第三十一章 大逆と破滅 第十話
文字数 2,956文字
ヒョオルは取調室で書き物をしていた。
明日王が直々に尋問を行うから、先に多少供述をまとめておけと言われた。なので遠慮なく紙と筆を要求して、こうして伝えるべきことを書き連ねている。
無実を訴える言葉を書き連ねているのではない。彼が伝えるべきこととは、幼少期に田舎貴民 ヨクギ家の使用人になってから、大膳師君 に上り詰めるまでの間の己の行いの全てだった。つまりは、全ての罪を白状してしまっているのである。
もう助からないからと自棄になっているのではない。最後に王を葬ろうとした策略が失敗し、ジャビが命をかけてヒョオルの罪を証明した時に、彼は敗北を受け入れるしかなかった。サユが罪を被ろうとしているが、時間稼ぎにしかならない。もうこの結末が覆ることは無い。
だが、敗北するにしても負け方がある。唯一無二の不世出の料理人に相応しい敗北。それはつまり一人でも多くの人間の心にのこり、歴史に名を残すことである。
これまでヒョオルがやってきたことは、彼にとってみればごくごく自然なことであったが、他人から見れば悪魔のような所業らしい。ならばその全てを語り、人々を恐怖と怒りの渦に落としてしまえばいい。王もこれまで己がいかに愚かであったかを痛感し、心が深くえぐられるだろう。あの何者かわからないジャビも、自らが知っていた事柄よりはるかに多くの事をやってのけていたと知れば、度肝を抜かれるだろう。そして王直々の取り調べの記録は残されて後世にも伝わる。これこそが最も己に相応しい負け方だ。
彼の目の前には紙が山積みになっていた。幼少期からとなると紙がいくらあっても足りないくらいだ。明日までに書き終えられるだろうか。
結局彼は一晩中筆を動かしていた。夜が明けて、いよいよ尋問が始まる直前に、全ての顛末を書き終えた。彼を連れに来た役人は、その記述の多さに驚いていたが、決まりは決まりなので、それを持ってヒョオルを連行した。
尋問の場所は普段宴が行われる王宮の広場だった。獄に繋がれていない重臣と、記録係の役人、罪人を抑えるための兵士、そしてジャビとソウジュンが広場の中心を囲むように立った。
そして罪人が引いてこられる。新王妃、カンビ、ヒョオル、サユ、ゾラ、タンモン、トンジュ、キッタムがそれぞれ縄を打たれて茣蓙の上に座らされた。新王妃はこんな仕打ちは屈辱だとわめいていた。カンビは半泣きになって早くも無実を訴え始めた。トンジュとキッタムは、それぞれちらりとヒョオルと目線が合った。最後までヒョオルが何とかしてくれるのではと期待していた。
そこに王が現れた。罪人以外は立ち上がって礼を施した。
王は暗い顔をしていた。そして重苦しい声で尋問を始めた。
まずは新王妃である。
「そなたは三ノ賜室 を流産させ、そのことが露見するのを防ぐために賜室 と医官の密通をでっち上げた。その際に賜室 の周りの者を買収するために、王室の宝を売り払った。それを誤魔化すために借金をこさえて、王室の行事である王太子妃選びの予算を減らそうと目論んだ」
「三ノ賜室 を流産させたのは、タンモンとヒョオルが考えたことであって、私はただ従わざるを得なかったのです。王様どうかご慈悲を。私は王太子の母です。罪に問うて、あの子から母親奪うのですか」
彼女はまだ一縷の望みを捨てていないようだったが、その浅ましさが王を不愉快にさせた。
「黙れ。そなたが王太子の母であるのは、先の王妃と王女を排除し、二人の王子を排除したからだろう。息子可愛さだけでなく、未来の太后にならんという野心があったのだろう。全てを人のせいにするとは、それこそ国母に相応しくない」
王に叱りつけられても、新王妃はまだ哀れっぽく命乞いをしたが、王に冷たく無視されて、その声はだんだんと小さくなった。
代わりに大きく聞こえたのはカンビの命乞いの声である。
「私は料理長にも、そこにいるジャビにも陥れられたのです。無念でなりません王様」
「黙れ。自分から料理長に賄賂を渡しておいてどの口が言うか。お前の罪はもう明らかになっているのに、まだ命乞いを続けるのか」
王はぴしゃりと言って、彼の命乞いも無視した。
続いて、王の目はタンモンに向いた。
「そなたは経市派 の勢力拡大のために、王妃を利するべくヒョオルと手を組み、前の王妃を葬り、二人の王子も葬ったのだな」
「すべては王妃様のお指図です。我らは王妃様あってこそ何とか勢力を保っていました。その王妃様には逆らえませんでした」
タンモンは全てを新王妃のせいにした。これを聞いた新王妃はまた怒ってタンモンを罵ったが、兵士に体を掴まれてやむなく口を閉じた。
「重臣たちは常に派閥争いを繰り広げている。先の曹衛派 も拓強派 もそうだ。その二派が後宮と深くかかわっていたことを鑑みれば、経市派 は関係ないなどとは苦しい言い逃れだ」
タンモンはなおも王に経市派 の罪が軽いことを訴えようとしたが、王は効く耳を持たなかった。
そして王はヒョオルに目を向けた。ヒョオルは背筋を伸ばして茣蓙の上に座っている。
「料理長は、あらかじめ供述書を用意してきたな」
王は宦官に命して、役人から渡された紙の束を自身の前に置いた。その量を見て、誰もが驚いた。
「いったい何が書いてあるのかと、誰もが思っておるようだ。ここには料理長が労民 からいかにして職民 の料理人となり、宮中で大膳師君に上り詰めたのかが記されている。
これを見れば、商人トンジュと妓女キッタムは、宮中に上がる前から料理長と付き合いがあり、料理長のいんぼうをあれこれ手助けしていたようだな。そして料理長に便宜を図ってもらい、王宮御用達の看板を掲げて取引を独占していた」
「それは全て言いがかりです。わしがたまたまヒョオルと親しかったから、やっかまれているのです」
「そうですわ。ヒョオルさんがどうしてこんなことを書いたのかわかりません。私たちはお友達でしたから、尚更友人を裏切るようなことをするなんて」
二人はヒョオルに助けを求めた。
だがヒョオルは後ろにいる二人を振り返ることもせず、朗々とした声で答えた。
「王様。すべては供述書に記した通りです。トンジュとキッタムと私は持ちつ持たれつの関係で、あらゆる陰謀に暗躍してまいりました」
ゾラはヒョオルがあっさりと全てを打ち明けてしまったので、驚き慌てて王に訴えた、
「王様、料理長様は陰謀とは無関係です。すくなくともガド豆については私一人で行ったことです」
「しかし、そもそもガド豆の真実を隠ぺいしたのは、トンジュに便宜を図るためだとか。それにガド豆意外にもあらゆる陰謀に関与していると、料理長は言っているぞ」
「それも私が考えたことです」
サユもすかさず割って入った。
「私が料理長様を隠れ蓑にして行っていたのです。全ての罪は私にあります」
「二人とも黙れ。もう全てはヒョオルによって明かされているのだ。無駄に庇いだてするな」
王は椅子の肘置きを叩いて二人を黙らせた。そして改めてヒョオルを見据えて言った。
「この供述書に書かれていることは全て事実なのだな。それならば皆の前で宣言せよ。ここにいる皆に、事実であると告げるのだ」
ヒョオルは不敵な笑みを浮かべていた。そして広場にはっきりと響く声で答えた。
「はい。全て事実でございます」
明日王が直々に尋問を行うから、先に多少供述をまとめておけと言われた。なので遠慮なく紙と筆を要求して、こうして伝えるべきことを書き連ねている。
無実を訴える言葉を書き連ねているのではない。彼が伝えるべきこととは、幼少期に田舎
もう助からないからと自棄になっているのではない。最後に王を葬ろうとした策略が失敗し、ジャビが命をかけてヒョオルの罪を証明した時に、彼は敗北を受け入れるしかなかった。サユが罪を被ろうとしているが、時間稼ぎにしかならない。もうこの結末が覆ることは無い。
だが、敗北するにしても負け方がある。唯一無二の不世出の料理人に相応しい敗北。それはつまり一人でも多くの人間の心にのこり、歴史に名を残すことである。
これまでヒョオルがやってきたことは、彼にとってみればごくごく自然なことであったが、他人から見れば悪魔のような所業らしい。ならばその全てを語り、人々を恐怖と怒りの渦に落としてしまえばいい。王もこれまで己がいかに愚かであったかを痛感し、心が深くえぐられるだろう。あの何者かわからないジャビも、自らが知っていた事柄よりはるかに多くの事をやってのけていたと知れば、度肝を抜かれるだろう。そして王直々の取り調べの記録は残されて後世にも伝わる。これこそが最も己に相応しい負け方だ。
彼の目の前には紙が山積みになっていた。幼少期からとなると紙がいくらあっても足りないくらいだ。明日までに書き終えられるだろうか。
結局彼は一晩中筆を動かしていた。夜が明けて、いよいよ尋問が始まる直前に、全ての顛末を書き終えた。彼を連れに来た役人は、その記述の多さに驚いていたが、決まりは決まりなので、それを持ってヒョオルを連行した。
尋問の場所は普段宴が行われる王宮の広場だった。獄に繋がれていない重臣と、記録係の役人、罪人を抑えるための兵士、そしてジャビとソウジュンが広場の中心を囲むように立った。
そして罪人が引いてこられる。新王妃、カンビ、ヒョオル、サユ、ゾラ、タンモン、トンジュ、キッタムがそれぞれ縄を打たれて茣蓙の上に座らされた。新王妃はこんな仕打ちは屈辱だとわめいていた。カンビは半泣きになって早くも無実を訴え始めた。トンジュとキッタムは、それぞれちらりとヒョオルと目線が合った。最後までヒョオルが何とかしてくれるのではと期待していた。
そこに王が現れた。罪人以外は立ち上がって礼を施した。
王は暗い顔をしていた。そして重苦しい声で尋問を始めた。
まずは新王妃である。
「そなたは三ノ
「三ノ
彼女はまだ一縷の望みを捨てていないようだったが、その浅ましさが王を不愉快にさせた。
「黙れ。そなたが王太子の母であるのは、先の王妃と王女を排除し、二人の王子を排除したからだろう。息子可愛さだけでなく、未来の太后にならんという野心があったのだろう。全てを人のせいにするとは、それこそ国母に相応しくない」
王に叱りつけられても、新王妃はまだ哀れっぽく命乞いをしたが、王に冷たく無視されて、その声はだんだんと小さくなった。
代わりに大きく聞こえたのはカンビの命乞いの声である。
「私は料理長にも、そこにいるジャビにも陥れられたのです。無念でなりません王様」
「黙れ。自分から料理長に賄賂を渡しておいてどの口が言うか。お前の罪はもう明らかになっているのに、まだ命乞いを続けるのか」
王はぴしゃりと言って、彼の命乞いも無視した。
続いて、王の目はタンモンに向いた。
「そなたは
「すべては王妃様のお指図です。我らは王妃様あってこそ何とか勢力を保っていました。その王妃様には逆らえませんでした」
タンモンは全てを新王妃のせいにした。これを聞いた新王妃はまた怒ってタンモンを罵ったが、兵士に体を掴まれてやむなく口を閉じた。
「重臣たちは常に派閥争いを繰り広げている。先の
タンモンはなおも王に
そして王はヒョオルに目を向けた。ヒョオルは背筋を伸ばして茣蓙の上に座っている。
「料理長は、あらかじめ供述書を用意してきたな」
王は宦官に命して、役人から渡された紙の束を自身の前に置いた。その量を見て、誰もが驚いた。
「いったい何が書いてあるのかと、誰もが思っておるようだ。ここには料理長が
これを見れば、商人トンジュと妓女キッタムは、宮中に上がる前から料理長と付き合いがあり、料理長のいんぼうをあれこれ手助けしていたようだな。そして料理長に便宜を図ってもらい、王宮御用達の看板を掲げて取引を独占していた」
「それは全て言いがかりです。わしがたまたまヒョオルと親しかったから、やっかまれているのです」
「そうですわ。ヒョオルさんがどうしてこんなことを書いたのかわかりません。私たちはお友達でしたから、尚更友人を裏切るようなことをするなんて」
二人はヒョオルに助けを求めた。
だがヒョオルは後ろにいる二人を振り返ることもせず、朗々とした声で答えた。
「王様。すべては供述書に記した通りです。トンジュとキッタムと私は持ちつ持たれつの関係で、あらゆる陰謀に暗躍してまいりました」
ゾラはヒョオルがあっさりと全てを打ち明けてしまったので、驚き慌てて王に訴えた、
「王様、料理長様は陰謀とは無関係です。すくなくともガド豆については私一人で行ったことです」
「しかし、そもそもガド豆の真実を隠ぺいしたのは、トンジュに便宜を図るためだとか。それにガド豆意外にもあらゆる陰謀に関与していると、料理長は言っているぞ」
「それも私が考えたことです」
サユもすかさず割って入った。
「私が料理長様を隠れ蓑にして行っていたのです。全ての罪は私にあります」
「二人とも黙れ。もう全てはヒョオルによって明かされているのだ。無駄に庇いだてするな」
王は椅子の肘置きを叩いて二人を黙らせた。そして改めてヒョオルを見据えて言った。
「この供述書に書かれていることは全て事実なのだな。それならば皆の前で宣言せよ。ここにいる皆に、事実であると告げるのだ」
ヒョオルは不敵な笑みを浮かべていた。そして広場にはっきりと響く声で答えた。
「はい。全て事実でございます」