り言を呟きながら、車は高台にある住宅街の狭い路を進んで行く。
ほーっ 石田にしては珍しいな──。大丈夫か!?
そもそも、こんな密集した住宅地に「珈琲の旨い店」なんてあんのか……。
などとシンスケが思っていると、
「あっ、ここだ。 ありました。ここです!! って……。狭い駐車場に、えらくでかいワイルド・キャット(通称山猫と呼ばれる四駆)が駐めてるじゃないか」
そう言いいながら、石田はワイルド・キャットを避けて何とか駐車した。
店は二階建ての洋菓子店のような建物であった。
ネオン管に、『あんずとなし』という店のサインが、正面入り口の
シンスケは車を降りると、店の入り口に向かった。
石田はというと、
「へーっ…『あんずとなし』って、杏と梨のことか? めずらしい組み合わせだな……」
シンスケは独り言ちし、石田の様子を横眼に、店のドアに手を掛けた。
冷くロックされた金属音に、
「あれっ……。休みじゃないのか!?」
思わず口にしたシンスケに、
「入り口はこっち。この階段を登った二階です」
ネオン管の脇にある木製の階段を、音を立てながら登っていった石田は、
「元々、店は一階にあって、その頃は一階の窓からも千代崎の海が見えたらしいです。
ところが、周りに住宅が増えちゃって、海の景色が見えなくなったんで、店を二階に移したらしいです」
と、後に続くシンスケに、このように説明をした。
階段を登り切った先にある木製の古いドアを開ける。カランコロンというドアベル音と共に入った店内は、曇り空にもかかわらずとても明るい。左壁面の大きなガラス張りの窓から差しこむ陽差しによるものだ。── 三メートルはあるだろうか。横長のガラスが嵌め込まれたカウンター席がとりわけ印象的だ。その窓のカウンター席には、曲木の椅子が七脚並んでいた。
──職業柄である。店の内装や家具にすぐに目がいく。 ──シンスケは、そう思いながら店内のテーブルやカウンターの材質、あるいは
すると、石田が声を掛けてきた。
「月森さん、相変わらずですね。職業病ってヤツですか?」
シンスケは、意図を見透かされたボストンの私立探偵ように、
「まあね──。」 と、少し眉を動かし、気取って口角を上げた。
──言うまでもない。本人はスペンサーを気取ったつもりだ。
店の奥のカウンターでは、二人の老人が何やら熱く語り合っている。
今の与党は、どうしょうもねえな。云々──。
けど、野党はもっと駄目だ。云々──。
(ああ……、下手クソなハードボイルド映画のセリフとシチュエーションみたいだ)
シンスケは恥ずかしくなって、横目でカウンター席をみた。
奥のカウンター越しに続く老人たちのやり取りに、肯きながら微笑んでいた品の良い老婦人が声を掛けてきた。
「いらっしゃい。あら、お久ぶりね。石田さん、何年ぶりかしら?」
「お久ぶりです。ママもお元気そうで何よりです」
石田が、ママと呼んだ老婦人が店主らしい。石田は彼女に挨拶すると、大きな窓のカウンター席にある
「どうです。この景色。素晴らしくないですか!」
石田が自慢するだけのことはある。
窓からは、眼下に展がる千代崎の海岸が一望できた。カラス越しに見下ろす街並みの先には、
薄青墨色の柔らかい空と、それに混ざり合うように太平洋の海線が展がっていた。
「地球が丸いということを改めて感じさせるなぁ──」
カウンターに手をついたまま、シンスケはその景色に魅入られていた。
海岸線の先には、黒い建造物が堤防と並行して並んでいる。
遥か海線にはタンカーと思われる輸送船が、二隻ゆっくりと横切っていくのが見えた。
「この景色だけでも、お金が取れると思いませんか──。」
石田貴文は、誰に言うとでもなく言葉にした。
曲木の椅子にゆっくりと腰を下ろすと、ギィと軋む音がした。
「この使い込んだ感じと、体重の重さを受け止める木の音がいいんだ……」
シンスケは椅子の
「とてもいい店だ」
そう言うと、自らも曲げ木の椅子に腰を
店の椅子はすべて「トーネットの曲木の椅子」であった。