第二十二章 使節団  第十三話

文字数 2,861文字

 イシュル国も、べつにサハネ国の支援がなければ敵に勝てないわけではない。それでも王太子の承認まで持ち出して軍事協力を強いるのは、自国の軍隊の温存を図るためと、イシュル国とサハネ国の力関係を思い知らせるためであった。

 サハネ国はイシュル国との国境以外は、三方を海に囲まれているが、イシュル国は陸続きで複数の国に囲まれている。いつどこで戦争が起きてもおかしくはないし、国を安定させるために、些細な争いで軍事力を損ないたくない。

 そして近隣諸国を従わせておかなければ国を保てない。そのため常にあらゆる面で優位に立ち、時には内政に干渉するのである。

 なので、彼らが一番気にしているのは、要求通りの軍事協力を取り付けられなければ、他国への使者と比べられて、役目を全うできなかったと皇帝の不興を買うことであった。

 しかし、意外にサハネ国が強硬な態度で軍事協力を拒否してきた。飢饉の影響があるからとは見越していたが、だからこそ要求をのませることができれば、皇帝の使者として面目を全うできるというもの。

 そう考えて大使も頑なな態度を取っていた。ちょうどよくすり寄ってくる料理人がいたので、それを利用してみたのだが、その料理人が思いがけず軍備に変わるものとして、食材と料理の技術の提供を申し出てきたのだ。全く予想外のことであった。

「軍事協力を取り付けられなければ、皇帝陛下はお怒りになるでしょう。我らを無能の使者として、処罰するかもしれません」

 通常であれば、こんな提案は突っぱねて、改めて軍事協力を求めるところだ。

「まぁ待て、いくら料理の有名な国だからと、軍備の代わりに料理を差し出すとは、よほど切羽詰まっているとしか思えん。おそらく王太子を持ち出して脅したのが効いたのだろう。ただ、問題は脅しが効いているのに軍備をひねり出せないということだ。本当に提示してきた数しか出せないのではなかろうか。

 この場合、最後にこちらが妥協して相手の言う数を飲んだとしたら、皇帝陛下はお怒りこそしないだろうが、お喜びにもならないだろう。まして、外交官は最初から喧嘩腰だった。万が一戦争覚悟で拒否して来たら、サハネ国との関係はこじれてしまうし、力で思い知らせるために、兵を出すことになるかもしれぬ。そうなれば我が軍の消耗を招き、本末転倒だ」

「では、我々は料理で妥協するのが最善だと?」

「あの料理人の言う通りに、薬草や保存食の技術が有用であるなら、それらを持ち帰った方が、妥協してこちらの要望に満たない軍事協力を取り付けるより、長い目で見て国に貢献したことになろう。それに、他の国へも使節団が向かっており、一様に軍事協力を取り付けて帰ってくるはずだ。使節団が皆同じ成果を上げて帰っても、功績は横並び。まして我々は要求以下の数になるので、一段落ちる。それよりは目新しい物を持ち帰ったほうが、陛下の覚えもめでたくなるのではないか」

 イシュル国の言葉で話し合っているので、多くの人間はその内容がわからなかったが、外交官の中にいるイシュル国語がわかる者は、断片的に聞こえた会話の内容から、どうやらヒョオルの提案は受け入れられそうだと王に耳打ちした。

 大使は話し合いの末、狩りを終えてから再度皆で考えてから返事すると言った。

「そうだな。これは重要なことであるゆえ、この場で決められないだろう。しかし余からも言わせてもらえば、この料理人の申したことは、決してはったりではない。わが国は小さく、貴国から見れば吹けば飛ぶようなもの。だが我らも、貴国との国境以外で敵の侵略を受けたら、貴国の盾となり戦う覚悟はある。寡兵でそれを可能にするには、あらゆる面から軍を精強にしなければらん。ゆえに我が国では兵士の食事に工夫がしてある。それを貴国も取り入れたなら、軍事力は増強されることだろう」

 王からも言われて、使節団の気持ちは大きく傾いた。ただ、簡単に言いなりになるのは良くないので、あくまで後日結論を出すと答えるにとどめた。

 使節団の逗留は十二日間に及ぶ。その間に視察やら宴やら予定が詰まっている。一日中外交について論じるわけではないのだ。

 残りの逗留期間、大使はヒョオルにあれこれ食事の要求をした。サハネ国の有名な珍味が食べたいとか、明日の料理は胡椒を一切使わないでほしいとか、イシュル国の料理が食べたいとか、かなり我儘な要求だったが、ヒョオルは自らの料理の知識を使って、それらに見事にこたえて見せた。

 これは使節団がサハネ国を試しているのだとヒョオルはわかっていた。ここで少しでも相手を尊重しない態度を取れば、料理を軍備の代わりにするのは失敗してしまう。どんな無理難題にも必死に応える姿勢を見せて、これ以外に手がないのだと思いこませるのだ。

 こうした努力は実を結んだ。使節団帰国の二日前の話し合いで、大使は当初の要求を取り下げたのだ。

「三年前に飢饉に遭った貴国は国力も回復しておらず、わが国の要求する軍備は用意できないとよくわかりました。また、貴国は兵糧と兵士に代えて、薬草や保存食、そしてそうした食材を扱う技術、そして『厨房補技(ちゅうぼうほぎ)』を提供するとのこと。皇帝陛下の代理として熟考し、皆で協議した結果、それらの料理の食材及び技術と一緒であるなら、兵糧は千包、兵士は四百人で手を打ちます。

 ただし、今回軍備の代わりに差し出した物を陛下が役に立たないと判断したら、当初のこちらの要求通りの軍備をすぐさま送ってください」

 兵糧と兵士を全く送らないことはできなかったが、それでもこの数であればも求めに応じても十分に余剰がある。皇帝がこれをどう受け取るか一抹の不安はあったが、自ら約束を取り付けたからには、大使が皇帝にとりなすはずである。少なくとも当座は凌ぐことができた。王は安堵して大使の差し出す協定書に署名し、王の印を押した。

「これで一件落着だな。やっぱり料理長様はすごいな。外交でも王様をお助けするなんて。こんなことを言っては申し訳ないけど、重臣方よりもよっぽど頼りになるんじゃないか」

 使節団送別の宴の準備をしながら、トックは料理長を誇った。『建穏院(ケヨンウォン)』の他の者たちも、同様にヒョオルの活躍を褒めたたえた。

 新王妃もファマ王太子の地位が脅かされることはなくなったので大喜びし、密かにその働きに対して金品を与えて報いた。

 大喜びしたのは新王妃だけではない。実は今回供出することになった薬草や一部の保存食の材料は、トンジュが王宮に卸しているものだった。トンジュは当然それらの品の取引で儲けを出した。キッタムの妓楼にもイシュル国の形式の宴に協力したとして、王宮から褒美が与えられた。

 何よりこの難局を乗り越えられたことを喜び、ヒョオルに感謝しているのは王だった。

「まことによくやってくれた。そなたは料理の才能に溢れているだけではなく、政治的な局面を乗り切る力もあるとは、稀有な存在だ。余の人生の中で、このような優れた者に出会えたのは僥倖である」

 それは王が臣下へかける最上級の賞賛であった。
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