第三章 嬉しき追放  第三話

文字数 2,942文字

 それからというもの、ヒョオルはより一層料理の修行に励むようになった。セルトルの手伝いをしながら、説明を聞くだけでなく、彼の包丁さばきからちょっとした手の動きも注視して、自分のものにしようと努めたし、味見をさせられるたびに、その味の調和を覚えようとした。

 実際に余った食材をもらって、焼く、煮る、蒸す、炒める、揚げる、と様々な調理法を試し、それぞれの場合の堅さや味の変化を学び、そのうえで塩、胡椒、味噌など、別々の調味料で味をつけたらどうなるかも熱心に試した。

 元々手先が器用だったので、調理の際、よく飾り切りをやらされたが、最初上手く切れなくても、同じ失敗は二度と繰り返さなかったし、次から次へと難しい技法を習得していった。

 寸暇を惜しんで料理の書物を繰り返し読み、完璧に暗唱できるほどになった。ただ覚えるだけでなく、その知識を調理にしっかりと運用した。また、書物に記述が無くとも、セルトルから教えられた知識や、自分で気が付いた事柄を、すべて小さな帳面に書き留めて、暇を見つけては読み返した。

 こうして、セルトルの期待に応え、ヨクギ家全員から感心な弟子であると認められ、ヒョオルは成長し、いつしか十四歳になっていた。

 その日の昼食用に、ヒョオルは大根の飾り切りをしていた。

 まず大根の皮をかつら剥きにする。ヒョオルの手が滑らかに動くと、するすると皮が螺旋を描きながら下に垂れてゆく。厚みは均等で、途中で切れることはなかった。

 それから、先端と葉の部分を切り落とし、棒状になるように刻む。その後飾り切り用の細い包丁を手に取り、棒の表面を削り、一振りの枝に花のつぼみが付いているような姿に変えた。

 セルトルは大きな鍋で牛の骨から出汁を取り、その中に具を入れる牛骨の汁物(テンラクタン)を作っていた。こうした汁物は庶民から貴人までよく食べられており、豚や鶏、魚で出汁を取ることもあるし、味付けも具も、季節や家庭、料理人によって千差万別だ。これをどれだけおいしく作れるかが、料理人の腕の見せ所でもある。

 セルトルは色味の違う幾つかの葉菜を細長く切って、適当な長さにしたものをいくつかまとめて結び、出汁の中に入れて煮た。

 煮ている間に、ヒョオルが先に作っておいた小麦粉の生地を取り出し、出汁を採っている間に作っておいた餡を包んだ。

 餡は三種類あり、一つは山で採ってきたいくつかの茸を刻み、軽く炒めて味噌などで和えたもの。もう一つは辛味のある青菜の漬物を刻んだもの。三つめは南瓜を煮て潰し、砕いたクルミと混ぜ、醤油と酒で味を調えたものだ。焼き饅頭(ジャンチュドナ)といって、これも広く食べられている料理だ。汁物と同じく、餡は国中で無数の種類があった。

 それぞれ見た目で味がわかるように丸、半月型、三角形に包む。ヒョオルも飾り切りを終わらせて、包むのを手伝った。

 ヒョオルはこうした作業も得意で、早く、美しく包むことができた。

「鍋が煮えてきましたよ。俺が焼いておきますから、汁物を仕上げては?」

 餡がなくなると、ヒョオルは平たい鍋を取り出してそう言った。焼き饅頭(ジャンチュドナ)を焼くくらいなら、ヒョオルにもできる。

 だが、セルトルは首を振った。

「それは私がやる。鍋の方を味見してみろ」

 ヒョオルは匙で煮えた汁物を掬い、口に含んでみた。

「どうだ?」

「塩を四摘み、胡椒を二掬い、ギダを二枚、大き目に千切って入れます」

 ヒョオルが味付けを見立てると、セルトルは自らも味を見てから、それらの調味料を鍋に入れた。その後、またヒョオルに味見をさせる。

「もう少し胡椒が強いほうが良いでしょう」

 セルトルも味を見て、それから胡椒を少し足し、最後に小さい四角に切った豆腐を入れ、また味を見た。

「うん。これで良い」

「あの、この豆腐は少し硬いので、豆腐を食べたらその味が強く出る気がします。少しだけ調味料を多くしたほうが良いかと」

 ヒョオルはそう意見した。

「いや、豆腐の味が強く感じられる方が、全体の味を締めることになっていいだろう」

「でも、焼き饅頭(ジャンチュドナ)があるから、汁物は全体に一つの味を突出させるのではなくまろやかに仕上げるほうが、全体の調和が取れると思います」

「それも一理あるが、全体の調和を考えるべきは、もう少し品数が多い時だ。二品だけなら、そこまで気を使うと、却って味を損ねることになる」

 と、セルトルは取り合わなかった。

「火を小さくして、温めるだけにしておけ。その間に焼くぞ」

 言われた通り、ヒョオルは火鋏で竈の中の薪を取り出し、火が付いたままのそれをもう一つの竈の中へ移した。平たい鍋を用意して油をひく。

 鍋が十分温まると、セルトルは焼き饅頭(ジャンチュドナ)を並べて、箸でひっくり返しながら焼いていった。ヒョオルは小鳥の模様が彫ってある木の皿と、汁物を入れる木の椀を持ってきたが、すぐ手持ち無沙汰になってしまった。

(絶対にもう少し調味料を足したほうがいい)

 そう思って、小さな火で温めている汁物の鍋、そしてセルトルを見る。セルトルはせっせと饅頭を焼いていて、こちらに意識が向いていない。

 ヒョオルはさりげなく鍋の方に寄って、塩、胡椒をもう一摘みと小さいギダの葉を千切り鍋に素早く入れた。セルトルは気がついていない。ヒョオルはそっと杓子(しゃくし)でかき回し、なに食わぬ顔でセルトルの側へ戻った。

 焼けた饅頭をつまみ上げたセルトルの前に(へら)を差し出す。丸、三角、半月の饅頭がホクホクと湯気を立ててザルの上に重なる。ある程度の数になると、ヒョオルはそれを四つの皿に取り分けた。そこに、飾り切りしておいておいた大根を添える。

焼き饅頭(ジャンチュドナ)の餡がどれも濃い味付けなので、口直しに(かじ)るのだ。

 汁物も椀に入れて、膳の上に乗せる。給仕役たちがそれを主人たちの部屋へ運んでいった。

 主一家は母屋のひと部屋に集まり、膳が運ばれてくると、揃って箸をつけた。

「あら、この汁物すごく美味しいわ」

 お嬢様の言葉に、ほかの三人も汁物を飲んでみる。

「おお、確かに。いつもより少し濃い味付けのようだが、程よいな」

 クァトルも気に入ったようである。奥方も若様もそれに同意した。

 若様の給仕をしていたゴンリョルは、裏に戻ったとき、主たちが褒めていたとセルトルに伝えた。

「そうか。いつもと変えてはいないのだが、やはり豆腐のおかげなかな」

 セルトルはさして気にしていなさそうだったが、側で聞いていたヒョオルは、やはり自分の味付けの方が正しかったのだと、心の内で手を打って喜んでいた。

「これは皆の夕飯に取っておこう。別の鍋に移しておいてくれ。私は器を買いに行ってくる」

「陶器の大皿ですか?」

 先日、給仕役が転んで真っ二つに割ってしまったのである。幸い、高価な品ではなかったので、手を叩かれる程度で済んでいた。

「しばらく帰らんから、留守は任せたぞ」

 留守といっても、食器を洗って調理道具の手入れをするだけで、いつもと変わらないが、ヒョオルはしっかりと頷いて答えた。

 セルトルが調理用の上着を着替えて出て行ったあと、厨房の仕事を手早く終えたヒョオルは、『食医事典(しょくいじてん)』を手に取り読み返そうとした。

 そこへパオがやってきた。

「なんだ、セルトルさんはいないのか?」

 ヒョオルがそっけなく外出したと伝えると、当てが外れたような顔をして、戻って行った。
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