第18話 モダニズムを語る男 1993 晩秋 (1)
文字数 2,855文字
トロイメライに大きな黒塗りのセダンが停まった。後部座席のドアから、五十代の後半であろうか。中年男性が店の前に降り立った。男性は実にスマートな着こなしで、洗練された雰囲気を醸し出していた。彼は観音開きの木製のドアを両側に開き、ゆっくりと店内に入ってきた。男性の後ろには、秘書と思しき黒いスーツ姿の若い女性が従っている。
男性は店舗を見渡すと、受付のカウンターにいた藤川モモコに声を掛けた。
「社長の月森シンスケさんはいらっしゃいますか? 電話をした馮(ふう)という者です」
その容姿の通り、声は高く透っていた。
『
商談室の目の前に置かれた名刺を見て、月森シンスケは明らかに戸惑っていた。
テーブルの向側に座る男性が、名刺にある名前とまったく重ならない。商売柄、会社の社長や高級住宅地に住む資産家の人たちと接する機会が多い。そのため可成り免疫性は養われていた。
雰囲気で飲まれるようなことはなかったのだが、目の前にいる男性はこれまで経験したことのない特別なオーラを
後ろに控えている若い女性も見事な美形である。それだけで有能にみえる。いや、おそらく秘書として実際に有能なのであろう。
「失礼ですが…… 馮会長様は演劇や芸術などの興行をされている方ですか?」
遠慮がちに言葉を切り出した。
(──ああっ、これじゃあ聞き込みはムリだ)
「あっ、大変失礼。三邑興業は反社組織ではありません。私は、映画の上映や音楽や演劇の公演を主催する会社を経営しております」
名前のとおり彼は中国人で、父親は中国南海の出身であると言った。大東亜戦争時は台湾に、終戦後は中国の番禺や順徳などを渡り、一時期、南洋(ハワイ)にもいたという。
馮炳文自身は中国の
馮炳文は自らの生い立ちを、何の躊躇いもなく、このように語った後、
「叔母の話を聞いて、月森さんのお店に伺いました」
そう言ってにこやかに笑う馮炳文に、
「叔母様の紹介と言いますと……」 と、
戸惑いながら、シンスケが問いかけた。すると、馮は実に魅力的な笑い顔をみせた。
「『あんずとなし』という店にお見えになったでしょう。あの店のオーナーは、私の叔母なんですよ。叔母は、月森さんのことがとても印象に残ったようです」
と、まるで親族にでもみせるような、親近感溢れる表情で答えた。
──何と言えばよいのだろうか。こんな風な笑顔を向けられると、絡めとられる人は多いはずだ。そんなことを思いながら、シンスケは彼と話を始めた。
「
微かな自己嫌悪感。やっぱり探偵に向かない……。
── リートフェルトは1888年生まれで、20世紀を代表するオランダの建築家兼デザイナーである。彼が手掛けた建築は「シュレイダー邸」や「ゴッホ美術館」などがあり、デザインでは椅子の究極の形とされる「ジグザグチェア」を生み出した。
「復刻版はインターネットなどで取引され、当店でも扱ったことがございますが、当時制作されたものは、私も拝見したことはございません」
シンスケがそのように答えると、
「月森さんは、『堀口捨巳』の設計した椅子をご存じですか?」
馮は唐突にシンスケに問かけてきた。
「建築家の『堀口捨巳』でしたら、名前くらいは知っています」
シンスケは控えめにそう答えるに留めた。
実は、シンスケは「堀口捨巳」に興味を持ち、調べたことがあった。それはある時、父の森一がモダニズムと日本建築との融合を試みた「堀口捨巳」に興味があったことを知ったからであった。
「そう、その建築家の堀口です。彼は建築家であったので、家を設計・建築を行った時に、その内装家具として椅子やテーブルなどを作成したようです」
馮炳文によると、
── 大正十四年に堀口が設計した『小出邸』にも彼の設計した椅子があって、それを東京都が移築する時に、残っていた設計図を基に家具職人が復元したということであった。
「実は、その堀口が『小出邸』のために制作した椅子があるのです。私の所に」
「デザインは直線的でリートフェルトの椅子に似ています。トロイメライで、買って戴けませんか?」
馮の突然の申し出に、シンスケは次の言葉がでないでいた。
馮は、後ろで控えていた秘書と思しき女性に手で合図をすると、彼女は速やかに手にした黒のビジネスバックから一枚の写真を取り出した。
そこには赤と黒の色鮮やかなコントラストの直線的な肘掛椅子が写っていた。確かに直線的な造形はリートフェルトの生み出した「ベルリンチェア」に似ていなくもない。
当時のモダニズムの影響を感じる。シンスケは思わず写真を手に取った。そして、じっくりと細部に至るまで眺めてから、
「肘掛を除く枠の木製部分の材質は何でしょうか? 黒く塗装されていますが?」
そう馮炳文に問いかけた。
すると、女性秘書が用意していた資料を手に答えた。
「木製の部分の材質はナラだということです。木製部分の色は黒に近いチーク色だそうです。」
「では背中と座面の張り布地の種類は?」
「うーん、そうですね。背中と座面は、毛のモケットの赤ですね」
彼女の答えと、写真に写る椅子とを対照しながら現物をイメージした。
「最後にもう一ついいでしょうか? この肘掛の部分の材質は何が使われているのでしょうか?」
「それは、『黒柿』です」 馮炳文が間を入れずに答えた。
── 黒柿というのは渋柿の木が突然変異してできる木で、その木を製材すると、その木目は墨を流したような文様が浮き出ている。その文様には独特の美しさがあるが、個性が強いため、西洋家具の材質に使用するのは難しい。まさに、日本美そのものを表現する材質であるといえる。
「黒柿ですか──。それを椅子の肘掛に使用するとは……」
感心したようにシンスケは大きく呟いた。
その日、
「もし、リートフェルトの『ベルリンチェア』の復刻版が入荷するようでしたら、ご連絡ください。値段は50万くらいなら大丈夫です。其れより安いのはダメです。状態のいいものをお願いいたします」と、注文を指定した。
馮炳文は最後に、
「黒柿の椅子の件ですけれど、是非、考えてみて下さい。値段は交渉致しましょう。これは私の知人から貰ったモノですから。一つ提案ですが、月森さんの家に伝わるモノと交換するというのはどうでしょうか?」
と、少し憂いを含んだ意味深気な声音で、そう言い残すと帰っていった。