第16話 『Barber chair』を探偵する (1)

文字数 1,852文字

 石田と松木がトロイメライを訪れる一週間ほど前である。月森シンスケは大学時代の友人に連絡を取った。その友人は「台湾における日本統治下の研究」という研究論文を発表していた。

「突然の連絡で申し訳ない。君が、大学でやっていた『台湾』における日本統治下についての研究について教えてほしい。特に『三点会』という組織について──」 

要件だけの突然の連絡にも関わらず、その友人は、可成り多くの論文や研究資料を携えてトロイメライを訪ねて来てくれた。

「忙しいのに申し訳ないなぁ……」 
と言うシンスケに、

「電話口での雰囲気には、申し訳なさそうな気配はなかったがね」 
彼は軽く口角を上げながら、

「兎に角、台湾における『三点会』という組織について知りたいということで良かったか?」 
そう言って、商談室のテーブルの上に、B4サイズの地図のコピーを拡げた。

「台北市の大日本職業別明細図だ。一九二八年、昭和三年頃の台北市の職業別の地図だ」
 
── 彼が示したのは、台湾が日本統治下にあった昭和三年(一九二八)の「大日本職業別明細図―第一五六号」
と、呼ばれるもので、
台湾各地の日本人の集中する地域では、このような商店街の地図を作り紹介していた。東京や名古屋などの郊外にある駅を降りると、駅周辺の商店街の案内図が目に入るが、それと同じような如何にも商店会や自治会などが作成した感のある地図であった。

「西門から淡水河に向かう西門町の本通り。この通りにある六軒西門市場を越えた向側に『かなえ理髪店』というのがあるだろう。台北市内の商店名が記載されている地図では、この理髪店が一軒だけ確認できた」

「……というのも、『かなえ理髪店』というのは『三点会』が経営していたといわれている。台南市や台中などの商店街の地図は、残念ながらないが、『かなえ理髪店』というのは、他にもあるかも知れないな」 との説明に、

「へえ〜!? そうか! これだけでも十分だ。本当に有難い」
シンスケは嬉しそうにそう返すと、彼が地図に、ピンクのマーカーラインで書き込んでくれた理髪店の名前と場所を確認した。

「それと、『三点会』という組織についてだが、明朝末期に中国の各地で起こった『洪門(ほんめん)』という反清朝組織が分派した一つだ。とくに台湾と関係が深い組織の一つのようだ」

 彼によると、資料や研究論文などには『三点会』という名称の組織があったという事実は確認できる。が、実際にどのような活動をしていたのかは分からないとのことであった。
さらに、
「三点会は、洪門の一派であることだけは間違いないだろう」 とし、
洪門(ほんめん)についても説明してくれた。

──「洪門(ほんめん)」あるいは、「天地会」とは、鄭氏政権(鄭成功一族)を支持し、明朝崩壊後には、異民族である清王朝に対し、漢民族である明王朝の復活と清王朝の打倒を目指した。
所謂(いわゆる)、「秘密結社」である。天地会は、「天地を父母とし、盟員は兄弟」とし、入会にはお互いに「血」の盃を交わしたとされている。

清王朝に対し反感を抱き「血で結ばれた」集団である。その集団の中から過激集団や暗殺集団なども生まれたと噂されている。特に鄭氏政権後の台湾においては、天地会の持つ組織力は大きな影響を与えた。

 その後、天地会は会員の出身地による、例えば福建などで昔から見られた同じ漢民族同士の出身地域間での対立、所謂(いわゆる)分類械闘(ぶんるいきとう)」が台湾でも波及していくことになる。先住民もその争いに加わり、内部紛争により混沌を極め、衰退していく結果となった──

「実は、天地会は別名『洪門(ほんめん)』ともいい、始まりは十七世紀ごろ少林寺の僧侶らが興したという説もある。今でも、世界では『アジア・フリーメーソン』とも呼ばれている。何かそれだけ聞くと如何にも秘密結社っぽいよな。少林寺なんて言うと武闘派だし」
 と、友人は補足した。

「理髪店と秘密組織というと、どうも『仁義なき戦い』でのヤクザの親分が、理髪店で襲われるシーンを思い出すよ」 
という研究者らしからぬ友人の言葉に、

(まさか、TVドラマのサスペンスやミステリーでもあるまいし)

── う〜ん、でも探偵小説っぽくなってきたよなぁ
などと思いながら、シンスケも相槌を打つように、

「そう言えば、香港映画だったか。確か『天地会』の様な秘密結社の組織同士の争いで、中国の拳法家が理髪店で襲われるシーンがあったよ。如何にも理髪店と秘密組織って奇妙なくらい相性がいい」 などと、軽口で答えはしたが、

「かなえ理髪店」という響きが、強烈な引力を伴なっていることは確かであった。

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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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