第41話 沖縄譚 (4)
文字数 2,213文字
沖縄から帰ってからのシンスケは、ぼんやりとした喪失感に包まれていた。それを心配した藤川モモコが声を掛けてきた。彼女はシンスケとは逆に、最近イキイキとしている。
随分と楽しそうで、色艶も二十代のようだ。それは言い過ぎか──。
しかし以前のモモコに戻ってきているのは確かだ。
「キョウコが亡くなってから、余りにも様々なことがあって、正直疲れたよ」
シンスケは、にこやかにモモコを見るとそう言った。
「少し休んだらどうですか? 殆んど休暇を取っていないでしょ。店が休みの時も、石田さんと会ったり、あと伊賀の陶芸家さんを訪ねたり」
彼女の言う通りだ。留守の間にトロイメライに起こった事件の後、さらにシンスケの人生は加速していた。
「松木さんの件で警察に行って、石田君への礼で四日市だろ──。それからまた沖縄か……」
シンスケは、肩を竦めながら眉を上下させた。
ボガードが演じたマーロウを気取ったつもりだ。
(モモちゃんには、ちょっと難しいか──。オレは煙草を吸わないからカッコつかないけど)
「ところで、石田さんの奥様、お元気でした?」
絶妙のモモコの合の手に、シンスケは気を取り直すと、
「うん。元気そうだったよ。キョウコの話をすると泣いちゃってね」
と言葉をかえすと、既にモモコは涙ぐんでいる。
そんなモモコの姿から目をそらすように、
遠くを見つめていたシンスケは、暫くして伊賀に松木を訪ねた時の様子を話しだした。
福珠宗海と別れを告げてから一月ほどが経っていた。妻の愛車のスカーレッドの№205に乗り、シンスケは伊賀に向かった。店の定休日の木曜日である。久々に運転席の布製のシートを撫で、ライオンのエンブレムが中央にある小振りのハンドルを握った。
「いつもオレは助手席だったな──」
そう、独り言ちすると、エンジンをスタートさせた。
名古屋高速に乗り、名阪自動車道を亀山方面に向かう。昔から伊賀は政治との関わりが深い土地柄だ。奈良、京都にも近い。目的地の「桃興窯」までは、名古屋から約一時間半の道のりである。スカーレッド№205は亀山ICを降り、名阪国道を伊賀に向かった。
トラックが多い! 山間を縫うように走る片側二車線の国道は、斜面の傾度が急なためか、上り阪では大型トラックのスピードがやたら遅い。逆に下りではやたらスピードを出す。
この道をスペンサーの乗る、一九六八年製のアメ車のコンバーチブルで走るのは無理がありそうだな──。オイ、オイ、車が小さいんだ。そう追い立てるなよ!
家康の伊賀越えって大変だったろうな──
そんなことを考えながら、右手のミッションレバーを忙しく操作する。
「おっ、壬生野、このインターだ!」
シンスケはほっとしながら指示器を点滅させ、国道を左方面に離れた。
石田の話では、『陽夫多神社』の看板が見える交差点を左折し、郵便局のある道を西に進む。
田畑の中に点在する大きな農家を眺めながら、
「窯で炊く薪には不自由しないだろうな──」 そんな独り言ちをし、
道路沿いに拡がる雑木林を抜け県道を「桃興窯」へと向かった。
「こんな処まで、来てもろうて申し訳ありません」
開口一番、こう言って深々と頭を下げた松木に、
(ちょっとお気に入りの小説にありそうなセリフだが……)
「貴方も、父親の呪縛から逃れられませんでしたか──」
シンスケがいきなり尋ねた。
──長い沈黙のあと、松木幸が口にした言葉は、
「……。そうかも知れません。 親父のように天目茶碗や、まして作陶を生業にするやなんてことは、これっぽっちも思うてへんでしたから……」
松木は何か話そうとしていたが、言葉にならない様子で、足元の窯場の土を見つめている。
その
「貴方も、と言いましたが、私も今頃になって父の足跡に、もっと早く気付くべきだったと後悔しています」
シンスケはそう言うと、徐に錦糸の布包を松木に差し出した。
中には、あの「曜変天目」の陶片が収められていた。
「貴方が納得するまで、研究してみてください。研究機関でのⅩ線など、科学的分析をされても結構です」
見事に三片に割れ、シンスケに託された曜変の陶片を松木の手に握らせた。
「松木さん、あなた自身の、松木幸の天目茶碗が完成したら、私にお返しください」
暫くの沈黙の後、シンスケはその場の雰囲気を変えるように、
「それにしても、素敵な色ですね。青と言うよりも、碧、
尚も窯の前で立ち尽くす松木に向かい、最後にこう言った。
「これが貴方の伊賀焼ですね。必ずこの翡翠の色に戻ってきてください」
──ちょっと格好つけすぎか。
(でも、こんなことぐらいでしかスペンサーにはなれないだろ!)
── あの時から二十四年が経ち、感染症が世界中に拡がる気配を見せる頃である。
松木幸からトロイメライに荷物が届いた。そこにはあの時の陶片と一緒に、見事な天目茶碗が収められていた。黒釉の上に木の葉が焼きつけられ。その葉脈までもが金色に浮かび上がっていた。
「『木の葉天目』これが私の天目茶碗です。松木 興」
と記された添え書きがあった。
シンスケはその茶碗と陶片を錦糸布に包み、静かに黒柿の共箱に収めた。
幸から興か……。漸く松木さんも自分を取り戻したか──。
シンスケは、得も言えぬ感傷が胸に込み上げるのを任せるままにしていた。
「酷くカッコいい」 そう言って、シンスケは眉を上下させた。