第10話 『Barber chair』で見る夢は……(1)

文字数 1,520文字

 ── 緊迫した雰囲気が漂っていた。二人の武将が対峙していた。

「父上は間違っています。明朝の飛虹将軍(ひこうしょうぐん)と呼ばれた貴方を、清国が快く受け入れるはずが御座いません。父上のご決断を、鄭一族の行く末を考えた降伏を

と申すならば、それは大儀にもとる行為です。天は決して許さないでしょう!」 
若い武将の言葉に、

「黙れ!お前は国姓爺(こくせんや)・成功と呼ばれようと所詮、『孺子(じゅし)』だ。学問だけではこの世は渡っていけん!」 
父と呼ばれた男は、息子を一喝した──。

シャキッ、シャキッ、シャキッ…… 心地よく重なり合う微かな金属音。
そして音叉のような、キーンという高い周波数の波が耳の奥で揺らいだ。

 月森シンスケは、閉じていた眼を勢いよく開けた。
──眠っていたのか!? 
まるで映画のワンシーンのような展開に、

「また夢か!? まるで撮影現場にでも立ち会ってたような……」 そう呟いた。

腕時計のブルーの文字盤の針は、午後八時半を少し廻っていた。
確か、椅子に凭れたのは七時過ぎだったはずだ──。

 暫くシンスケは、夢の臨場感を抱え込んだまま「Barber chair」に身を委ねていた。
静かに進む秒針を眺めながら、背中にある黒い小型のスピーカーからは、「SONNY ROLLINS」の『ON A SLOW BOAT TO CHINA』流れている。

 シンスケは店の営業時間が終了した後、一人で店舗の二階にいた。
彼は、二階にある商品のストック置場の一角を、自身のプライベート空間に改装していた。
時折、自ら珈琲を淹れて過ごすこともあったが、妻を亡くしてからはその回数が多くなった。
妻が好きだった珈琲を淹れると、彼女が側にいてくれるような気がしたのだ。

 今日も妻がプレゼントしてくれた「Jazz・CDセレクション」を聞きながら、
「Barber chair」に(もた)れて過ごしていた。

「わけあって茶碗を祖父に託した──」 
福珠宗海のこの言葉の意味を考えていた。

 彼が座っている「Barber chair」は、祖父の代から月森家にあったものである。
彼がもの心付いたころから自宅の倉庫にあった。

いったい── 何故、このような椅子が月森家に保存されてきたのであろう? 
理髪店の椅子。──とても座り心地の良い椅子だが、一般の家庭にはまず無い代物だ。

 シンスケはこの椅子がとても気に入っていた。祖父からの鉄工所を閉めた時にも、
この「Barber chair」だけは手元に残した。手放してはいけない気がしたのだ。
さらに、亡くなった母の「李朝箪笥(りちょうたんす)」の抽斗(ひきだし)から、福珠宗海の話していた茶碗が見つかった。おまけに、古い「ロザリオ」までが現われたのである。

「母の箪笥(たんす)は父の部屋に置かれていたのか──」 
実家の父の部屋に母の李朝箪笥が置かれていたことなど、まったく知らなかった。父の遺品の整理は、すべて叔母に任せていた。

 シンスケと父である森一との関係は、母が亡くなると、以前にも増して希薄になった。
思春期と反抗期が重なったと言えばそれまでだが、シンスケが中学生になるころ、母親以外の女性の影を父に感じるようになった。勿論、父にそのことを直接、聞く勇気は無かった。
ただ、母親への想いもあり、自ずと父との会話を避けるようになった。そして大学生になる頃には、必要以外は殆んど口を利くことが無くなっていた。

「そう言えば、あの夢も父と子の相克のシーンだった……」

父は息子のことを、どう思っていたのだろう……
逆にオレは父からどんな影響を受けたのだろうか──

シンスケは父、森一(しんいち)のことを思いだそうとした。
しかし、何故かすべてがボンヤリと(もや)がかかっているのだ。

父の顔は? そして声は── 
それすらハッキリと掴むことができないでいた。

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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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