第37話 土と炎に魅せられる (3)
文字数 1,805文字
低い山に囲まれた盆地には農地が広がっている。三重県の北西部に位置し、北東には鈴鹿山脈、北西部は信楽台地があり、南は大和高原と布引山地に囲まれていた。
盆地で丘陵地が多いその地域は、滋賀や奈良、京都とも接するところから、歴史小説や文献にも登場することが多い。一般的には知名度の高い地域である。
改めて車窓からの赤松の林を眺めながら、松本幸は父が仕事で使っていた緑色のワンボックスカーのハンドルを握り、父の窯場から西にある岡本窯に向かっていた。
警察署の担当官から言われたように、幸は父親の葬儀を済ますと、心ばかりの礼金と菓子折りを手に、第一発見者である岡本窯の社長を訪ねた。
岡本窯は父親の窯から車で二十分ほどの、赤松林と雑木が混じる山間の道を走った所にあった。羽根窯業会の中でも最も古く大きな窯元であった。
この地域で焼かれるやきものは「伊賀焼」と呼ばれ鎌倉時代に生産が始まったと言われている。伊賀焼の土は
そのため、焦げとビードロと呼ばれる自然釉がやきもの特徴といえた。
「おーっ、 松木さん
「──確か、お母さんが亡くなった時以来やな。ほんまに久しぶりやな。しゃぁけど、こんなことで会うやてなあ」
そう言って、八代目当主で(株)岡本陶苑の社長である岡本長康は、少し眉を寄せながら、
松木幸にそう言った。
「この度は、大変お世話になりました。また、こんな形でお会いするやて、
……ほんまに、ご迷惑をお掛け致しました」
幸はそう言うと、深々と岡本に頭を下げた。
そして、手にしていた礼金と菓子折りを岡本に手渡すと、
次にどのように話を切り出したら良いのか、計りかねていた。
岡本も同様で互いに沈鬱な雰囲気が漂う中、幸は思い切って訊ねてみた。
「岡本社長、少しお時間が戴ければ、親父を発見した時の様子を聞かせてもらえませんか。
警察でも色々と聞かれたと思うんですが」
そう言って切り出した。
岡本の話によると、警察の担当官の話と同様で、
──九月の初旬に羽根地区の全窯元が参加して開催される「秋の陶器まつり」の打ち合わせに、
幸の父親が連絡も無く欠席した。不審に思った岡本が、翌日に桃興窯を訪ねると、作業場の穴窯の前で轆轤用の腰掛に座り、うつ伏せの状態で動かない彼の父親を発見したという。
「釉薬のバケツの中で手首を切って、自らの血ィが混ざった状態で亡くなってたんや」
「そうやなあ……。素焼きした器を前にしてな、これから釉薬でも掛け流そうとするよな、そんな恰好でな。上半身だけが前のめりで、亡くなってたんよ」
「……良え、陶芸家を失のうて、とても残念や」
幸は桃興窯の作業場に戻り、小さな穴窯の前に立った。
父親が死んだとされる場所を見つめながら、最後に岡本が言った言葉が気になっていた。
釉薬のバケツの中に自らの手首を垂らし、器に釉薬を掛けるような姿で──
その言葉を繰り返した瞬間に、幸は汗ばんだシャツの胸ポケットをまさぐった。
岡本が手渡してくれた名刺を探した。
そして「㈱岡本陶苑」の名刺にある電話番号にすぐさま連絡を入れると、
「すんません! 岡本社長を電話口に!!」
と、電話口の女性事務員の言葉を遮るように岡本を呼び出した。
しかし残念ながら岡本は外出中であった。その女性のクールな応対は、
幸の纏まりのない思考を一旦落ち着かせるのには十分に役に立った。
岡本からの折り返しの電話に
「岡本社長、一つどうしても、お聞きしたいことがありまして」 と、
幸は、普段の冷静さを取り戻していた。
そして、父親の血が混入していた釉薬の種類を岡本に尋ねた。
「血が相当混ざってたんやが、たぶん天目やないかと思うわ」
岡本からのその言葉を聞くと、幸は納得したように受話器を置いた。
── 結局、天目に命を懸けたのか……。
松木幸はその後、八代目岡本長永(長康)に弟子入りをする。
岡本の下で六年間修業をした後に、独立して父親の残した
彼は、作陶家として岡本窯からの仕事を請け負う傍ら、自ら工夫した作品を少しずつ発表してきた。
そして、一九九三年の五月に、月森シンスケの「天目茶碗」を見ることになる。
幸が「秋の陶器まつり」に向けての製作に忙しい日々を送っていた頃であった。