第4話 夢が夢だとは限らない ── 1931 臺北 (1)
文字数 2,747文字
そう思いながら、風に
『
新聞にはこのような見出しの文字が、大きく踊っていた。
『
『
「昭和六年十二月五日……。」
「えっ!? しょっ、しょうわ六年…… 十二月!?」
思わず口にすると慌てて彼はあたりを見回した。
男の名前は月森シンスケ。1945年生まれの彼は、気が付くと見知らぬ
「ここはどこだ!?」
東京駅に似た建物だが、明らかに違う場所だ。日本か!?
足元に眼をやると石畳が広がっている。そして、建物の入り口と思われる石柱門には、日本国旗が飾られていた。行き交う人々の日本語に混って、他のアジアの言語も聞こえてくる。
間違いなく日本のどこかの駅舎であろう……。
眼の前に見えるのは、おそらく駅のロータリーである。ロータリーの中央は、石柱で囲まれ小さな公園になっている。そこには大きな台座があり、椅子に座り、足を組んだ人物像があった。
近づくと座像の台座には、
『
月森シンスケの思考は停止したまま、その台座の文字をなぞるように見つめていた。
すると、微かに柔らかい暖色の光を感じて時の経過に我に返った。
── ガス燈の明かりだ。
「えっ!? ガス燈!?」
台座のある小さな広場からは、陽が沈む方角に真直ぐに道路が伸びていた。路面の両端には点々と続く
── 間違いなく時間が流れている。
月森シンスケはそう感じながら再び建物を振り返ると、駅舎の正面から左右に翼を広げたように、等間隔で小さな石柱が並んでいた。
「駐車スペースであろうか……」
クラウンロゴの黒いセダンや、
「えっ、普通、駅前のロータリーは、バスの発着場かタクシー乗り場だろう!?」
ここでは人力車か──!?
── どうやら、明治や大正時代をモチーフとしたテーマパークらしい。
そう考えていると、ほどなく人力車の車夫から声を掛けられた。
「
「北町? それとも
シンスケはその声に、振り向き様に声を掛けた。
「ここは、何駅ですか?」
突然の問いかけに車夫は驚いたように眉を
「珍しいお人だねぇ。旦那、駅間違えたの!?」
「ここは
と、車夫の威勢のいい声が続いた。
その時である。人影が眼の前を横切った。わずかに左足を曳くような後ろ姿。薄墨色の雲の隙間から、微かに漏れる陽の光で、少し猫背な影が長く伸びていた。
── その影には記憶があった。
真直ぐに西に伸びる舗道を、影は揺れながら動いていく。まるで街灯の明かりに導かれるように人影は遠のいてった。シンスケが咄嗟に追いかけようとすると、
「ちっ、挨拶も無しかい!」
車夫の舌打ちがシンスケの耳に聞こえてきた。
「ごめん! 今度使わせてもらうから」
反射的に返事をした。こんな
気がつくと、
── チャイナタウンで見かけたような六角、いや八角か!?
兎に角、多面的な煉瓦造りの大きな建物の前に立っていた。建物の入り口には大きな
辺りはとっぷりと暮れはじめ、すでに薄暗い闇に包まれていた。目の前の暗い煉瓦造りの建物とは対照的に、向いの路地からは、赤や黄色の光が漏れてくる。その大仰しく瞬くネオンの路地からは、女の
シンスケは、声のするネオンの通りへと入っていった。あの人影が、その路地へと曲がった気がしたのだ。恐るおそる、原色の電飾が点滅する狭路を奥へと進んで行く。すると、
── その時である。シンスケの身体は大きく横に揺れた。
そして、突然に人混みの中に引きずり込まれた。
ガツン!!──。
鈍い音と痛みをともなった衝撃が襲った。
その瞬間。コールタールで舗装された黒い地面が、目の前に現れた。
フィリップ・マーロウやスペンサーも、こんな
ようやく夢は終わりだな……。
視界は白く遠のき、シンスケは意識を失った。
「おい! きみィ! しっかりしろ! 大丈夫か!?」
耳元で誰かが呼ぶ声が聞こえる。
(へへっ。 夢でも殴られると痛いんだぁ……)
「オイオイ。殴られて、気ィ失いながら笑ってるヤツァ初めてだ」
「コイツ頭でも打ったか?」
耳に入る声に、シンスケは思わず口元が緩み自然に口角が上がっていた。
「二人がいてくれてよかったョ。助かったァ。ツキモリセンセイ。それにフクさんもョ」
「そうでなけりゃ、この店もめちゃくちゃだったョ」
店のオーナーらしき男の声に、
「喧嘩を止めたのは、福さんだよ」
「それにしても、福さんは相変わらず、すごかったね」
── つきもりせんせい……? ふくさん!?
「福さんの
と、男の声が聞こえてきた。
それはとても懐かしく聞き覚えがあった。
そう、小さい頃に聞いた声だ ──。
男たちの話し声は、シンスケの耳の奥で囁くように絡み合う。
そして静かに沈み込んで消えていった。