第23話 国姓爺異聞 ── 瀧を昇る鯉 (1)

文字数 1,528文字

 平戸の田川次郎左衛門こと七左衛門は、父の鄭芝龍(ていしりゅう)が清王朝に屈し、北京に送られたこと。
その際に母のマツが自害して果てたことを、兄である鄭成功(ていせいこう)からの文により知らされたのは、昨年、一六四六年の十一月のことであった。

「母上が自害をされたと……」
幼い頃より厳しい母上であったが、流石に田川家の一人娘である。
次男の次郎左衛門は唇をかみしめた。

 明に渡った兄の鄭成功(ていせいこう)とは、寛永七年(1630年)に、別れたきりであった。次郎左衛門が一歳の時である。それ以降、幕府は明国への渡航を禁止した。ところが十五年ぶりに、明国への渡海の許可がおりたのである。
が、それは母の「田川マツ一人に限る」というものであった。

 母のマツは、
「この機会を逃せば二度と福松(ふくまつ)(鄭成功)と会うことはできますまい。これも天命です。どうか、マツの願いをお聞きいれ下さい」  祖父にそう願うと、

「次郎左衛門、そなたも十六、田川家の跡継ぎとして、また鄭家との日本に置ける商いの窓口として、長崎に逗留する唐人(からびと)をまとめるのです」 
息子の次郎左衛門に向かって声を震わしながら、しかし、毅然として言い切った。
次郎左衛門は、その母の姿を思い悲嘆に暮れた。

 母の言葉通りに、田川家の後を継いだ田川次郎左衛門こと、七左衛門は、海商王とも言われた鄭芝龍の息子として、日本に置ける鄭家(ていけ)の交易の窓口として長崎で成功する。

 その後、母マツと父の芝龍が亡くなり、実質的に「明朝」は滅亡したが、兄の鄭成功は尚も「反清復明(はんしんふくめい)」を掲げ、中国各地を転戦した。最終的には大陸を離れ、台湾を拠点にして抵抗を続けた。そして、その援助を次郎左衛門は秘そかに行っていたのである。


 西陽(にしび)に照らされた庭の柿の木の陰影が軒先に長く射し、熟れた実の(だいだい)の色が、ひと(きわ)濃さを増してきていた。寛文二年(1662年)の秋の暮れであった。

「七左衛門様、近南(きんなん)様より文が届いております」 
側用人の言葉に、にわかに胸騒ぎがした。
近南とは陳永華(ちんえいか)のことであり、兄である鄭成功の重鎮であった。

 陳近南こと陳永華は永歴十年(1656年)に、鄭成功と政治について語る機会を得た。
その折に、陳永華が述べた見識や分析に感嘆し、

── まるで、諸葛孔明のようだ。 「永華は臥龍(がりゅう)なり」
と、評したと言われている。

 以来、「諮議参軍(しぎさんぐん)」の職を与えられ、成功の長子である鄭経(ていけい)の師として、鄭成功が最も信頼している側近であった。

「兄上に何かあったか……」 七左衛門は俄かに嫌な予感がした。
田川七左衛門は、陳永華からの文を懐に収め、同時に送られてきた木箱を抱えると、

「私が呼ぶまで誰も案内に立ってはならん」
側用人にそう申し渡すと、ひとり奥の部屋に消えた。

「やはり、兄上は亡くなられたか……」
力なく吐いた息に、七左衛門は、今朝の朱に染まった朝焼けの空を、龍の如くの雲が流れ去るのを思い出していた。

 陳近南(ちんきんなん)の名で届いた、永華からの文の最後には、
『吾有何面目見先帝於地下成!』
(我は何の面目あって地下で先帝にまみえんか!)
このように言い残して倒れたと書かれていた。

「兄はこの碗で茶を飲むと息絶えたのか……」 
七左衛門は、そう独り言ちすると、
碗の中に拡がる黒い泡を縁取る蒼白の(かがやき)をみつめた。

「まるで宇宙のような── 」
そう呟くと、飽きることなく眺めていた。
── (まさ)に龍が駆け巡るような宇宙の(きら)めきだ。

「兄はこの茶碗の宇宙に魅入られ、そしてその中に帰っていったか……。英雄しか持つべきことが許されぬ茶碗であろう」
誰に言うでもなく、いや強いて言うならば、己に言い聞かせるように呟くと、手にしていた茶碗を錦糸(きんし)で被い、共箱に収めた。

「これより一切、この碗を手にすることはあるまい」
自ら封印を行い、それを書庫の奥深くに仕舞い込んだ。


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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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