第33話 『Träumerei』で黄昏てる場合じゃない (2)

文字数 1,844文字

 藤川モモコは、大学を卒業すると旅行会社に就職した。しかし、会社の先輩女性社員とうまくいかずに半年ほどで退職した。
無職のまま、実家で今後の事を漠然と思いながら日々を過ごしていた時である。

「大学の知人で月森という男がいるんだが、ヤツが新しく店を始めたんだ。そこで女性スタッフを募集しているらしい。他に当てがないなら、働いてみないか?」

実家でぼんやりと一日を過ごしている妹に、見かねた兄から声がかかった。
丁度その頃、父の鉄工所を閉めて新しく店を始めた月森シンスケが、スタッフを募集していたのであった。

「その御店ってどういう店? ファッション関係? それとも食品?」

兄に店の内容を聞くと、北欧を中心としたビンテージやアンティーク家具や雑貨を取り扱う店だという。モモコは興味本位で月森シンスケの店舗を訊ね、ほどなくスタッフとして働くこととなったのである。

── あれから十年以上も経つんだ。
彼女はトロイメライ(Träumere)で、初めてシンスケに会った日のことを思い出していた。


「この店はオレの夢です。だから、トロイメライ『Träumere』と名付けました。ドイツ語で夢という意味です。この先どうなるかわかりません。給与も一般的な時給しか支払えません。それでもよかったら、スタッフとしてオレの夢に付き合ってみる気はありません?」

──。 ええええっ!? なんか青春ドラマの台詞みたい。
モモコは吹き出しそうになりながら、

「月森さん、失礼ですが……。そんなんでお店って大丈夫なんですか?」 
と、思わず口にした。

月森シンスケは照れ笑いをしながら、
「ほとんどの人にそう言われるんですが、まあ、何とかなると思ってます」

 本当にこんなんで、お店やっていけるのかしら……。

しかし、彼のその時の言葉通り、トロイメライは開店して十二年が経ってもまだ潰れないでいる。潰れていないどころか、家具好きのファンの間では人気の店として、ハウスマガジンなどの人気雑誌やインテリア雑誌などでも、屡々(しばしば)取り上げられるようになっていた。

冷やかしのつもりで訪ねたトロイメライでの
「オレの夢に付き合ってみる気はありません?」
という台本にある台詞のような言葉から、モモコの恋は始まったのである。

 モモコは身長一六七㎝と、女性としては大きい方で、すらりとしてスタイルがとてもよい。
中学生の頃からバスケットボールに夢中で、高校を卒業するまでバスケットボール部に所属していた。その名残からか、大学を卒業するまでシュートヘアのボーイッシュな雰囲気は、男性よりも寧ろ年下の女子学生たちに人気があった。

「おまえ、彼氏はいないのか? 取り巻きは女の子ばかりだけど」
「男嫌いじゃないよな!?」 
一回りほど歳の違う兄からそんな風に言われ、

「それってNGワードだよ!」
と、言い返しはしたが、
実際にこれまでモモコの恋愛対象になった男性はいなかった。
というのも彼女を取り巻く男達は、父や兄を筆頭に親戚筋の男性のほとんどが公務員であった。つまり、真面目を絵に描いたような人たちの中で育ったのである。
そのため、高校を卒業するころには、

「結婚するなら公務員の男性がいいぞ!」
これが父母の口癖になっていた。
それに反発したわけではないが、大学を卒業すると、両親が勧めた公務員試験を受けることなく、旅行会社に就職したのである。

しかし、見事に社会の荒波に遭遇する。
早々舵を切って寄港するはめになった。

「やっぱり公務員になればよかったかなあ──」 
呟いても後の祭り。
時間がある分、好きなバスケもやれるのに──。

そう思っていた矢先に、月森シンスケのあの台詞に出会ったのだ。
それ以来、モモコはトロイメライが成功するようにと、懸命に家具や雑貨のデザインなどを学んだ。さらに、彼女自身でも驚くほど、シンスケのアシストをした。

それが彼女のシンスケへの愛情表現であったかもしれない。そのことにシンスケも少なからず気づいてはいたが、モモコの思いを受け止めることはできなかった。

 モモコがトロイメライに勤めだしてから二年程が過ぎた頃、彼女の淡い恋は、終わりを告げた。シンスケは想い人であるキョウコと結婚したのである。

その後、モモコも親戚の紹介で結婚する。
相手は海上保安庁に勤める男性で、一目で彼女を気に入った。モモコ自身はそれほど乗り気ではなかった。が、周りの強い勧めもあり、自分の気持ちに分目(けじめ)をつけようと申し出を受け入れた。

シンスケが結婚して半年ほど経った立夏の頃で、
彼女が二十六歳の時であった。


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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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