第二十二章 使節団  第十話

文字数 2,969文字

 ヒョオルの姿を見つけて、大使は機嫌よく迎えた。

 この宴の出席者は宮中の官庁の長官だが、そこには当然外交を担当する『照路院(ファボクウォン)』のユガもいたし、他にも通訳や外交官が同席していた。

 本来、たとえ政治的にきわどい駆け引きをしていようとも、このような席では主たる外交官であるユガと太子は親しく交わるものだが、今回、大使はユガを遠ざけているようだった。そしてユガの方も、あまり甘い顔をして舐められてはいけないと、あえて近づこうとはしていないようだった。

 それなのに、大使はヒョオルには親し気である。はたから見れば、外交官よりもヒョオルがその役割を果たしているようにも見えた。

「此度も我が国の形式で宴を開いてくれたこと、礼を言う。我々もよりゆったりとした気持ちで、国の実務を担う重要な役目の者たちと親交を深められるし、友好国としてサハネ国の国情もよくわかるようになった」

「滅相もない。料理人の責務として、両国が絆を深める手助けをしているまでです。

 ところで大使、今日は宴の形式だけではなく、料理にも工夫をしているのはおわかりでしょうか」

「工夫とは、またどんな工夫がなされているのか」

 大使が興味を示したので、ヒョオルは一つ一つの皿を回って説明した。

「まず、今日のすべての料理の材料についてです。ここ数日大使のお食事に使ったように、薬草や滋養によい食材を使っています。サハネ国でもそうした食材を使った料理は、その効能を最大限に引き出すため、わりと薄い味付けが多いですが、私が色々と工夫しまして、宴で皆様が召し上がってもお喜びになられるような、濃厚な味付けにしました」

「ほう。確かにここ数日一人で食べた食事と比べたら、濃厚で強い味付けである。そした滋養によい食事というのは、我が国もいくつかあるが、やはり一種の薬であって、あまり食べやすいとは言えない。しかし私が一人で食べた料理は淡い味つけでありながら、薬の苦みなどはなかったし、今日の宴の料理も非常に美味であって、食べつけないということはなかった。やはりこの国の料理は世界一と言えるだろうな」

 太子はずいぶんサハネ国の料理を楽しんでいるようだった。

「それともう一つ、今日使った食材の多くは、保存食なのです。例えばこの豚肉ですが、干し肉を戻して使っていますし、こちらには魚の干物が入っています。我が国ではこのように、さまざまな食材を保存する技術があるのです。系統としては乾物と漬物に大別されます。宮中でも民草の家でも、こうして保存食を蓄えています。こうすれば、飢饉に備えるだけでなく、食料の乏しい季節でも飢えることなく、また食事に色どりを加えることができるのです。

 私の浅い知識ですので、間違いがあるかもしれませんが、イシュル国では保存食といったらもっぱら乾物であり、肉や果物がいくつかあるだけで、特に魚介の干物は少ないとか。それゆえ、口にする食材も季節に左右され、場合によって毎日同じようなものを食べることもあるそうですね」

「その通りだ。料理の数や食材の豊富さだけは、わが国は到底貴国に及ばない」

「勿体ないお言葉です。ですが、決して貴国の食材が我が国の食材に劣るとは思えないのです。我が国には長い年月の間に培った技術があります。それをもってすれば、もしや貴国でももっと保存食を作れるのではないかと思うのです。もちろん、貴国の気候風土では難しいものもあるかもしれませんが」

 大使は興味を示した。

「確かにその通りだ。貴国の料理の技術は我が国も学ぶに値する」

「もし大使殿に了承いただけるなら、我が国の食事についての知識を書物にまとめてお渡しします。それを使って貴国で料理の研究をしてみたらいかがでしょう。なんでしたら、料理人を遣わして、貴国で実際に食材を研究して手助けをしてもいいですし。もちろん王様のお許しが必要ですが。

 そうやって保存のきく食材が増えれば、軍備の面においても、兵糧の備蓄が増強できるかと」

 まさに、ヒョオルの話の核心はここだった。軍備の話が出たので、出席していた重臣たちはどよめいた。ユガはまた余計なことを言われてはたまらないと、ヒョオルを叱って下がらせようとしたが、大使はヒョオルをその場に留めた。

「いや。私はまだ料理長の話が聞きたい。非常に興味深い話だ。今我が国が直面している軍事面の問題を解決しうるものだからな。ユガ殿たちと話していて得られないものがありそうだ」

 外交を担っているユガを差し置いて料理長と語り合いたいとは。それはユガが強硬な態度を取ったからに他ならないが、なにもまったく対話を避けるつもりはなかったし、イシュル国の使節の立場としても、こんな風にユガを冷遇するのは正しくなかった。

 ではなぜそうなるのかというと、やはりヒョオルが大使に近付き、イシュル国の食文化を宴に取り入れたりと親しみを見せたからである。大使もただ気分がいいからヒョオルを近付けるのではない。すり寄ってくる人間を側に寄せて、ユガたちを遠ざけることで、暗に強硬な態度をやわらげろと示している。

 ユガはそれがわかっている。そういう駆け引きも外交の場ではよくあることだったからだ。だが今回こうなるのはまったく望ましくない。特に重臣や王たちも、イシュル国の主張を全て飲むつもりはないと意見は一致しているのだ。重臣たちだけで対応していれば、こんな駆け引きは起きなかった。料理人であるヒョオルが余計なことをしたせいで、大使にそれをさせてしまった。

 宴の場から去ろうとしたヒョオルは、大使の手招きを受けてくるりと体の向きを変えて戻ってきた。その時チラリとユガを見た横顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。

(なんと傲慢な! こやつは我が国を売るつもりか)

 ユガは頭に血が上ったが、すぐに感情を露わにするほど愚かではなかった。その後で王のもとへ参じて、盛大に文句を言った。

「料理長は我が国がイシュル国の言うままに軍備を差し出すべきだと思っているようですな。だから過剰にイシュル国にすり寄るようなことをしているのです。王様のご意思を踏みにじり、国を疲弊させんとするとは、反逆と同じです」

 鼻息荒く訴えられて、王は上手く宥められなかった。王自身もまた、ヒョオルの狙いがわからないから、なおさらだった。

「反逆とはお言葉が過ぎます」

 後ろから声が響いた。ユガが振り返ると、朝議の間の入り口にヒョオルが立っていた。女官と雑吏(ソギ)を後ろに従え、更に数人の料理人が、風呂敷包みや

や重箱をもってその後に続いている。

「ええい、料理人風情がなぜここへ来る。厨房へ戻れ」

 堂々と入ってくるヒョオルを一喝したユガだったが、ヒョオルはユガの隣に立ち王に向かって口を開いた。

「確かに私はイシュル国の形式の宴を開き、そして我が国の食文化を披露し、軍備についても口を出しました。しかしイシュル国の要求を大人しく飲めばいいとは思っておりません。全てはサハネ国のためです」

 ヒョオルが目で後ろのサユとゾラに合図すると、二人は料理人たちに持たせた荷物の中身を王の目の前に並べた。

「イシュル国の要求する兵糧、兵士を送ることは、わが国の負担が大きすぎます。しかし交渉ではあちらも退かない様子。ならば兵糧や兵士に変わる物を与えればよいというのが私の考えです」
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