第21話 いらよい浜に月は上る 1993 臘月 (2)
文字数 3,089文字
そんな沖縄特有の小路を十分ほど歩くと、鉄筋コンクリートの建物が並ぶ通りに出た。突然、風が髪をバタつかせ、潮の匂いとともに、膨らんだビニール袋が舞い上がった。
漁協らしい建物に併設された市場を抜けると、濃緑の海水が貯められた巨大なプールを思わせるような港が現れた。糸満漁港だ。個性的な港で海がとても藍い。
深いインディゴブルーだ。この藍が赤や黄色の原色を際立たせるのかもしれない──。
そう思っていると、宗海は、シンスケの想いを見透かしたかのように話しかけてきた。
「この海のォ碧さでェ、昔はァ沖縄瓦の屋根の赤がァ際立ったとったもんです──」
「海人(うみんちゅー)というのォは、この糸満のォ漁師のことを指すんですよォ」
そんなことを二人で話していると、市場の駐車場に停車していたシルバーのワゴン車が、ライトを点灯させながらゆっくりと横に滑り込んできた。 宗海はワゴン車の運転席にいる女性に手を上げ、そのワゴン車の後部座席にシンスケを、そして自らは助手席へと乗り込んだ。
「待たせてさァ。すまないねェ」 運転席の女性に宗海が声をかけた。
彼女は肯きながら、
「めんそーれ! ようこそォ沖縄へ。よくいらっしゃいました」
と、驚くほど快活な響きがシンスケの耳に届いた。
市場からワゴン車で十分程走った喜屋武という地区に宗海の自宅はあった。鉄筋コンクリートの三階建ての建物であった。一階は駐車場で、車を降りると、シンスケは宗海と華の後に続き、外階段で二階に向かった。
宗海が外階段の踊り場から、二階のドアを開け中にはいる。華はシンスケに先に入るようにと目で促した。徐に中に入ると、そこは一面床張りの空間であった。
「普段ならァ、ここで子供んたちィが、唐手(トウ―デイ)のォ稽古ゥォをしています」
福珠宗海は、『
四十畳程であろうか。
宗海曰く、
── 『天地有情』『三世不可得』『知行合一』とは、福珠流唐手(トウデイ)の支柱である『金剛経』の教えを示したものであるらしい。特に唐手(トウデイ)の理法や技法は、どのように知識を学び熟知したとしても、その日常生活で生かされなければ何の意味もない。
『知行合一』つまり、知と行が一つにならなければ悟りを得ることはできない。
と、いうのが福珠流唐手の教えである ── とのことである。
「福珠家に伝わる
このように、福珠宗海は金剛唐手を説明した。
金剛とは「金剛経」則ち、「
「つまり、宗海さんは、『金剛唐手』の先生ですか?」
驚いたようにシンスケが尋ねると、
「はい。一応ゥ正当な伝承者ァということになります。ただ、福珠家の男系の伝承者はァ、七代目の私で最後にィなるかとゥおもいます」
シンスケが、返す言葉に詰まっているのを察したのか、
「そろそろ夕食に致しましょう。お迎えに上がる前に、用意をしておきましたので」
と、華が間に入った。
「折角ゥ、遠いところを来ていただきましたァ。ここにィ座卓を置きィ、三人でェ飲りましょう」
そう言って、福珠宗海は、道場の
「本尊の前でェ、本土から来てくれたァ友人と語り合おう。ついでにサァ、華の唄も聞かせてくれェ!」 華に向かって笑いながら言った。
シンスケは華という小柄な女性が気になっていた。何故か気になって仕方がなかった。
例えるなら遥か昔に、喉の奥に引っかけて取れないでいる小骨のような──。
微かに切なくそして、懐かしいような……
座卓に手際よく夕食を並べる華を、シンスケは静かに見つめていた。
宗海の音頭で、三人の宴が始まった。もちろん飲み物は「泡盛」である。
「これは、豆腐の炒め物ですか?」 シンスケが訊ねると、
「そうです。豚肉と島豆腐と呼ばれる沖縄豆腐とゴーヤのチャンプルーです。沖縄では、ゴチャマゼのことをチャンプルーと言います」
そう説明してくれた華に、宗海はこのように返した。
「何もありませんがァ、これが沖縄のォ郷土料理です。すべて華がァ作りました。彼女ンの料理の腕は大したァもんです。あっ、
華は、シンスケに泡盛をに勧めながら、
「お父さまの嬉しそうな顔、久しぶりです」
ほんのりと赤くなった頬に白い歯を覗かせた。
妻を亡くしてからは、久しく遠ざかつていた女性を交えた食事に、シンスケは家族が戻って来たような温もりを感じていた。
「これも食べてみて下さい」
島豆腐に小さな小魚が乗っている。本土ではお目にかかったことのない冷奴である。
「この魚は何ですか?」
シンスケは不思議そうに豆腐に乗った小魚を口に頬張ろうとした。すると華から
「気を付けて下さい! 魚を尻尾から食べないように!」
突然声が掛かかり、宗海が笑いだした。
「はっはっはァ! 華の言う通ォりです。この小さん魚は、沖縄でェ取れる『スク』と呼ばれるアイゴのォ稚魚を塩漬けにィしたものです。ただ、小骨が多いんでェ下手に食べると小骨がァ口の中でェ暴れます」
そう言われて、摘まんだ小魚を思わず島豆腐に戻した。
── 「スク」と呼ばれる稚魚は、夏場の新月の頃の数日間しか取れない貴重な稚魚で高値で取引される。近年は特に取れなくなってきているので貴重な食材である。沖縄の人たちはこのスクを塩漬け(カラス)にして食してきた。故に「スクガラス」と呼ばれている。
華が作ってくれた郷土料理は、どれもおいしく、異国情緒溢れる味わい深いものであった。
中でも「ラフティー」と呼ばれる豚の角煮を口いっぱいに頬張り、よく冷えた沖縄ビールで流し込む。
「これは、うまい! きっと泡盛とも相性バツグンでしょう!」
思わず妙味を口にしたシンスケに、
「本土では、豚の角煮を創るときは、日本酒やみりんを入れると思いますが、沖縄では泡盛と黒糖とそれにカツオだしで創ります」 華がそう解説してくれた。
シンスケは、暫くこのような家庭料理を食べていないことに改めて気づいた。
ふたりの会話を楽しそうに聞いていた宗海は、
「私もォこのように楽しい食事をしたのはァ何年かぶりです。今日はァ、華の料理でトコトン飲ィりましょう。ただ、その前にィ、月森様にお願いがァあります」
と、少し畏まった様子で宗海はシンスケに言った。
「もう一度ォ、沖縄にィおいで戴きたいのです」
──理由は、その際に、福珠流唐手の継承者の指名式を、その時に行いたい。
というものであった。
「是非ィ、貴方にその証人者をお願いィしたいのです」
えっ!? ……。
真顔の福珠宗海の言葉に、暫く戸惑っていたがシンスケであったが、
── ええい、成り行きだ。仕方ない。
(これが、乗り掛かった舟というやつかぁ……)
そう、覚悟を決めると、徐に正座をして、
「承知いたしました。ご連絡を戴ければ、必ずまいります」
そう言って、福珠宗海に向かい静かに頷いた。