第8話 『春暁不覚』とは言うけれど 1993 卯の花月(3)
文字数 1,266文字
店の裏口のドアが開く音がして、女性の明るい声がした。
スタッフの藤川モモコだ。月森シンスケは、声がする方に向けて、
「おはよう。モモちゃん、お客様がお見えになってる!」
「早速で悪んだけど、珈琲を淹れてもらえないかぁ?」と、言葉を返した。
暫くすると、
「申し訳ありません。お客様がお見えになっているのに、大きな声を出してしまい」
そう言って、パテーションで仕切られた商談室に、藤川モモコが顔を見せた。
彼女の恥ずかしそうな表情で、その場の雰囲気を救われたシンスケは、
改めて彼女を宗海に紹介した。
「朝早くからァ お邪魔をしておりますゥ。福珠とォいいます」
福珠宗海は立ち上がり、藤川モモコに名刺を手渡した。
モモコも慌てて、ブレザーの内ポケットから自らの名刺を彼に手渡し、にっこりと微笑んだ。
「スタッフの藤川と申します。すぐに珈琲を淹れますのでお待ちください」
そう言って、速やかに奥の給湯室に引き上げた。
福珠宗海は、まるで
「とっても美人さねェ。キュートなァ。女性に聞くのは失礼なので、社長さんに聞きますが、彼女は独身ですかァ?」
「ええ、まだ、彼女のお眼鏡にかなった男性はいないようですが……」
少し複雑な表情でシンスケが答えると、
「あのようなァ 素敵な女性がァ ひとりなのは勿体ないですよォね」
初老の人がその時に見せた憂いのある表情が、シンスケの脳裏に奇妙な印象を残した。
モモコが淹れた珈琲を口にして、
「ほほおーっ。とても美味しいですねェ。失礼ですが、家具を扱う店舗で飲める味ではァないですよ。専門店の珈琲に勝るとも劣りませんよォ。少し酸味があり、『モカ』のようなァ……」 と、福珠宗海は、とても和らいだ口調でシンスケに話しかけた。
「そう言って戴くと、藤川も喜びます」
トロイメライ(Träumerei)で出される珈琲は、必ず「エチオピア」の豆を挽いて出していた。独特の香りと酸味があり、シンスケの好みでもあったが、亡くなった妻の指定であった。
亡き妻の愛した珈琲を飲みながら、福珠宗海は語りだした。
「今日お話したァ『天目茶碗』は、私共の一族にィ
「……訳があって鷹三様に託したとォ、父の宗臣からァ聞いております。私自身がこの話をしたのは、月森シンスケ様ァ、貴方が初めてです。伝えるべき息子はァ……」
初老の人の言葉が蹲るようにその場に残った。
「ただァ、この茶碗のお話を貴方に聞いて戴いたことでェ、私の使命の半分以上は完了しましたァ。是非ィ『天目茶碗』をお調べになって下さい。もしィ、茶碗が見つかったときにはァ、茶碗を見せる方は、真に信用できる方にィ限って下さい」
そう言う宗海に対し、返答もできないままでいるシンスケに、
「貴方はァ、お父様にィよお似ていらっしゃる。…… またァ、ご連絡させてェ戴きます」
福珠宗海は、丁寧に頭を下げると、Träumerei(トロイメライ)を後にした。