第14話 蒼嵐とは言い得て妙 (3)

文字数 2,945文字

「『トーネットNo14』ですね」 
シンスケは、水を運んできてくれた店のママに声を掛けた。

 ── トーネットとはドイツの家具メーカーである。
 十九世紀半ばにドイツでも産業革命がはじまり、トーネット社は、それまで貴族のために生産していた高級家具の供給を、安価で美しい家具を市民に届けることへと方向転換した。
これを可能にしたのが無垢の木材を曲げる独自の技術であった。これにより「曲木(まげぎ)の椅子」が生まれ、大量生産に成功した。
街のカフェではこの椅子が(こぞ)って使われ、街の風景を一変させたのである。──

「よくご存じですね。亡くなった主人が、ドイツの家具が好きでしてね」

「そうなんですね。この店の雰囲気にピッタリだ」
シンスケの言葉に、彼女は嬉しそうに頭を下げ二人の注文を聞くと、奥のカウンターに戻っていった。──いや、いや、正確に言うと、シンスケの意向は聞かれていない。

「ご注文は?」という女性店主に、
「『ブレンド』を二つ」 間髪を入れず石田が答える。

「ここでは、ブレンドで」 
後から独り言のように、シンスケに石田が言うのである。

兎に角、石田はそうやって淡々と世話を焼く男なのである。
シンスケは石田のそんなところが好きであった。

窓から海が一望できるカフェで、しかも腰掛けているのは「トーネットのNo14」である。
石田の話の内容がどうであれ、鈴鹿まで来た甲斐があった。

「ところで、車での話だけど、ご先祖さまは永代供養するのかい?」
シンスケは改めて車中での話題を石田に振ると、

「兄貴がそう言うんなら仕方ないか……。って、思ってたんですが……」
「── 実は先日、兄から電話があったんですよ。二番目の、その内容が……」 
石田によると、次男がこの二週間ほど夢を見るらしく、それが墓の夢らしい。

「『貴文(たかし)、ほら、床の間に飾ってあった写真。先祖さんに混じって、祖父(じい)さんと親父(おやじ)の写真が並べてあったろ。その顔だ。それが怒ってるんだ』ってね」 
次男は石田にそう言ったらしい。

「最初は冗談だろう。って、ところが、その電話から二、三日して、同じような夢を見たんですよ。──ボクも」
シンスケは石田のその話に驚きもせず、

「そうか──」とだけ答えた。
寧ろ、

と言うようなその表情に、逆に石田の方が不思議そうにシンスケを見つめていた。

 お盆が近づくと有りそうな不思議話していると、店のママが珈琲を運んできた。
それを機に、
「月森さん、そんなことより、天目茶碗の件ですよ」 
と、石田は話題を変えた。

 二人の前には蒼い釉薬の掛かった無骨で厚めのカップに、たっぷりと注がれた珈琲が置かれた。シンスケは濃い茶色の液体から溢れでる香りを鼻孔で感じながら、珈琲を口に含んだ。

「ほお〜っ。これが店のブレンドですか? 酸味がいいですね」 
シンスケの言葉に、店主の老婦人は品の良い微笑みを浮かべた。
その様子に石田も口角を上げ、

「いい香りでしょう。それにこの珈琲茶碗──」 
石田貴文は運ばれてきた珈琲カップを指し、

「この器を創った人に、月森さんの天目茶碗を見てもらおうかと思っているんですが」

「うん。確かにいい碗だ。この店の棚に飾ってある花入れも? その人の?」
シンスケの問いに石田は頷いた。

 二人のやり取りを側で聞いていた女性店主が、
「失礼ですが……、お名前は、ツキモリ様と仰るのですか?」 
と、シンスケに声を掛けてきた。

「あっ、そうです。月森(つきもり)シンスケと言います」 
そう言って立ち上がると、自ら名刺を取り出し彼女に手渡した。

女性店主は、年齢に似合わぬ大きく素敵な瞳でじっと名刺を見つめている。
『トロイメライ「Träumerei」 月森シンスケ 住所:名古屋市△△── ℡***─****』 
「名古屋で輸入家具・雑貨を扱っていらっしゃるんですね……」 

そう呟いた色白のふくよかな丸顔が、品の良さを際立たしていた。
ショートカットにしたシルバーグレイの髪を見ながら、

 ──きっと、キョウコが年を重ねたらこんな感じだろうか……。
シンスケは惹かれるような不思議な親近感を女性店主に感じていた。

「『あんずとなし』と言う店の名前……。とても不思議な感じですね?」
「あっ、悪い意味じゃなく。なんていうかメルヘンチックな」
シンスケは気になっていた店の名前について彼女に聞いてみた。
女性店主はシンスケの手渡した名刺を大切にポケットに仕舞うと、

「そうですか。──店の名前は、姉の名前をもらったんですよ」 
それだけを話し、大きな瞳の目尻を下げ二人に微笑むと、奥のカウンターに戻っていった。
 
暫く二人は、酸味のある豊かな香りのする珈琲を味わいながら、ウインドウ越しに展がる景色を眺めていた。

「この海から、あの『大黒屋光太夫(だいこくやこうだいゆう)』もロシアまで流されていったんだよな……」
月森シンスケは、霞がかった海と空の境界を明らかにするように、青墨色に細い筆で引かれたような海線を見つめながら、何とはなしに話しだした。

「シンスケさん、よく知ってますね。『大黒屋光太夫』のこと──」

「ああ。映画にもなったろ? オレは井上靖の『おろしや国酔夢譚(こくすいむたん)』という小説で知ってるるけど。」

「ええ、確か、俳優の緒形拳の主演で映画化されたんじゃなかったですか……」

突然、何を言い出したのか!? 
さては、また蘊蓄(うんちく)でも披露しようというのか?
というような顔の石田に対し、

「ここに来る途中で、大黒屋光太夫(だいこくやこうだいゆう)の看板? あったよな」

「ええ。あの看板の近くに、大黒屋光太夫の縁に繋がるお寺が在ります。慰霊碑や記念館も」

 ── 船頭の光太夫(こうだいゆう)が、十七人の乗組員とともに「神昌丸」で江戸に向かったのは天明2年(一七八二)十二月であった。しかし、船は風波に(もてあそ)ばれて舵もきかなくなり、海洋を8カ月も漂流した。その挙げ句に、ロシアのアリューシャン列島アムチトカ島に漂着したのである。
その後、艱難辛苦(かんなんしんく)の末、当時のロシアの女帝エカテリーナ二世に帰国願いを出すことに成功し、帰国することになる。
 井上靖はこれをもとに「おろしや国酔夢譚(こくすいむたん)」を書いた ──

「井上靖の小説では、生き残った五人のうち二人がロシア正教に帰依したんで、ロシアの地を離れられなかったらしいが、その地に彼らの墓はあるんだろうな……」
「人それぞれ意見はあると思うけど……」 と、シンスケは前置きをし、

「墓守り人がいなくなる。だから『墓終(はかじまい)』。それは生きている人間の意思だけど、死んだ人間に意思がないかと言えば、そうじゃないという気がするんだ。とくに石碑は──」

「例えばロシアで『神昌丸』の乗組員の墓石を見たら、日本人なら必ず手を合わせるんじゃないかな──」
妻が亡くなってからは、そう思わずにはいられなかった。──墓石は単に法事を営むものじゃなく、人と人を繋ぐものだと──。

「うまく言えないけど、縁もゆかりもない人でも手を合わせる。たとえ宗教が異なる人同士でもさ……。少なくともこの思いは曲げたくない。って思ってるんだ──」
石田は、キョウコが亡くなる前のシンスケを見るようで、嬉しそうに口角を上げた。

「真に、月森さんの好きな”堅茹(かたゆで)エッグ”ってやつですか。ロバート・B・パーカー。いまも読んでるんですか?」

 シンスケは「ふっ」と照れ笑いを浮かべると、

「最近さあ、オレも祖父と父の夢を見たんだよ」


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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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