第12話 蒼嵐とは言い得て妙 (1)

文字数 2,362文字

「天目茶碗、しかも『窯変(ようへん)』がトロイメライにあるって──!?」
「う~ん…… からかってるでしょ?」

月森シンスケからの、
「やきものに詳しい人、誰か知り合いにいないかな?」
との依頼の理由(わけ)に、日ごろは冷静な石田貴史(いしだたかし)にしてはめずらしく、上ずった口調で聴き返した。

「窯変」した「天目」が月森シンスケの元にある!? というのである。
ひょっとしてその窯変は「曜変天目(ようへんてんもく)」かもって……。

「まず、殆んどというか、すべて偽物だと思いますよ」 
と、電話口のシンスケに石田のクールな声が返って来た。

── 月森シンスケと石田貴文が知り合ってから十年近くになる。シンスケの妻であったキョウコは、結婚するまで郵便局に勤めていた。その職場の後輩が、石田貴史であった。

 キョウコが、まだ郵便局に勤めていた二十九歳の時であった。彼女は突然の病で、長期の闘病生活を余儀なくされた。長引く闘病生活の中で、石田は、彼女が元恋人であった月森シンスケのことを思い続けていることを知ったのである。
石田は、(かつ)ての恋人であった月森シンスケに会い、キョウコの病のことを伝えたのである。それを境に、シンスケはキョウコを支え、彼女の病が寛解した後に、二人は結婚をした。
 
 そのような出来事を通して、月森シンスケと石田貴史は親しくなった。現在、石田は故郷に戻り、父親の後を引き継ぎ、特定郵便局長(とくていゆうびんきょくちょう)になっていた。

「月森さんも、(ようや)く何かを始める気持ちになったかな──」 
久しぶりのシンスケの声に、何かしらの力強さを感じた石田は、そのことを妻に話した。

「月森さんから電話があってね。近いうちに名古屋に行ってくるよ」 
「どうも『天目茶碗』を見せたいらしいんだ。それも『曜変天目』かもって──」
その言葉に、石田の妻は、

「え〜っ、曜変天目って!? この前、TVで見たアレじゃない? ほら、鑑定番組で真贋(しんがん)が話題になったアノ茶碗──」 と興奮気味に言った。

 特に

に詳しくない彼女でも、その器の高額の鑑定金額は、印象に残ったのであろう。

「ビンゴ! アレ! あの曜変天目」
完全な形での曜変天目は、世界中で日本にある三碗だけである。
それらはすべて国宝に認定されている。

「その曜変天目茶碗の四つ目が、な、なんと!トロイメライにあるらしいんだ」 
楽しそうにお道化(どけ)た口調で石田は妻に話した。

 石田は大学時代に「やきもの」にハマリ、民芸の益子焼から始まり、大学の夏休みには毎年、地元の窯業センターでアルバイトまでしていた。そのため

にはかなり詳しい。

シンスケの元にある器の真贋は兎も角も──。

石田には、アルバイト時代に世話になった松木幸(まつき こう)という陶芸家が頭に浮んでいた。

「取り敢えず、松木さんに会わせてみるかな。──ワクワクだな」
また、月森シンスケのアイビー・ルックでキメた姿が見られる。
いつもクールな夫が口角を大きく上げ、目尻を下げている様子に、

「へーっ。天下の『曜変天目茶碗』があるんだ」
「月森さんも冗談言えるくらいになったんだね。それじゃあ、是非、早々に行かなくっちゃね」   
石田の妻も嬉しそうに夫の顔を覗き込んだ。
妻を亡くしてからの月森シンスケの落胆ぶりに、石田夫婦は心を痛めていたのだ。

 月森シンスケが石田からの連絡を知ったのは深夜になってからであった。
彼は、今日も仕事が終わると一人「Barber chair」に(もた)れてCDを聞いていた。
夜遅くマンションに戻り、電話のメッセージを確認すると石田の履歴が残っている。

「早速、連絡をくれたか……。相変わらず対応が早い」
そう独り言ちし、翌日の早朝に彼に電話を入れた。

「おはようございます。久しぶりですね。月森さん」 
三回のコールのあと、静かな声が返って来た。

「電話くれたんだね──。御免、出れなくて」 

「相変わらず帰宅は深夜ですか? でも、少しは元気になった証拠かな。早々の返事とは」 
石田貴文は静かな口調で続けて言った。。

「近いうちに、時間取れます? 久しぶりに話がしたいと思って──。」

 翌週の木曜日である。月森シンスケは久しぶりに、近鉄名古屋線に乗り四日市に向かった。
午前十時三〇分に、近鉄四日市駅前の「生活倉庫」ビルの入り口で待ち合わせをした。待ち合わせ場所に着くと、既に石田は、生活倉庫に隣接する博物館の掲示板の前で、開催中のイベントのポスターを眺めていた。博物館前の公園を歩いてくる月森シンスケを認めると、石田が右手を挙げて合図をした。

「── いま、万古焼(ばんこやき)伊賀焼(いがやき)の展示会をやっているようです」
石田は博物館のイベントのポスターを指してそう言うと、

「月森さん、やきものに興味ありましたっけ?」 
シンスケは石田の問いかけに、

「──少しは勉強したよ。以前はとくに興味は無かったんだけど、君の影響かな」 
そう答えるや否や、

「ちょっと付き合ってほしいところがあるんです。そこで珈琲を飲みながら話をしましょう」 
既に石田は、博物館の向かいにある生活倉庫のパーキングに向かって歩き出している。

── 相変わらず淡々と物事を運ぶヤツだ。 今で言うところの陰キャか!? だが面白い。
── まあ、彼が連れて行ってくれるところに間違いはないだろう。

「こんなセリフは、マーロウじゃなくスペンサーかな」 
シンスケは呟くと、慌てて石田の後を追った。
 
 石田貴文はグルメである。彼の案内してくれる店に外れはなかった。案内してくれた店で食事をすると、必ず石田は、彼の一押しメニューを勝手に注文してくれる。月森シンスケは、迷うタイプであった。

「いつも迷うけど、結局頼むのは、同じモノね」 
──勿論、ボストンの私立探偵は決断する。それに料理上手だ。だからと言ってオレみたいに、迷わないとは言い切れないだろう?

「ふ〜ん。」
そう笑った妻の、(あんず)のような、ほのかに赤らんだ頬を思い出した。

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登場人物紹介

月森シンスケ 1945年生まれ。名古屋で輸入家具店を営む。趣味はモダンJazz鑑賞。探偵小説を愛する。特に、レイモンド・チャンドラーのフィリップマーローと、ロバート・B・パーカーのスペンサーが大好き。

月森キョウコ 1949年生まれ。月森シンスケの愛妻。趣味は音楽鑑賞 浜田省吾の大ファン。1991年、急性再生不良性貧血症にて急逝する。42歳であった。

藤川モモコ 1957年生まれ。トロイメライの主任スタッフ。1983年結婚するも4年後に離婚。子ども一人。

福珠宗海 1923年生まれ。台湾生まれで、沖縄在住。福珠流唐手十代目総師。

福珠 華 1945年生まれ。沖縄県の糸満で育つ。福珠宗海の養女で、息子健心の許嫁。

石田貴史 1959年生まれ。特定郵便局長。月森夫婦の友人。

松木 幸 1947年生まれ。伊賀で桃幸窯を開き活動している陶芸家。曜変天目茶碗に魅せられる。

杏梨(シンリィ) 1916年 福建省で生まれる。厦門で月森シンスケの恋人になる。

月森鷹三 1902年生まれ。シンスケの祖父。台湾で教師を務めていた。終戦後、名古屋で鉄工所を営む。

月森森一 1927年生まれ。シンスケの父。鷹三の後、鉄工所を継ぐが、1970年43歳で急逝。

李五元 福建生まれ。南少林寺にて修行する。陳近南の娘を守り、琉球に逃れる。沖縄に、李少林拳を伝える。それが後に、福珠流唐手となる。

陳李娘 陳近南(永華)の娘。鄭成功の孫である鄭克蔵の妻。鄭家の内紛で命を狙われる。夫の克蔵は惨殺されるが、李娘は、李五元により助けられ琉球に逃れる。その後、鄭成功の弟である田川七左衛門の庇護により、克蔵の子を産み、その後、その血統は福珠家により守り続けられる。

田川雪姫 1916年生まれ。台湾で生まれ育つ。鄭成功の直系の女性。福珠家、月森家と親密な関わりを持つ。大東亜戦争の沖縄戦により亡くなる。29歳であった。

馮炳文(ふうへいぶん) 1934年 厦門で生まれる!? 父親は馮正如、母は陳杏梨。三邑興業会長。

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