第11話 『Barber chair』で見る夢は……(2)

文字数 2,431文字

「社長、これって『床屋さん』で使う椅子ですよね」 
「古いけどデザインがとてもモダンで素敵!」 

店の二階に運び込んだ「Barber chair」を見るなり、
藤川モモコがそう言った。

「祖父の代から家にあった『Barber chair』なんだ。大正ロマンの香りがしないか?」 
 
 ──この椅子なら間違いなく、マーローやスペンサーも髭をアタルに違いない。

「そう、『理髪店の椅子』だよ」
「──かなり重いよ。家庭(いえ)の座敷や応接室に置くと床が抜けるかもしれない」

「ええ〜っ。社長の家から持って来たんですか! 社長のお宅って、以前は鉄工所だったんでしょ。まさか、お祖父さまのご趣味ですか?」 
そのモモコの問いに、

「う~ん……。よく解からないんだ。なんで、祖父がこの椅子を大事に残していたのか」
シンスケは改めて不思議そうな表情を見せ、

「この『Barber chair』はおそらく、特注品じゃないかと思うんだ」 
さらに、
「椅子をリペアして解かったんだが、足掛けの部分の模様の真ん中に、『KANAE』という文字が彫られているんだ。頭には□の中に△のロゴ。それらの部分は鋳物で創られている」
彼女にこう続けて説明した。

「『KANAE』って!? ブランドの名称か何かですか?」
モモコが尋ねても、彼は眉を寄せ、腕を組んだままブレザーの金ボタンの縁を撫でている。

「社長、『Barber chair』で思案しているなら、丁度いいわ。床屋さんに行ってらしたら? 結構、酷い顔していますよ」
モモコにそう促されて、シンスケは、ハッとして眉と口角を歪めた。
そして、恥ずかしそうに顎を撫ぜると、彼女に(うな)いてみせた。

 月森シンスケには幼いころからの行きつけの理髪店があった。店の名は「ピンク」理容店。
最近はメンズサロンとかヘアーサロンとかの名称が多いが、何とも昭和チックでいい。

 ── まあ、間違いなくスペンサーのいるボストンにはないと思う。

今も七宝町の小切戸川の近くで営業している。トロイメライから県道155号を蟹江方面進み、
小切戸川を渡り最初の角を左折する。すると赤とブルーの帯が回転するBarber's Poleが見えてくる。祖父の鉄工所はこの近くにあった。

──当時は床屋であったが、祖父もこの「ピンク」理容店を贔屓(ひいき)にしていた。

親爺(おやじ)さん、予約も無しに来たけど大丈夫?」 
そう言って、シンスケは店のドアから顔を覗かせた。

「おっ、シンちゃん! いいよ。いま一人済んだところ。一月振りかァ!?」
嬉しそうにシンスケを中央の「Barber chair」に促した。

 月森シンスケは、床屋の歴史と「Barber chair」について、この六十代後半になる店主から教えてもらった。

 ── 理髪店を「床屋さん」と呼ぶのは、1200年代に采女亮(うねめのすけ)という人物が武士の月代を剃って髪結業(かみゆいぎょう)を行ったのが始まりとされている。その髪結を床の間のある部屋で行ったといわれ、髪結店には「床の間」が設けられた。つまり床の間のある店が「床屋」になったという説である ──

「日本の床屋の椅子の歴史は、明治から始まったんだ。武士が『ちょん髷』を落として、残バラ髪になったことで、床屋は、西洋式の理髪業になり、そうなると、椅子が必要となるよね。当時は日本製の椅子なんかないからさ」 
耳元から後頭部に滑るようにハサミを使いながら店主はさらに続ける。

「武士が髷を切った頃、理髪業で有名だったのが、アメリカの『コーケン』という会社。『Barber chair』だけじゃなく、シェービングマグやバリカン、更に櫛やホーローの台などの商品も扱っていたんだぜ」 

シンスケが中学の頃、ピンクの親爺さんから何度も聞いた話だ。

── コーケンの「Barber chair」は寝起き機能を備えた四本足の椅子で、ハードメイプルの枠にラシャ張りのクッションが嵌め込まれていて、とても豪華なつくりになっていた。
それを真似て、大正十年創業の大阪の鋳造所が、「ベルモント」という会社を設立し、その四十年後に「コーケン」を買収し、理髪業界では、世界の市場の九割を占める大会社に成長したのである。

「『ベルモント』の創業当時、知り合いも何人かその会社に入ったよ。理容椅子を作るのにね。 この辺は鉄工所が多かっただろう。ほら、鋳物の小さな工場とかさ」

 シャキッ、シャキッ、シャキッ、髪を切る心地よい音が響いてくる。

「ところで親爺さん、何でこの店『ピンク』って名前なの?」
 シンスケが唐突に聞くと、

「え〜っ、話してなかったかい!? 最初この店は二人の姉が始めたんだ。だから『ピンク』」
「この店の名前は、シンちゃんの祖父(じい)さんがつけたんだぜ」

「ええっ!」 
店主の答えと、祖父のセンスに思わず吹きだしそうになった。
そのシンスケの様子に目尻を下げ、

「君の祖父さんは、如何にも明治生まれって感じだったけどね」
と言うと、一呼吸おき、

「シンちゃん、あっ、君の親父(おやじ)の方のシンちゃんね。あの人は文学青年って感じでね。若い頃は、映画の脚本やシナリオを書きたかったらしいよ」

「ほら、『炎上』という映画知ってる? 三島の『金閣寺』を題材にした。あのシナリオと映像が好きなんだ──。なんてよく言ってたよ」

親爺(おやじ)さん曰く、
「モダニズムって言うのは、日本独特の情念みたいなのを否定してクールにカッコよく生きることなんだ──」
とか、父の森一(しんいち)は言ってたらしい。

「あっ、それからね、シンちゃんの父さん、よく仕事に詰まってくると、髪切りにきてね、うんがい…… えーっと、うんがい…… 何とかって言ってたな」

「それって何だよ!?」って、店主が聞くと、

「雲もいつかは、晴れる。──ってことさ」 と、森一はそう答えたらしい。

「『それじゃあ、植木等の歌か映画みてぇなもんか』って言うと、シンちゃん苦笑いしてたなァ──」

シンスケの知らない森一がそこにいた。
軽快に滑るハサミの音が響いていた。

シンスケの意識は次第に…… 遠のいていった。

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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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