第38話 沖縄譚 (1)
文字数 2,551文字
そう口伝すると、福珠宗海は静かに立ち上がり、道場の本尊に向かい正座をした。
娘の華をその後ろに座らせ、二人揃って深々と頭を垂れた。そして供えてある古色蒼然とした折本と、四ツ目綴じされた古籍を控えていた華に手渡した。
月森シンスケは、福珠宗海との約束を果たすために、再び沖縄に来ていた。
そのピーンと張り詰めた空気感に、シンスケは正座をした姿勢を改めて整えた。
華が手にした折本は、
「
墨字はいずれも古色枯れはしていたが見事な筆致である。
「素晴らしい筆跡だ……」
シンスケが何とはなしに囁くと、
「福珠流のォ開祖である五元禅師の教えを中心としたァ『金剛般若波羅蜜多経』と、禅師が福建少林寺で学んだァ少林拳と、琉球の武術であったァ唐手(トウディ)が融合されてェできたのが、福珠流唐手です」
宗海は誰に言うでもなく語った。
── 開祖の五元禅師は、本名を李五元という。五元禅師の伝えた少林拳に、独自の工夫を加え、その理法と技法が記されたものが、『李拳伝武備志』であるという。この二点が、福珠家の代々の当主に、正当な後継者の証として伝えられてきたのである ──
宗海は自ら「金剛般若波羅蜜多経」と「李拳伝武備志」の二冊に懐刀を添えて重ねると恭しく深く頭を垂れ、本尊に捧げると、次に華に向かいそれを手渡した。彼女はそれを深く垂れた頭上で拝受し、儀式は終わった。
「月森様に、南空院でェお見せしたァ懐刀です。この三点を持つ者がァ、福珠家並びに、福珠流唐手の正当なァ継承者となってェきました」
福珠宗海は自ら認めた奉書を、そう言いながらシンスケに開いて見せた。
そこには、
『伝承覚書
一、 李五元禅師を創祖とし、伝承された『李少林拳』、則ち、福珠流唐手の理法及び技法
のすべてを福珠 華に伝え、ここに正当な福珠流唐手の伝承者とする。
二、 福珠流唐手の伝承者は、李五元禅師より伝承者に受け継がれてきた
『鄭陳龍守護刀』『金剛般若波羅蜜多経』『李拳伝武備志』の三点を所持する者を伝承者とする。
三、 ここに、この三点を、福珠 華に与え、福建少林寺の仏弟子及び福珠流唐手の正当な
伝承者とするものである。
一九九四年 二月二十二日
福建少林寺仏弟子・福珠流唐手十代 福珠宗海 福鼎印 』
奉書には、見事な筆跡で覚書としてこのように書かれていた。
それをじっと見つめていたシンスケは、
「どうしてこのように大事な継承式に私を?」
そのように問いかけずにはいられなかった。
「月森様ァ、どうしても貴方にィ 証人者になってェ戴きたかったのです」
「いいえ、貴方のほかにはァ 証人者として相応しい人はいない。
──と申し上げる方がァ 正しいかも知れません」
福珠宗海はそう断言した。
継承式が滞りなく終了すると、祝いの膳が供された。そこで福珠宗海は、
「月森様にィ、健康な状態でお会いできるのは、今回がァ最後かもしれません」
このように徐に切り出した。
福珠宗海が話した内容は、
一人息子の福珠健心のこと、そして、福珠流唐手の後継者の問題であった。
「息子がァ 十七歳の高二の時です。学校からの帰宅途中でのォ事故でした」
──宗海の息子である健心は、信号機のない交差点で、大型のトラックとの接触事故に巻き込まれた。朝からの雨で、午後三時過ぎにはライトを点灯する車も多く見られるような、激しい雨の夕暮れであった。大型トラックが宗海の息子の乗る自転車を追い越しざまに跳ね飛ばした。
「七、八メートルほどはァ 飛ばされてェいたと思います」
一週間ほどの昏睡状態が続いたが、何とか一命は取留めた。
「気が付いたァ時には、左足が動かない状態で、下半身に麻痺が残る息子に対しィ、
親としてェかける言葉を失っていました」
そう言うと、宗海は一呼吸置き、暫く沈思していた。
そして一気に話し出した。それは更なる悲劇的な内容であった。
「息子は大怪我を負ったことでェ、これからの人生に絶望していましたァ……。
当たり前のォことです」
「ただ、有難いことにィ許嫁の華ァが、 毎日のように見舞ってくれましてねェ、励まし続けてくれましたァ……」
彼女の気持ちが通じたのであろう。
本人も何とか一人で動けるようになろうと、懸命にリハビリに励んだ。
そうして一年ほどが過ぎ、一人でほとんどのことができるくらいに回復した矢先であった。
「息子は、自らの命を絶とうとォしました。
「健心はァ許嫁の華を愛していましたァから……」
「息子は、今もォ 病院のベットで眠っていますゥ……」
福珠宗海は、淡々とそのことを語り終えた。
──華は、宗海の養女で息子の許嫁だったんだ。
初めて会ったった時から、二人に感じていた哀愁の正体は、これだったのか。
(なんてことだ。ハードすぎるよ オレには……)
シンスケは暫く言葉を失っていた。
「それで──、華さんが、福珠流唐手を
シンスケがようやく絞りだすように言った言葉に、華が静かに頷いた。
「ただァ、これに対しても問題がァ 起こりましたァ」
福珠宗海は、これまでの悲しみに満ちた目を一変させた。
弟子の一人が、華のもとでは、唐手(トウディ)を続けるのは無理だということで、
自ら「金剛唐手」を名乗らせてほしいと申し出てきたのである。
「その男はァ現在主流の実践空手を学び、それから福珠流の門を叩きましたァ。勿論、格闘技に才がありィ躰も大きいことから、弟子の中では一番強うなりました。それゆえ、男はァ自分が福珠流金剛唐手の後継者でェあろうと自負していたのでしょう」
華の十一代目の就任に不服は無いが、その代わり、
「自分もォ金剛唐手を名乗らせろと!」
と、言ってきたのである。
福珠宗海は、静かに話を続けた。
「五元禅師のお伝えになった金剛拳法は、福珠流唐手、唯一つです」
そう断言し、
「福珠流唐手とはァ『天地有情』『三世不可得』『知行合一』の実践にィ他なりまァせん。
強かァなければ守れない。しかしィ強いだけでは駄目なのです」
福珠宗海は、一か月後の今日、金剛唐手の名を懸けて試合(しあう)ことになっていた。