第25話 国姓爺異聞 ── 瀧を昇る鯉 (3)

文字数 2,316文字

 退山した五元は、厦門(アモイ)に到着すると、かねてより指示されていた船主を訪ねた。劉福という船主の持ち船を使って台湾に渡ることになっていたのである。

「お坊様、あんたも延平郡王(えんぺいぐんおう)さまの所へいくのか?」 
五元は乗船した途端に、雑役水夫の老人に話しかけられた。

「延平郡王? ああ国姓爺のことですか。私は、つい先頃まで、少林寺におりましたので世情に疎い。できれば少し、高山国(台湾)の情勢をお聞かせ願いませんか? 」 

 五元は、阿清(あせい)と呼ばれる雑役水夫の老人に話を聞いた。阿清という老水夫は、名を遼清竹(りょうせいちく)といい、船の仲間からは、親しみを込めて阿清と呼ばれていた。
中華では古くから名前の前に「阿」をつけて親愛感を現す風習があった。

阿清老水夫は、「反清復明」の旗を掲げ、孤軍奮闘する鄭成功の物語を、まるで自らが見てきた様子で五元に語った。それによると現在、高山国は台湾と言う。

鄭成功が急逝した後、この厦門を治めていた長子である鄭経が延平郡王として統治し、それを支えているのが「東寧総制(とうねいそうせい)」の陳永華ということらしい。

「僧侶よ。あんたは洪門(ほんめん)か?」 
阿清は五元にそう尋ねると、

「わしら水夫の多くは『会』に入っている」
「困ったことがあると、『会』の兄弟たちが助けてくれるからな」 
そう言った。

「会」への入会は「挿血為盟(そうけついめい)」あるいは「飲血為盟(いんけついめい)」、所謂、互いに血の盃を交わすことで認められた。日本でいえば任侠組織における「義兄弟の盃」と同じであると考えれば解かり易い。
特に大陸から移住した漢人は、当時、単身の男子が殆んどであった。そのため、義兄弟の契りを結ぶことで清国政府への対抗意識と、家族的な団結が異郷の地で生きていくための社会的、経済的な方途となったのである。

 一説には、洪門の創設者は、鄭成功であるとされ、香主が陳近南、則ち「陳永華」であるとされている。後に、この組織がより過激になるのは、南少林寺が、清朝から弾圧され、清軍によって焼き払われたからである。生き残った僧が各地に散り、地下に潜って思想を広めたのである。
「会」の精神的支柱となっていたのが南少林寺であるらしい──。

「なるほど。それで合点がいった。寺と鄭家とはそのような関係であったか」 
 阿清の話でようやく五元は自らの役割に気が付いた。
七年の間、少林寺の隔離された修行の場で、只管(ひたすら)修行に励んできたのである。

その目的が──、
師は洪門か。そして我も洪門の一員として、台湾の陳氏の役に立てということか……。
五元は、急に生臭い俗界の匂いを感じ、眉間に皺をよせ剃髪した頭を掻いた。

 五元は、陳永華を訪ねるとすぐにその足で娘の李娘(りこ)の住む館に案内された。
「よう来て頂いた。五元どの。私は、雲雪様からの手紙を読むにつけ、まるで我が子の帰りを待つ親の気分であった。まさに、倚閭の望(いりょのぼう)のごとくです」 
そう言って、陳永華(近南)は、『戦国策』の一文を挙げ五元を歓待した。

その言葉通り、永華は五元を一日千秋の思いで待っていた。
それほど陳永華の置かれた立場は切迫していたのである。

「着いてすぐではではあるが、その足で娘の館に向かってはくれまいか」 
五元が返答をする間もなく、側近の者が案内に立った。
陳永華により、早々に引き合わされた娘の季娘は、現在の台湾の監国である鄭克蔵の夫人であった。

「禅師さま、急ぎ立てをし、申しわけありませなんだ。許してください。」
その様に挨拶をした李娘は、涼やかで鼻筋の通った、いかにも聡明な面立ちであったが、顔が酷く青白く血の気が薄かった。

懐妊しておるのか…… 咄嗟にそう判断した五元は、
「姫様、大切な御身体。御身をご自愛なさいますように」と、
すぐさま挨拶を返した。

五元は、寺での修行において人体に三六○余りあるとされる「経絡経穴」を学び、漢方の処方から観相や易に至るまで森羅万象の理を学んだ。そのため、男女問わず見ればある程度の好不調を見抜くことができた。

「禅師には、何でもお解かりになるようですね……」 
季娘はそう言うと、

「では、私から一つ尋ねたい。禅師様は、蘭人が信じる『神』というものをどう思われます?」
そこには、李姫の引照するような好奇心に満ちた眼差しがあった。
この姫は思った以上に聡明であるようだ──
 
「う~ん。いやはや何とも」 
五元は思わず独り言ちると、

「他の高僧の方々に比するような答えは、私のような愚僧にはできません」
「が、蘭人のいう『神』について問われれば、『わかりません』と申し上げるしか御座いません」 
五元は少林寺で修行するに至る自らの生い立ちを、陳永華の娘に聞かせた。

「姫様の質問には、今の私には、こう答えるより他ありません」
「今だに、解らないと」
李姫は、五元の返したその言葉に、浮かせた腰を深く椅子に沈めて深い溜息をついた。

「ただ、私の南少林寺では、達磨大師の悟りに至った禅に基づき、森羅万象の真理を理解し、仏陀の教えを身の内に宿すという修練を致します。その中の一つが『金剛経』であり、『少林拳』と呼ばれる体術です」 

「姫様、仏陀は私たちと同じように、自分が存在するとはどういうことか? を考え、その問いに向き合いました。その結果一つの真実にたどり着いたと、『金剛経』には記されています。それは、自分という実体はこの世の中にはどこにも存在しないということです。これを仏陀は『空』と名付けました」 
五元はそう答えた。

「解かったような…… 解らなかったような……。 でも楽しかった。禅師、有難う。
またゆっくりと『金剛経』の話をしてください」 

──「金剛経」とは、「金剛般若波羅蜜多経」の略称で、
                「般若」とは仏の智慧(ちえ)のことを表す ──
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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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