第二十一章 料理長  第七話

文字数 2,902文字

 夜通しヒョオルが厨房にいたので、料理人たちは豆腐に手出しすることができなかった。

「もうあいつがいようといまいと、やってしまうべきだ」

「いや、流石にヒョオルが見張っているのに手を出すのはまずい。何より王様に知られたら、ヒョオルを料理長にするのを阻止しても、我々が追い出されてしまう」

「だが、このまま手をこまねいているわけにはいかない」

「こうなったら、もうあれをやるしかない」

 彼らは最後の手段に出ることにした。

 競い合いに勝ち残っている他の料理人も献立を決めて食材を準備していた。そのうち一人は、川魚を切り身にして一晩漬けこんでいた。

 翌朝、その料理人と一緒に仕事をしている料理人が、話したいことがあるとひきつけておいて、別の人間がそのつけ汁にめちゃくちゃな調味料を流し込んでしまった。

 別にこの料理人を落とすためにやったのではない。準備していた食材が台無しにされた。こっそりそんな細工ができるのは、昨日豆腐を見張っていたヒョオルしかいないと罪を着せるのが目的だった。

 もしやこの事を察知して手を出して来やしないかと、彼らは耐えずヒョオルの行動を見張っていたが、意外にもヒョオルは何もしなかった。

(これで思う壺だ)

 料理人たちはほくそ笑んでいた。そしてついに夕餉を作る時間になった。

 王が大勢の女官や宦官を引き連れてやってきた。そして厨房の一角を競い合いのために開けさせ、そこに四人の料理人を入れた。厨房の周りは女官や宦官が囲んでおり、自由に出入りできないようにしてあった。

 競い合いに参加しない料理人たちは、それぞれ通常の仕事をしなければならないので、その様子を観察することはできなかったが、同じ厨房にいるので、横目でちらちら囲われた一角を伺っていた。

「それでは調理を始めよ」

 王の号令で、料理人たちはいっせいに動き始めた。

 そして例の料理人は、すぐに自分の魚の味がおかしいことに気が付いた。

(なぜだ? こんなでたらめな味漬けをした覚えはない)

 すぐに、何者かに細工をされたと思い当たったが、もう調理が始まってしまっているのに、それを訴えても、失敗を誤魔化そうとしているととられるのではと、なかなか声を上げることができなかった。

 彼は途方に暮れて、動きが止まってしまっていた。側で見ていた女官は、流石に異変に気が付いて、声をかけようとしたが、反対に彼女に声をかける者があった。

「そちらで使うはずの鍋が、こちらに置きっぱなしになっていた。おそらく昼の仕事の時に移動させてそのままになっていたのだろう」

 ヒョオルは手に土鍋を持って言った。

 厳正に審査を行うため、競い合いの間は料理人同士の私語や接近は禁じられている。女官はヒョオルを待たせて、宦官に報告に行った。

 その間、途方に暮れていた料理人は、ヒョオルが自分に近づこうとする意図はなにか考えていた。

 宦官は、そのような場合は仕方なしとして、ヒョオルが料理人に鍋を届けるのを許した。しかし、食事の準備を怠ったとして、その料理人は多少の減点になってしまった。

 ヒョオルは鍋を渡すとき、小さな声で言った。

「焼くな、茹でろ」

 料理人は一瞬何のことかわからずに、鍋を受け取って呆けていたが、帰り際のにヒョオルから目くばせされて、その意図がわかり、すぐに調理に取り掛かった。

 この罠を仕掛けた料理人たちは、料理の片手間に、ヒョオルが糾弾されるのを今か今かと待っていたが、まったくそんな気配はなかった。ヒョオルと例の料理人との間に問題が生じたらしいことだけはわかったが、それでも競い合いが続行されているので、自分たちの目論見は外れたのかと、やきもきしていた。

 そうしているうちに、遂に調理が終わってしまった。ここからは王が一つ一つの料理を評価する段に入った。

 競い合いに参加していない料理人たちは、給仕を女官に任せたら、興味津々で集まってきて、王の評定に耳を傾けた。

 まず最初の料理人が出したのは、鳥骨の汁物(ウビラクタン)茶碗蒸し(ファジャンコ)野菜の醤油和え(ソジャエマルチル)だった。王はこの料理を選んだ理由を尋ねた。

「先王様はもともと胃腸がお弱い傾向がありましたので、温かく、また刺激の少ない料理を選びました。またご病気を患ってからは、脂っこい料理は避けるようにしていたそうなので、野菜を多くして、汁物は紙で余分な脂を吸わせています。また茶わん蒸し(ファジャンコ)の中に魚や豆を入れて、腹にたまるように考えました。盛り付けも、ご長寿を願い、汁物の野菜は細長い形に切りました。また先王様はお年を召されても学問を怠ることがなかったので、知識が増えるように、白い器や絵付けに詩の書かれた器、歴史上の故事を描いた器を使っております」

 まずもって模範的な料理だった。王は全ての理由にいちいち頷いた。そして料理を少しずつ口にして味を確かめた。

 次の者は自らの献立をこう紹介した。

和え麵(キタパ)の具は蒸した鶏肉に胡麻のたれをかけたものです。余分な脂を少なくしておりますし、麵も柔らかく練って柔らかく茹でたので、先王様のお体にもお優しいかと考えました。また胡桃とほうれん草の炒め(カジタチムジャ)は、本来は干し肉を使うところを、王様のお体のために食材を変えて工夫しました。それに先王様は胡桃が好物でしたので、お喜びびいただけるかと思いました。王様を始めお子様たちの事を慈しんでおいででしたので、お子様たちと末永く仲良く暮らせるように、器は魚の親子が波間に遊ぶ様絵付けしたものと、枝葉が空に伸びている絵柄を選びました」

 これもまた、王の体調と好み、それに心情を思いやった見事な料理だった。宴料理の総膳六品(そうぜんろっぴん)のような豪華さはないが、普段の夕餉に供する料理としては、非常によくできていた。

 いよいよ例の料理人である。彼の献立は焼き魚(ジャンギュ)炊き込み飯(ソルハン)、季節の野菜を蒸した菜膳だった。その魚の下味をめちゃくちゃにされてしまったのである。

 しかし、彼が出した魚の切り身は照り焼きにされて、つやつやとした汁がかかり、付け合わせの青菜に囲まれて皿の上に載っていた。

「これは、身が締まってさっぱりとしているな。それでいて香ばしさもある」

 王は一口食べて感想を言った。料理人は恐縮して答える。

「その魚は一度茹でてから表面を焼きました。最初からすべて焼いた場合と、茹でてから焼いた場合では食感が変わります」

 ヒョオルの助言を聞いた彼は、味付けがめちゃめちゃになった魚を茹でて、多少その味を取り除いた後、たれの調味で味を誤魔化したのだった。

 ヒョオルを罠にはめようとした者たちの目論見は外れた。この料理人はその腕前で窮地を脱してしまったのだ。

 予定が狂ったと、料理人たちは顔を見合わせた。もう彼らには打つ手がなく、ヒョオルの献立選びが本当に失敗であったことに縋るしかなかった。

 そのヒョオルの料理が王に供された。

 牛肉の揚げ饅頭(テンラムパンジュドナ)は、牛の挽肉と野菜などを味をつけて混ぜた餡を小麦で作った生地に包んで揚げたものだ。普通は丸々とした形にするのが普通だが、ヒョオルの作った物はかなり平たかった。

 王が箸で一つ持ち上げて齧ってみると、餡は非常にさっぱりとしていて、一般的な牛肉の揚げ饅頭(テンラムパンジュドナ)とは違っていた。
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