第29話 天国(heaven)と名付けた男 (3)

文字数 1,834文字

 これまでのクールな振舞いの馮炳文にしては、めずらしいほど当時の状況を、身振り手振りを交えながらシンスケに伝えようとした。

……それにしても、
(馮炳文の父親が日本人で、それも名前がツキモリシン!? だってェ)
──それっ、ちょっとまってくれよ。オレの名前とかぶってるじゃないか!?

「三邑興業って、どう見ても反社の組織と繋がりはありそうだね……」
などと、藤川モモコへの軽口を思い出した。が、──そんなレベルの問題じゃない。

「月森さん、貴方には俄かに信じられない話かもしれませんね」
シンスケの混乱を気にする様子もなく、屈託のない炳文の言葉にシンスケは混乱していた。

当たり前である。
「えっ、ええ……」 ──とだけ、
答えるのが精一杯であった。

「私が貴方のお父さんの子供である。というには余りに無理があります。私が調べたところでは、月森シンイチさんは、一九二七年、昭和三年生まれですね。私は昭和九年の生まれですからね」 馮炳文のその言葉を聞いて、

「ああ、そう、そうですよね……」
心ならずも安心した口調で、なんとかシンスケは答えると、咄嗟に、

「ところで先日、馮会長が私どもの店においでになった折に話された、『ある品物』のことなんですが── それって天目茶碗のことでしょうか?」
思い切ってそう切り出した。

「…… 

!? ですか」
馮炳文は、明らかに戸惑ったような表情を浮かべた。

「あっ、いや違うのであれば結構です……」
「あのう……。馮会長が尋ねられたその後で、祖母や父の遺品を探して見たんですが、見つかったのが、茶碗だけでして──」
 
 シンスケは馮炳文がトロイメライを訪ねてくる少し前に、祖父や父の遺品のことを別の人物に尋ねられたと話した。話を聞いていた馮炳文は、シンスケの口にした福珠宗海の名を聞いた途端、悪戯っ子のように笑っていた彼の目元と柔和な顔は、それまでとは一変した。

そして、
「福珠宗海(フゥチュー ヅォンハイ ……)」 と呟くと、
馮炳文は話しだした。

── 馮正如が亡くなると、三邑グループは、正如の実弟が跡目を継いだ。それを機に炳文は三邑グループを離れた。馮正如は、早くから清朝打倒の中心人物になると考えた。それでアメリカに来ていた孫逸仙(そんいっせん)(孫文)に支援を惜しまなかった。結果的に、馮炳文は孫逸仙の中国を大同民主国にするという革命思想に触れることになった。ただ、炳文が直接かかわったのは、孫文の後継者である蒋介石と国民党政府である。

 孫逸仙(孫文)は、清王朝に対し反体制秘密結社である「興漢会」の首領に押されていた。この興漢会は反清復明を旗印に結成された洪門の結社である「哥老会(かろうかい)」、「天地会」、そし「興中会」の三派が合同して結成された秘密結社であった。

その活動の拠点はアメリカや香港、そして台湾のキリスト教会を隠蓑にした。カトリックのクリスチャンネームを持つ炳文にとっては、これも秘密結社に深く係わる一因ともなった。
ただ、三点会の福珠家の一族は、日本の軍部とも繋がりがあり、一方、馮炳文は蒋介石の国民党及び中国共産党との関係で、対立し抗争があった。互いに一族や同士を失ったのである。

「福珠家とは、組織同士の争いが多くありましたね」 
一点を見つめた炳文の口から次にでたのは、シンスケへの
「貴方の一族も「三天会」と関わりがありましたよ」 
という言葉であった。

馮炳文は唐突に話題を変え、
「私が探している

とは指輪です。おそらく、これと同じ造作(つくり)の」
ある種の思いを振り払うかのように自ら胸元を開くと、首のシルバーチェーンに吊るされた指輪をシンスケの目の前に示した。

「これは私の父、本当の父です。彼が、母に贈った指輪です。このリングには母の名である「Shin」が刻まれています。そして対のリングにも父の名前の「Shin」があると聞きました。その指輪の存在を貴方は知っているはずです」 
炳文はそうハッキリと言葉にした。

「実は、炳文という名前も自ら名付けたのですよ。天国(heaven)から取りました。正如と決別するためにね」 
 
馮炳文との会食は、傍らにいたボディーガードへの合図で終わりを告げた。

「月森サン、また、お会いしましょう。よい商談ができることを期待しています」
普段見せる無邪気で少年のような笑顔はそこには無かった。

渇望…… 悲しみ!? それとも、愛情か……。
馮炳文の父親に対する感情の(ひだ)を、月森シンスケは何故か、理解できるような気がして彼を見つめていた。


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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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