第二十四章 出会い 第三話
文字数 2,984文字
投げつけた槍は地面に刺さった。後ろから追いかけてくる足音が、それを証明していた。
リトクは民家の間の広い道を走った。もっと家が密集して道が細ければ、そう、都のようであったなら、隠れたり巻いたりしようがあるが、この田舎町ではそれは叶わない。
交代の兵士たちは詰め所を出発しただろうか。ならば詰所の方へ行けば彼らと鉢合わせできるかもしれない。走りながらそんなことを考えられるほどには、まだ余裕があった。
ところが、角を曲がったところで目の前にもう一人刺客が現れた。もう一人いたとは思わず、ぶつかる前に立ち止まるのが精いっぱいだった。
刺客は素早い動きでリトクに切りつけた。すんでのところで、体をひねったため上腕を切り裂かれるにとどまった。
腕から流れる血が、罪人の白い木綿の衣服を染めてゆく。切り傷など初めてで、その痛みにリトクは腕を押さえてうずくまった。そこへ後ろからついてきた刺客の渾身の一撃が振り下ろされる。
しかし、刃はリトクを貫くことは無かった。後ろから体当たりを食らった刺客は、リトクの前方へのけぞり、もう一人の刺客ともつれて倒れた。
リトクが見上げると、同じく黒装束の人物だった。彼はリトクを守るように刺客とリトクの間に立ちはだかり、反撃の余地を与えないよう、刺客に蹴りをいれた。
腹を蹴られた刺客はそのまま地面を少し転がった。もう一人が襲い掛かるが、剣で受け止められる。蹴られた刺客が立ち上がって、石を投げようとしたが、その直前で意図が切れた操り人形のように倒れた。リトクがあたりを見回すと、反対側に人影がある。どうやら吹き矢を放ったようだった。
残った刺客は助けに入った人間と数合打ち合っていたが、敵わないと見たか、おもむろに短刀を倒れた刺客に向かって投げ、そのまま逃走した。助けに入った黒装束は二人ともその後を追った。
傷を押さえて近づいてみると、倒れた刺客は胸の真ん中に短刀が突き刺さり、既に息絶えていた。命を狙ってきた相手とはいえ、死人の青白い顔は恐ろしく、哀れでもあった。
リトクが呆然とそこに座り込んでいると、背後で人がたじろぐ音がした。警戒して振り返ると、そこには薄汚れた衣服に割烹着を身に着けた男がいた。片手に籠を持って、中には卵が入っている。
「だ、大丈夫か? 手当しなくては」
リトクが血を流しているのを見て、慌てて駆け寄ってきた男は、籠を地面に置いたはいいが、包帯になる物もないし、周りに人もいないしで、あわあわと慌てるだけだった。
「すまないが、兵士の詰め所へ行ってくれ、罪人が襲われたと言えば駆けつけるはずだ。傷は大丈夫だ、それほど深くない」
おろおろした男が立ち上がる前に、先ほど刺客と戦っていた兵士たちが、互いに肩を貸し合いながら現れた。皆怪我ですんだようで、リトクは安心した。
比較的元気な一人が詰所へ向かった。残りの者たちはリトクの周りに立って、さらに襲撃がないか警戒し、一方で持っていた縄でリトクの腕を縛り血を止めた。
程なくして交代の兵士たちがやってきて、リトクと怪我が重い仲間を連れて引き上げていった。
「あ、あの。一体どういうことだったんでしょうか? あのひとは罪人と言っていましたが?」
男は残った兵士に訊ねた。
「あの罪人は元王子様なのだ。どうして襲われたのかは知らん」
それだけぶっきらぼうに答えて兵士は去って行った。
(元王子様?)
男は籠を持ちあげて、思案しながら横道食堂へ向かった。
「おう、トック、戻ったか。早く次の茄子を切ってくれ。こういう細工は、俺にはできねぇからな」
日焼けして恰幅の良い店主が声をかける。トックは卵を厨房の決まった場所へ置くと、すぐに手を洗って茄子の飾り切りを始めた。
ヒョオルの悪事を知ってしまったがために、宮中を追い出された後、トックはあちこちを放浪した。故郷に戻っても、見知らぬ土地へ行っても、額の盗人の焼き鏝 の跡が邪魔をして、働き口が見つからなかったからだ。ついにこの漁村へたどりつき、やっとこの食堂で働けることとなったのだ。
ここが流刑地であると知り、結局は流罪と同じかと自嘲したが、店主は罪人のトックに冷たくせず、むしろ宮中仕込みの腕を頼みにもしてくれるので、だんだんと以前の明るさを取り戻してきた。
罪人がいることを大っぴらにはできないので、いつも目深に手ぬぐいを巻いて、焼き鏝 の跡を隠していた。そして客の対応はなるべくしないようにして、いつも厨房に引っ込んでいた。今日も昼前に煮茄子麺 の仕込みがひと段落すると、卵の買い足しに出ていた。なので、先ほどリトクが店に来ていたことは知らない。
(流刑になった王子様といえば、リトク王子様とマショク王子様、先ほどの方の年齢からすれば、リトク王子様か?)
流刑地は他にもいくつかある。宮中にいたころは、どこに流されるのかをまったく気にしていなかったが、よもやここに流されていたのか。
「旦那、ここに王族の方が流刑になっているんですか?」
「ああ、何年前かな、リトク王子様が流されてきたよ。いやぁ、これまでも流刑になった罪人はたくさんいたが、王子様ってのは初めてだなぁ。まぁ、罪人は罪人だから、俺たちにとっちゃ別にどうってことねぇんだがな」
トックの小包丁 は動きを止めた。
やはりあれはリトク王子だったのだ。そうとは知らず随分無礼な態度をとった気がする。宮中だったら首が飛んでいてもおかしくなかった。
まずそういう考えが浮かぶのも、トックが彼をれっきとした王子だと認識しているためだ。先の王太子暗殺未遂事件のすべてがヒョオルと新王妃によって仕組まれたものだと知っているから。
冤罪でこの地に流されたリトク王子がいるのなら、自分が知った真相を教えなければ。彼はいったいなぜ自分がこの地にいるのかさえも知らないのだ。そんなことがあっていいだろうか。こんな目に遭いながら、ずっとあの悪人を信頼できる料理人と記憶していることなんて、あってはならない。
トックは料理に使う煮卵をこっそり二つ取り分けて、漬物と酢でしめた魚を蓋つきの器に入れておいた。
仕事が終わってから、兵士の詰め所へ行って、当直の人間に罪人の家の所在を訪ねた。そして町から外れた雑木林の側にあるあばら屋へ向かった。
「何者だ、こんな夜中に」
昼間のこともあったので、兵士たちは警戒していた。
誰何されてトックはぐっと詰まった。考えてみれば、リトクとは顔見知りでもなんでもない。面会する正当な理由がないのだ。
口ごもるトックを怪しんで、兵士の表情が険しくなる。
「あの、私は横道食堂の料理人でして……」
どうしようもなく事実を告げると、兵士の表情は緩んだ。
「ああ、昼間みんなで食事に行ったとか。まったくあいつらときたら、ちゃっかりサボりやがって」
「ああ、いや、そ、それで元とはいえ王子様にお運びいただいたので、店主が礼を言いに行けと」
咄嗟に話を合わせたのはトックにしては上出来だった。さらに幸運なことに、夜半に騒がしいから何事かと、リトクが外に出てきてた。
「もう王子でもなんでもないのに」
兵士から事情を聞くと、リトクは困ったように笑った。それからトックの顔を見て、昼間介抱しようとしてくれた人間だと思いだした。
怪しい人間ではないとわかり、兵士も許したので、トックはあばら屋へ入った。
リトクは民家の間の広い道を走った。もっと家が密集して道が細ければ、そう、都のようであったなら、隠れたり巻いたりしようがあるが、この田舎町ではそれは叶わない。
交代の兵士たちは詰め所を出発しただろうか。ならば詰所の方へ行けば彼らと鉢合わせできるかもしれない。走りながらそんなことを考えられるほどには、まだ余裕があった。
ところが、角を曲がったところで目の前にもう一人刺客が現れた。もう一人いたとは思わず、ぶつかる前に立ち止まるのが精いっぱいだった。
刺客は素早い動きでリトクに切りつけた。すんでのところで、体をひねったため上腕を切り裂かれるにとどまった。
腕から流れる血が、罪人の白い木綿の衣服を染めてゆく。切り傷など初めてで、その痛みにリトクは腕を押さえてうずくまった。そこへ後ろからついてきた刺客の渾身の一撃が振り下ろされる。
しかし、刃はリトクを貫くことは無かった。後ろから体当たりを食らった刺客は、リトクの前方へのけぞり、もう一人の刺客ともつれて倒れた。
リトクが見上げると、同じく黒装束の人物だった。彼はリトクを守るように刺客とリトクの間に立ちはだかり、反撃の余地を与えないよう、刺客に蹴りをいれた。
腹を蹴られた刺客はそのまま地面を少し転がった。もう一人が襲い掛かるが、剣で受け止められる。蹴られた刺客が立ち上がって、石を投げようとしたが、その直前で意図が切れた操り人形のように倒れた。リトクがあたりを見回すと、反対側に人影がある。どうやら吹き矢を放ったようだった。
残った刺客は助けに入った人間と数合打ち合っていたが、敵わないと見たか、おもむろに短刀を倒れた刺客に向かって投げ、そのまま逃走した。助けに入った黒装束は二人ともその後を追った。
傷を押さえて近づいてみると、倒れた刺客は胸の真ん中に短刀が突き刺さり、既に息絶えていた。命を狙ってきた相手とはいえ、死人の青白い顔は恐ろしく、哀れでもあった。
リトクが呆然とそこに座り込んでいると、背後で人がたじろぐ音がした。警戒して振り返ると、そこには薄汚れた衣服に割烹着を身に着けた男がいた。片手に籠を持って、中には卵が入っている。
「だ、大丈夫か? 手当しなくては」
リトクが血を流しているのを見て、慌てて駆け寄ってきた男は、籠を地面に置いたはいいが、包帯になる物もないし、周りに人もいないしで、あわあわと慌てるだけだった。
「すまないが、兵士の詰め所へ行ってくれ、罪人が襲われたと言えば駆けつけるはずだ。傷は大丈夫だ、それほど深くない」
おろおろした男が立ち上がる前に、先ほど刺客と戦っていた兵士たちが、互いに肩を貸し合いながら現れた。皆怪我ですんだようで、リトクは安心した。
比較的元気な一人が詰所へ向かった。残りの者たちはリトクの周りに立って、さらに襲撃がないか警戒し、一方で持っていた縄でリトクの腕を縛り血を止めた。
程なくして交代の兵士たちがやってきて、リトクと怪我が重い仲間を連れて引き上げていった。
「あ、あの。一体どういうことだったんでしょうか? あのひとは罪人と言っていましたが?」
男は残った兵士に訊ねた。
「あの罪人は元王子様なのだ。どうして襲われたのかは知らん」
それだけぶっきらぼうに答えて兵士は去って行った。
(元王子様?)
男は籠を持ちあげて、思案しながら横道食堂へ向かった。
「おう、トック、戻ったか。早く次の茄子を切ってくれ。こういう細工は、俺にはできねぇからな」
日焼けして恰幅の良い店主が声をかける。トックは卵を厨房の決まった場所へ置くと、すぐに手を洗って茄子の飾り切りを始めた。
ヒョオルの悪事を知ってしまったがために、宮中を追い出された後、トックはあちこちを放浪した。故郷に戻っても、見知らぬ土地へ行っても、額の盗人の焼き
ここが流刑地であると知り、結局は流罪と同じかと自嘲したが、店主は罪人のトックに冷たくせず、むしろ宮中仕込みの腕を頼みにもしてくれるので、だんだんと以前の明るさを取り戻してきた。
罪人がいることを大っぴらにはできないので、いつも目深に手ぬぐいを巻いて、焼き
(流刑になった王子様といえば、リトク王子様とマショク王子様、先ほどの方の年齢からすれば、リトク王子様か?)
流刑地は他にもいくつかある。宮中にいたころは、どこに流されるのかをまったく気にしていなかったが、よもやここに流されていたのか。
「旦那、ここに王族の方が流刑になっているんですか?」
「ああ、何年前かな、リトク王子様が流されてきたよ。いやぁ、これまでも流刑になった罪人はたくさんいたが、王子様ってのは初めてだなぁ。まぁ、罪人は罪人だから、俺たちにとっちゃ別にどうってことねぇんだがな」
トックの
やはりあれはリトク王子だったのだ。そうとは知らず随分無礼な態度をとった気がする。宮中だったら首が飛んでいてもおかしくなかった。
まずそういう考えが浮かぶのも、トックが彼をれっきとした王子だと認識しているためだ。先の王太子暗殺未遂事件のすべてがヒョオルと新王妃によって仕組まれたものだと知っているから。
冤罪でこの地に流されたリトク王子がいるのなら、自分が知った真相を教えなければ。彼はいったいなぜ自分がこの地にいるのかさえも知らないのだ。そんなことがあっていいだろうか。こんな目に遭いながら、ずっとあの悪人を信頼できる料理人と記憶していることなんて、あってはならない。
トックは料理に使う煮卵をこっそり二つ取り分けて、漬物と酢でしめた魚を蓋つきの器に入れておいた。
仕事が終わってから、兵士の詰め所へ行って、当直の人間に罪人の家の所在を訪ねた。そして町から外れた雑木林の側にあるあばら屋へ向かった。
「何者だ、こんな夜中に」
昼間のこともあったので、兵士たちは警戒していた。
誰何されてトックはぐっと詰まった。考えてみれば、リトクとは顔見知りでもなんでもない。面会する正当な理由がないのだ。
口ごもるトックを怪しんで、兵士の表情が険しくなる。
「あの、私は横道食堂の料理人でして……」
どうしようもなく事実を告げると、兵士の表情は緩んだ。
「ああ、昼間みんなで食事に行ったとか。まったくあいつらときたら、ちゃっかりサボりやがって」
「ああ、いや、そ、それで元とはいえ王子様にお運びいただいたので、店主が礼を言いに行けと」
咄嗟に話を合わせたのはトックにしては上出来だった。さらに幸運なことに、夜半に騒がしいから何事かと、リトクが外に出てきてた。
「もう王子でもなんでもないのに」
兵士から事情を聞くと、リトクは困ったように笑った。それからトックの顔を見て、昼間介抱しようとしてくれた人間だと思いだした。
怪しい人間ではないとわかり、兵士も許したので、トックはあばら屋へ入った。