第二十六章 寵愛  第四話

文字数 2,943文字

 ゾラは狩場の適当な場所にハンユンを下ろして、先ほど肥料を混ぜていた鋤で穴を掘り、ハンユンを埋めてしまった。

 それから菜園に戻ると、すぐにハンユンの作った資料を持ち出して、これも人目につかないところで燃やしてしまった。

 そしてガド豆畑に作ったばかりの肥料を撒き。菜園を後にした。こうまで淡々としているのは、今夜答え次第ではハンユンを殺すと、前もって覚悟していたからである。

 可哀そうなことをした、とは思っているが後悔は無かった。恐怖もなかった。ヒョオルにとって邪魔になるなら排除する。これまで毒薬を渡して間接的にやってきたことを、己の手でやっただけなのだ。今更人の命の重さに怯えて震えるようなことはない。

 ゾラはそのまま家路についた。この件に関してはヒョオルから任されているのだから、明日ゆっくり説明すればいいのだ。

 ゾラが戻った後、ジャビは菜園の真ん中に佇んでいた。

 予想通り、ゾラになびかなかったハンユンは殺された。ハンユンの作った記録も燃やされた。

(すり替えるのが間に合って良かった)

 ジャビは懐から紙の束を取り出した。帰ったふりをして、二人の様子を伺っていたジャビは、ゾラがハンユンを埋めるために穴を掘り始めた時、小屋へ戻って昼間作った偽物の資料と本物をすり替えたのだ。ゾラは偽物をつかまされたことに気が付いていない。

 それからジャビは提灯をかざしてお狩場の山へ分け入った。夜の山は危険だが、ハンユンが埋められたところに目印をつけておきたかったのだ。

 ハンユンが埋められたのは山の緩やかな斜面で、周りは木で囲まれていた。上に被せられた土の色が他と少し違って見えるので、一目でそこだと分かるが、時間がたてばわからなくなってしまうだろう。ジャビは料理人の衣服の裾を破いて細い布を作り、それを近くの木の枝に括りつけた。当座はこれでいい。もしこの布が朽ちてしまうようだったら、別の目印を置けばいいのだから。

 周りと色の違う地面に目を落とす。ハンユンが危ないのではと勘付いていた。だがジャビは彼を助けなかった。ゾラに首を絞められてもがいている彼を、物陰からじっと見つめているだけだった。あの時飛び出して助けに入っていれば。あるいは昼間の内に彼に忠告していれば、死なずに済んだかもしれない。見殺しにしたのだ。それは己の宿願を果たすためだった。

(ハンユンが残した記録。これがあればガド豆自体に問題があり、それを奴らが己の利益のために隠蔽したと証明できる。そしてゾラの殺人。ハンユンがゾラを手伝っていたのは菜園の誰もが知っている。不都合な事実を知られ手口封じをしたのだから、言い逃れはできまい)

 証拠をつかむために、敢て罪を犯させた。そのために一人の善良な若者の命を犠牲にした。後悔もしているし、人として許されない行いだという自覚もある。ただ、あのヒョオルと戦うなら、穢れない存在でいられるわけがない。

(許せよ。きっとお前の無念を晴らしてやるからな)

 そう、土の中に向かって心で語り掛け、ジャビは急いで山を下りた。

 翌日、朝になってもハンユンの姿が無いので、雑吏(ソギ)たちは菜園のあちこちを探していた。一番先頭に立って探し回っていたのはゾラだった。

「昨日肥料の作業を終えて確かに二人で菜園の入り口を出た。王宮の門を出て、それぞれ家に帰ったのだが、どうして出てこないのか」

 ずると、ある雑吏(ソギ)がガド豆畑の一部が荒れていると知らせた。見てみると、苗が一部潰されたようになっている。

 ハンユンが尻もちをついたからだ、だがゾラはそんなことはおくびにも出さず、帰る時まで何事もなかったとを嘘をついた。

「もしかして獣の仕業かな」

「ハンユンは畑を守って獣と格闘したのかもしれないぞ」

「待て待て、さっきゾラさんが帰ったと言ったじゃないか」

「何か理由があって、戻ってきたのかもしれないじゃないか」

 そこでゾラは思い出したように言った。

「そういえば、ハンユンに頼んでこれまでガド豆の観察記録をまとめてもらっていた。帰る時妙に身軽だったが、もしかしたらその資料を忘れて、取りに戻ったのかもしれん」

 実際、雑吏(ソギ)小屋の中にはそういう資料は一切見当たらなかった。

 これで、ハンユンは忘れ物を取りに戻ってきて、畑を獣が荒らしているのを見て格闘したが、帰って獣に襲われ、お狩場の山に引きずって行かれてしまった、という仮説が立った。

 山にはキツネや狼がいる。比較的小さい獣だが十分に危険でもあるので、ハンユンが獣の餌食になったとはありえることだ。

 雑吏(ソギ)たちは仕事の合間に山に分け入って探したが、十分な捜索はできず、結局見つからなかった。もしや家に帰っているかもと、希望を抱いて翌日を迎えたが、結局彼は現れなかった。数日過ぎて、もう獣に喰われてしまったのだと決めつけて、菜園で簡易的な葬式を挙げ弔った。

 ジャビは簡単な供えの料理を依頼されたので、詰所にある竈でこしらえた。しかし彼はこの葬式を冷ややかに眺めていた。すべて茶番だと知っているからだ。

 獣に喰われたわけではない。ゾラが殺したのだ。だというのに、ゾラは一番彼の死を悼んでいるふりをして、涙を流していた。よくできるものだと、いっそ感心した。

(こうして人を欺くのは奴らの常套手段なのだろう。ヒョオルも人を騙すのが得意だったではないか)

 心の中でそう毒づいて、一方でハンユンを見殺しにした罪悪感をやり過ごしながら、弔いが終わるのを待った。

 ガド豆の件は、二日後にゾラが王に報告を挙げた。

「ガド豆の不作は、やはり土に問題がありました。宮中のいろいろな土に植えたガド豆は活力を取り戻しました。一方で、新しい苗を水害のあった地域の川の上流地域の土に植えてみた所、成長が遅かったのです。これはつまり、川の上流地域の土があまり植物の生育に合わなかった事が原因かと思われます。そこの土がとても悪いということではなく、あまり良くなかったという程度なのです。ですから植えてからしばらくして問題が起きたのです」

「そうか。しかし、宮中のガド豆畑はなぜなのか」

「はい。それについては私も頭を悩ませましたが、宮中のガド豆は、土の問題では無かったようです。じつは宮中のガド豆は活力を取り戻しつつあります。思うに、宮中の畑は日当たりがあまり良くない場所にあり、ちょうど数か月前には気温が安定せず、寒くなったり暑くなったりしておりましたので、その影響を受けて、じわりじわりと弱っていたようです」

 宮中の畑のガド豆が息を吹き返したのは、ゾラがここ数日肥料を撒いて上辺だけそう見せかけたからに過ぎない。だが、それを知らない人々は、彼の言葉を信じた。

「しかし、水害のあった地域の土がこのままでは困ります。そこで私が肥料を作りましたので、これを畑に撒いて、土の中の栄養を補ってやれば、作物を育てることができると思われます、作り方を水害のあった地方の農民に教えてやってください」

「既に解決のために肥料まで作っていたのか」

 王は感心して、直ちに肥料の作り方を水害の被害を受けた地域に知らせるよう命じた。

 肥料の効果でガド豆は元気を取り戻した。しかし、それが見せかけであると知っているのはヒョオル一派の人間と、ジャビだけだった。
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