第三十一章 大逆と破滅  第九話

文字数 2,922文字

 目覚めると、見慣れない天上が目に入った。ジャビは半身を起こして周りを見ようとしたが、体に上手く力が入らない。

 すると、天井の手前に見知った顔が割り込んできた。

「目覚めたか」

「ソウジュン殿。ここは?」

「『国治院(ゾンデウォン)』の一室だ。まさか王様と同じように毒を飲んで倒れたことを忘れたわけではあるまい」

 それは覚えている。自ら毒を飲んでヒョオルの使ったからくりを証明して見せたのだ。あそこまで追い詰められてもなお、人々を欺き操るヒョオルを前にして、本当に命を捨てる覚悟で挑まなければ倒せないと悟り、自らの命を危険に晒したのだった。

「それで、あのあと料理長はどうなりましたか?」

 命を懸けたのだから、捕えられもせず取り調べ儲けていないなどということはあるまい。
ソウジュンは医官が置いていった煎じ薬の椀をジャビに握らせてから、その後の顛末を語った。

「料理長を追い詰めようとしたが邪魔が入った。権女官(けんにょかん)のサユだ。あの者が、王太子様の世になれば自分も栄華を極められると思ったのが理由だと。苦し紛れにヒョオルを庇っているのは明白だが、サユは自分がやったの一点張りで、そればかりかその他のヒョオルの疑惑も全て自分のしたことだ言い出した」

 王は当然二人を捕えたが、ヒョオルの方は知らぬ存ぜぬを貫いているそうだ。

権女官(けんにょかん)が出てくるとは、まったく考えていませんでしたがあり得ることです。完全に油断していた」

 ジャビは煎じ薬を膝の上に置いて俯いた。もう少しだったのに、サユがヒョオルの盾となるのを許してしまった。これだからヒョオルとの戦いは最後まで気が抜けない。

「王様はまだ全快なさっていないので、取り調べは先に進んでいない。お前も早く回復して、サユもヒョオルも片付けてしまわなくては」

 ソウジュンに急かされて、ジャビは煎じ薬を口に運んだ。


 サユは取り調べ室で役人にこう証言した。

「今回王様を害そうとしたことだけではなく、ジャビが挙げた料理長様への疑惑の全ては私が犯した罪なのです。料理長様がやったと、王妃様も親衛隊長もおっしゃっていますが、それは間違いです」

 ヒョオルの罪を全て引き受けて彼を生かす。それがヒョオルへの最後の献身だった。

「そもそも、最初の陰謀は、私が企んだことでした。ですが、料理長様に知られてしまい、どうにかしようと、私は料理長様を脅したのです。女官である私とただならぬ関係だと言いふらすと。当時料理長様は宮中に上がったばかりでしたし、民間登用の料理人でしたから、女官と密通したとあれば、命を失いかねません。それで、料理長様は仕方なく口をつぐみました。私はそれを良いことに、その後も料理長様を脅して、陰謀に引き込んだのです」

 サユはずっとその主張を繰り返した。

 しかし、彼女以外の人間は、ヒョオルを庇おうとしなかった。

 新王妃は、己が王妃となり息子を王太子にするべく王妃と王女を排除したこと、三ノ賜室(さんのししつ)を流産させたことなども全て自白したうえで、長年自らの配下として暗躍してきたのはヒョオルなのだと訴えたし、カンビも賄賂を渡したのに養女に便宜を図ってくれなかったとかそういう証言を山ほどした。ソウジュンたち経市派(プリョルネ)の主だった者たちも捕まったが、彼らは新王妃はもちろん、ヒョオルの事も切り捨てて保身を図っていたので、自分たちの関与は無かったと歪曲して彼らの罪をあげつらっていた。

 そのために、騙されていた多くの者たちも、だんだんとヒョオルへの疑念を強めていった。
ジャビは体の調子が戻ると、サユの取り調べに参加した。

「王様の命を狙ったヤンジャムの汁物は料理長が作った料理です。どうしてあなたがそれに細工をできるのですか」

「料理長様のそろえた食材のうち、ユックの根をジョギに、そして本物のトニョッコの根を見た目の似たただの木の根にすり替えた。王様の煎じ薬の処方箋も、王太子様の病状について調べると言って『国治院(ゾンデウォン)』へ入れば容易に盗み見られる」

「ですが、料理長が食材がすり替わっていたことに気が付かないはずはないでしょう。他の罪に関しても、全てあなたの仕業でヒョオルはやむを得なく従っていたというのは、無理がありますよ」

「他人が無理があると思ったとしても、それが真実であるのだから受け入れてもらうしかない」

 もう庇いきれないとわかっているはずなのに、ヒョオルを救うというサユの遺志は強固だった。

「なぜ料理長を庇うのですか。もうあなたが何を言っても彼を救うことはできませんよ」

「まだわからないではないか。お前の言葉が信じられたの同じく、私の言葉を見なが信じるかもしれない。私は最後まで諦めない」

「どうしてそこまで……」

 マァヤとクムナの話に出てくるサユは、真面目で優しく、淑やかで、控えめで、誰からも好かれる女官だった。それがどうしてヒョオルの手先になってしまったのかと、敵であっても惜しかった。

 実際、女官たちからの人望は消えず、捕えられて二日経つが、彼女を気遣った女官たちはあれこれと食べ物を拵えては差し入れしていた。もっともどれも手をつけていないらしい。

 そのためか心労のためかはわからないが、もともと華奢だったのが更に肉が落ちて頼りなくなったように見えた。だが、不思議なことにその顔はふわりと光彩を纏っているようだった。

「幸せそうですね」

 気が付けはジャビは率直な感想を口にしていた。相手の矛盾を突くのでもなく、事自治を得ようと駆け引きするのでもなく、ただただ感じたことを口に出していた。

「そう見えるか。そうなのだろうな。私はきっと無邪気に料理をしていたころと同じように、いやそれ以上に良い顔をしているだろう。

 私はあの人に出会ったことを後悔していない。私たちが出会ったのは運命だったのだ。たとえ道が違っていたとしても、必ず最後はあの人の側にいただろう。お前には理解できないだろうが、私は今満ち足りている。あの人が命で罪を贖うのは、わたしにとって忌むべき最後であったはずなのに、最後まで共にあれると、幸せを感じてしまっている」

「それは……慕っていたからですか?」

「世の中の女が抱くような単純な慕情とは少し違っているのかもしれないが。この感情は女官として一生味わうことがないものだっただろう」

 サユの意志は固く、とてもヒョオルの罪を証言しそうにない。

 ゾラにも会ったが、彼もヒョオルは関係ない、全て自分ひとりでやったことだと言った。

「あの人は私に生きる道を示してくださった。だから私の命はあの人のために使うのだ」

 ジャビは溜息をついて、ゾラの前から去った。

 ヒョオルとともに悪の道を歩んだ二人ならば全ての罪を知っているはず。それを証言してほしかったのだが、ジャビの期待通りにはならなかった。

(だが、彼らが沈黙したとして、我らが集めた証拠や他の人間の証言があれば、ヒョオルが言い逃れできなくなるのは時間の問題だ。それでもヒョオルは最後まであがくのだろうか)

 王はまだヒョオルを尋問しておらず、彼の罪については触れていなかった。この期に及んで王はまだヒョオルに情をかけているのだろうか。ジャビがそう憂い始めた頃に、王が一連の事件の関係者全員を直々に尋問するというふれが出た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み