第40話 沖縄譚 (3)
文字数 1,620文字
その日、福珠宗海は、糸満の道場で男と対峙していた。
男の身長は180㎝を優に超えている。対する福珠宗海は160㎝そこそこの初老の人である。
体重差においては、40㎏以上はあるであろう。到底、唐手家同士の試合とは思えない。
まるで異種格闘技の試合のような雰囲気があった。
立ち合い人には、各々一人づつ。宗海には華が、男には空手着姿の若い男性が付いた。そして、審判は、泊手沖縄拳法の総師である山崎氏が務めた。
二人は流れるように、互いに道場の中央まで進むと、自然に対峙する姿勢になっていた。
男は実践空手特有の前傾姿勢のボクシングスタイルに構えを取っている。
一方、福珠宗海はというと、拳を軽く握ると両腕をゆっくりとクロスさせ、三戦(サンチン)の姿勢で対峙していた。
張り詰めた緊張感に、静かな沈黙が流れていた。
突然、ピンと張った琴の糸を弾いたかのように、
「はじめぇ!」
山崎総師の合図が道場に響いた。
その瞬間、宗海の躰はゆっくりと誘うように左足を後ろに引くと体重移動した。
男は前後左右に軽やかにステップを踏む。サウスポースタイルで、左の前蹴りから左上段への廻し蹴りへと変化させ最初の攻撃を仕掛けた。
男の左の上段蹴りが、福珠宗海の顔面側頭部を捉えた瞬間に、宗海の躰が僅かに後方に動いた。廻し蹴りは空を切った。
男は予想していたかのように、すぐさま独楽のように躰を反転させると、右の後ろ回し蹴りを放った。宗海は右の掌打で男の蹴りを跳ね上げた。男は後方に大きく跳ね飛ぶと、態勢を整えるために、拳を強く握り直した。
「先生(シンシィ)、流石やーねい」
男は不敵に口角を上げた。
男は再びサウスポーで素早く間合いを詰めると、宗海に躰を寄せ、ジャブからワン・ツーを放った。まるでフェンシングの突き(トゥシュ)を思わせるステップとスピードであった。
「速い!!……危ない」 山崎が呟いた。
互いの躰が交差し、男の強烈な正拳が宗海の腹部を襲った。
山崎が眉を
宗海の腹部に男の強烈な拳がめり込んだ。その途端に、つきたての餅を叩いたように、腹部に吸い込まれた拳は瞬時に跳ね飛ばされた。李拳法の内勁であった。
体勢が崩れた男は、強引に躰を踏ん張ると、やみくもに宗海の顔面を目掛けて拳を振り回した。
宗海はその拳を寸毫で
そして姿勢が崩れた男の耳元に、宗海の右の掌打が襲った。その瞬間である。
「パン!!」 という破裂音とともに、男は床に前のめりで倒れた。
男は宗海によって鼓膜を破られ失神した。真に一瞬の出来事であった。 ──
試合を終えた宗海は静かに広前の御本尊に一礼をし、山崎総師に深々と頭を下げた。
「宗海先生、あれが五元禅師が伝えた内勁、震打という技ですか……」
山崎総師は、興奮冷めやらぬ面持ちで、福珠宗海に話しかけた。
宗海は憂うように瞳を潤ませると、
「このォ技をみせるのもォ これがァ最後です」
「──こんなァ試合で使いたくはァなかったんですがァ。仕方ないですわァな……」
その試合後、宗海は体調を崩し、病院を往復する日々が続くようになった。持病の肝炎が悪化したたためであった。
宗海は高度成長期時代の血液製剤により、罹患して肝炎が悪化していたのである。
そのため、余り長く生きられないことを自ら覚っていた。そして試合ってから半年余りで、様態が急変し帰らぬ人となった。
「宗海が……、今朝がた亡くなりました。是非、父の野辺送りをお願いできないでしょうか……」
聞いたことない男性からの声で、シンスケに突然の訃報が届けられたのは、初霜月とはいえ沖縄では記録的な暑さが続いていた頃であった。
取る物も取り敢えず、彼は沖縄に向かった。シンスケの手にはしっかりと黒柿の共箱に入れられた『天目茶碗』が握られていた。月森家に託されていた黒い茶碗を、福珠宗海に返そうと考えていた矢先のことであった。