第17話 『Barber chair』を探偵する (2)
文字数 3,032文字
松木自身は茶碗に関する情報を、もっと詳しく知りたい様子であった。が、シンスケはそのことを
「松木さんには悪いことをしたね。申し訳ないけど、石田クンから、執り成しといてくれるか」
とのシンスケの言葉に、石田は、
「松木さんの眼の色──、何だか変でしたね。何かに魅入られたような……」
そんな言葉を返してきた。
「確かに。茶碗を目にした松木さんって、何んか
シンスケは石田の言葉に、その場の奇異な雰囲気を思い出していた。
その夜、月森シンスケと石田貴文は、栄にある「
「石田君、軍鶏鍋って食べたことあるか? すき焼きでは、牛肉よりも絶対、軍鶏肉がうまい。オレは、一番じゃないかと思ってるんだ」
ワクワク感をそのままに、子供のような顔でシンスケは破顔した。
「軍鶏ですか。昔はボクの地元でも闘鶏をやってましたよ。正月ですけど。家の近所でも何件かは、軍鶏を飼育してましたし。闘鶏は軍鶏同士をケンカさせて金を賭けるんですが、その為に軍鶏を育ててたんですよ。正月には闘鶏の
石田が軍鶏についての思い出を話すと、
「それじゃ違法博打だ。警察は何んにも云わなかったのかい?」
シンスケの質問に、
「まあ、今ではすぐに警察沙汰でしょうね。でも当時は、村の駐在さんも見て見ぬフリをしていたんじゃないかな。同級生にも駐在さんの息子がいましたし。その子も闘鶏のことをよく知ってましたよ」 当然のように、石田は答えた。
「そうだな。当時は、飲酒運転も当たり前の時代だったからなぁ」
軍鶏談義の間に用意された、鋳物の鉄鍋の中で煮えている軍鶏肉と笹がき牛蒡を眺めながら、
「軍鶏肉の旨味を味わうには、笹がき牛蒡が一番美味い」
とシンスケが言うと、
「なんか、『鬼平犯科帳』の五鉄ですね。アメリカの探偵小説にはない妙味ですよね」
石田が話を振ってくれる。
「おおっ、分かってるね。絶妙に好きな話題に振ってくれる。だから君との食事は旨い。きっとキョウコも君のそういう気遣いや優しさが、好きだったと思う」
石田は元気だった頃のキョウコの少しふっくらとした、李子(プラム)を連想させる頬と唇を思い出した。
が、これ以上の湿っぽさを払うように
「軍鶏はケンカで一度負けると、二度と勝てなくなるんです」
「──つまり、
「そうか、人間のみたいにリベンジや再チャレンジはムリなのか……」
と複雑な表情を浮かべたシンスケに、
──だから、軍鶏は負けると人間の胃袋に収まることになる。
と石田はクールに説明を付け加えた。
負けて食べられるって──。
(それもちょっと切ない。まあ、こんなところも、石田らしいか)
石田の故郷では、軍鶏の肉とネギか、あるいは玉ねぎを砂糖と酒と醤油で味付けし、煮詰まってくると酒で味を調節する。水は一切使わない。それで軍鶏の肉を只管、食すのである。
「まあ、贅沢な食べ方ですね。純粋な軍鶏の肉ですから」
話していた石田も幼い頃よく食べた軍鶏鍋を思い出したのか、口の中に唾が湧く仕草を見せた。 おっ、パブロフの犬だな!
── 軍鶏(シャモ)は、江戸期にタイ国から輸入された鶏で、当時のタイをシャムと称したので、タイ国の旧名シャムを名前の由来とする説が一般的である。
が、いやいや、歴史的にはもっと古く日本では約千年以上前の平安時代から闘鶏や占いにも使っていたとの説もあるが定かではない。
確かのことは、江戸期には「闘鶏用」「食肉用」「観賞用」などとして、日本国内で独自に品種改良され、昭和十六年(1941)には国の天然記念物として指定されている ──
「軍鶏は国の天然記念物でしたから、一時期は無断で食べるのはご法度でしたよね?」
そう言って、
石田は嬉しそうに鋳物の黒い鉄鍋に割り下の絶妙の甘辛さで煮込まれた、軍鶏肉と笹がき牛蒡を口に頬張った。
何ともこの弾力のある肉質と皮の脂身の硬さと甘みが絶妙だ──。
「軍鶏自体が希少になった時は、食用として販売するのに規制があったらしい」
──天然記念物の鶏でも食用に育てたものは、食べたり、販売したりしても大丈夫である。
実際、軍鶏とその地域の地鶏を掛け合わせて軍鶏肉としている店も結構ある。
有名な薩摩地鶏は、鹿児島の地鶏と軍鶏を交配させてできた日本三大地鶏の一つである。
などと、鶏に関する蘊蓄をシンスケが披露していると、
その話を聞いていたのか、店の女性スタッフが、
「私どもの、軍鶏鍋は、高知県で育てられた純粋の軍鶏肉を使用しております。店のオーナーが高知県の出身で、高知の軍鶏に拘ってお出ししています」
と、説明をしてくれた。
「ところで、店の名前の『
石田貴文は、先ほどビールを注文した時に聞きそびれたことを彼女に聞いた。
すると、
「それについては、食事が終わった後に、南部鉄鍋を持ち上げて戴ければ分かると思います」
スタッフの女性は謎かけを楽しむようにニコリとすると、注文したビールを置いて調理場へ戻っていった。その後、女将が店の名の由来について次のように話してくれた。
「うちの軍鶏鍋は、南部鉄鍋をこれも南部鉄の
女将はそのように説明をした。
「そういえば中国のことわざに『鼎の軽重を問う』というのがありますね」
石田が間を入れず鼎を話題にした。
「確か、春秋戦国時代の周王朝に伝わる『
そう答えたシンスケは思い当たった。
「なるほど、三点会とは鼎のことだ! つまり、王位を守る組織という意味か!」
独り言ちした。その後、暫く沈思していたシンスケに、
「どうしました── 月森さん!?」
と、石田が声を掛けた。
「あっ、いや、いま君と話してて気が付いたんだが、福珠さんの『三点会』というのは『鼎』を意味するんじゃないかって。それで理髪店も『かなえ』──」
「ふーん。確かに。トロイメライにある『Barber chair』にも『KANAE』っていう名が彫られていましたね」
「さらにね、『KANAE』の文字の前に、□の中に△の入ったロゴがあるんだ」
「 Triangle《トライアングル》とSquare《スクエア》 ですか?」
石田の言葉に、
「おそらく、△は三点会の意味で、□はスクエアは「広場=場所」を表すから……。
つまり、鼎(かなえ)理容店は三点会の拠点だという意味じゃあないかなと」
「──まあ、あくまでオレの推測だけど」
シンスケはそう言って、石田との食事を締めくくった。