第42話 夢の終わりは、やっぱりHard Boiled (1)
文字数 2,653文字
ただ、いつもと違うのは、彼は意図して夢を見ようとしていた。
──どうしても杏梨(シンリィ)にもう一度会いたい。
そう決意して、音楽を流しながら「Barber chair」に横たわっていた。
季節は晩春の深夜で三日目の夜であった。
「早いものだな…… もう晩春か、そういや、別の季語で頬白(ホオジロ)とか言ったな。
メジロのような鳥かぁ? 目の色が白いのと、頬が白いとの違いとか──」
などと思っていると睡魔が襲ってきた。
暫くすると自らの寝息が微かに耳元に聞こえてくる。
そう思っていると意識が遠いて、微かな寝息も沈んでいった──。
シンスケは狭路に隣接して建てられたビルの階段の前にいた。
間違いなく憶えがあった。
「シンリィの部屋があった場所だ!」 シンスケは思わず口にした。
部屋のバルコニーが路に張り出している。バルコニーは、路面から伸びる柱で支えられていて、下は人が行き交う歩道になっている。中華独特の様式(騎楼、或は飄楼)の路地と建物が一体となったような街並みが続く。
シンリィは、その通りを「
見覚えのあるビルの階段を上がると、部屋が三つある。その北側の一番奥がシンリィの部屋だ。
シンスケは、迷わずペンキがはげ落ちた白い扉を叩いた。
返事がない。何度も叩くと、扉の緑青が浮いた真鍮のドアのノブが音を立てた。
僅かに開いた扉の隙間から、女の顔が覗いた。
「シンリィ!」
シンスケは思わず声を掛けた。扉がゆっくりと開くと、大柄の髪の長い女性が顔をだした。
年は三十代であろうか、如何にも夜の仕事をしている雰囲気が漂っていた。
腫れぼったい眠そうな眼で、「シンリィ!?」と問い返してきた。
……シンスケは途方に暮れて街をさまよっていた。
「小さい頃は、こんな綺麗な通りではなかったのよ」
彼の腕を抱え込むようにして歩きながら、
この通りは大中路とか── 確か、この路を西に進むと海岸に出るはずだ。
シンスケは、彼女との記憶をたどりながら海岸に出た。海を隔てて、折り重なるような明かりが見える。おそらく、
──ここは間違いない。
シンスケが今まで見てきた夢とは明らかに違う。
それは、彼が意図してこの時代の厦門に来ているということだった。
彼が経験したタイムトリップは、偶然にも「Barber chair」や飛行機の座席で、眠っている時に起こった。当然、それらは自ら意図したものではなく、偶然に引き起こされた現象であった。
しかし今回は、シンスケ自身が十分な意図をもって、「Barber chair」で眠りについたのである。
どうしても彼女(シンリィ)に会いたい──。
その思いが
(かなりヤバイ。まるで漫画の少女に恋しているのと変わらない)
石田に話せば、眉間に皺を寄せ、しかも最高にクールな眼差しで、
「二次元の女性との恋愛ですか!?」 と言われるに決まってる。
「まったく、最近のオレはどうかしてるな」
そう独り言ちし、シンスケは自らの感情に恐れさえ感じていた。
しかし、シンスケはもう一度、杏梨に会いたかった。
そしてできるならば、杏梨のいる時代に留まりたい。──とさえ思うようになっていた。
波の音が聞こえ、目の前に折り重なるような鼓浪嶼(コロンス島)の街灯が見えた。その海に揺れる灯を見つめていた時であった。
「おい、こんな所で何してるんだァ!!」
突然、シンスケの耳に男の声が響いた。振り向くと波止場の前灯で男女が言い争っている。
「離して!」女が懇願するように男の手を振りほどいた。
その声にシンスケは思わず叫んだ。
「シンリィ! シンリィ!じゃないのか!」
突然現れたシンスケに、杏梨は驚いたまま立ち尽くしている。
「シンリィ、シンリィだろ! どうしたんだ!?」
シンスケの声に、漸く状況が把握できたのか、
「シンさん!」
杏梨はそう言うと、男がシンスケに気を取られている隙に掴まれていた手を振りほどき、
シンスケの胸に飛び込んできた。
彼女の匂いだ。間違いなく杏梨だ──。
同時に、ゆったりした胡服にパンツ姿の彼女の下腹部が少し膨らんでいるのに気が付いた。
ええっ、妊娠しているのか!?
すぐに彼女の少し膨らんだ袍(パオ)に目をやると、
彼女は、
「こどもができたの。貴方の──」 嬉しそうに耳元で囁いた。その時である。
「
○!※□◇#△! ?? ヤバイ。それも可成!
男の声の雰囲気で、かなり面倒な展開であることだけは、シンスケにも理解できた。
下手に相手をすると面倒になる。
そう思っていると、杏梨が突然シンスケの右手を掴み走り出した。
浜辺に小さなボートが乗り上げている。杏梨はそこへ向かおうとしていた。
砂浜を照らす、
「
杏梨は息を切らしながら叫んだ。
砂粒に足を取られながらも、互いを庇いながら必死に走った。
彼女がボートに足を掛けようとした瞬間──。
「パン!パン!」
乾いた破裂音が二度響いた。
杏梨がボートの中に前のめりに倒れ込んだ。
「シンリィ!!」
「マジか!!、撃たれたのか!?」
──くそっ! こんな時にスミス&ウエッソン(スペンサーの銃)でもあれば!
そんな馬鹿な考えが頭をかすめる。
「なんなんだ!! この展開は!! ハードボイルドはもういい!」
シンスケは怒りに任せて大声で叫んでいた。
そして、渾身の力でボートを押し出すと自らも飛び乗り、無我夢中でボートを漕いだ。
気が付くと鼓浪嶼(コロンス島)の灯が波間に輝いて揺れていた。
シンスケは杏梨を抱き上げると、
「シンリィ! しっかりしろ!」
シンスケの言葉に、
「どこへ行ってたの……。でもきっと来てくれると思ってた……」
杏梨(シンリィ)は苦しそうに微笑むと、
血の気が引いた手で自らの腹部を愛おしそうに撫ぜた。
その頬の白さと、息絶え絶えに呟く
頬の白さと指にあるリングが月光で輝いていた。
シンスケはその手に、自らの手を重ねた。
互いのリングが重なって