第四章 厨房の争い  第一話

文字数 2,973文字

 朝日が立ち並ぶ家の瓦屋根を金色に染めている。通りには店の客引きや物売りの声が満ち、明るい顔をした人々が往来を行き来する。まだ日が昇ったばかりなのに、活気に満ち溢れている。

 ここは西部の都市・スジャンである。街の中心から東西南北に延びる大路を行商人が行き交い、あちこちに市が立ち、外国から入ってきた珍しい物や、サハネ各地から集まった特産品、上質な布地、装飾品、紙、(すずり)、筆、山海の食材などが所狭しと並べられている。

 西に延びる大路をまっすぐ進むと海があり、港にはいつも舶来の船がおり、異国語があちこちで聞こえる。漁師たちの船もスイスイと大きな船の間を縫って泳ぎ、沖から帰っては新鮮な魚をどっさり下ろす。

 北の大路を行けば、賑やかな町並みは徐々にのどかな田舎の町へと変化し、やがてムホ山へたどり着く。山には山菜や木の実が多く、人々の畑も季節ごとにどっさりと作物が実る。なだらなムホ山の麓には、貴民(シャノル)の別荘が多く有り、豊かな自然が彼らを癒し、のんびりと羽休めさせてくれる。

 東への道はそのまま街道へつながる。街道は大きく湾曲しており、東北へ伸び、果ては北の国境へ続く。東北からの旅人は皆この道を通る。こちらからも別の国からの商品が入ってくるし、陸路から外国へ商品を売りにゆく者も多い。

 南の大路は、都へ続く道であり、ここを道なりに進めば、寄り道せずに七日で都へたどり着ける。いつかは国王もここを通って、コジャンに訪れ病気療養へ来たこともあった。

 都と並び称される大都市の市場にヒョオルはいた。衣服はヨクギ家にいた頃よりも、しっかりとしたものに改められており、もうひとりの少年が引く荷車を、後ろから押している。荷車の上には、新鮮な野菜がどっさりと積まれていた。

「おやじさん、茄子を見せてくれ」

 もうひとりの少年が、市場で野菜を広げる男に声をかけた。男はふたりを見ると、気前よく笑って、他のも見てくれと、(かぶ)牛蒡(ごぼう)の入った籠をずいと押し出してみせた。

「おい、ジハン、ここのはやめておけ」

 ヒョオルは茄子を見る少年の腕に手をかけた。

「ヘタに刺はあるし、色艶もいい。だがヘタの筋がはっきり出ていない。熟しきっていない証拠だ。さっきの所の物の方がいい」

「そりゃないぜ見習いさん。どこで売っていようが、ここで採れた茄子に変わりはないはずじゃないか」

 男はなんとか買ってもらおうと食い下がった。貴民(シャノル)の別荘、高級料亭から、庶民や旅人のための食堂、そして宿屋、こうした厨房は食品を扱う市場のお得意様だった。特に、料亭『月光(リウォソン)』は、貴民(シャノル)や大商人御用達の高級料亭であり、そこに野菜を卸しているとなれば、鼻が高いものである。

「『月光(リウォソン)』の見習いが、悪い食材を勝って帰るわけにはいかない」

「でもヒョオル、おやじさんの野菜は味が良くて、いつも買っているじゃないか。今日は無しってのは、どうもよくないぜ」

 ここの茄子も十分良い出来と言える。第一、野菜の善し悪しは天候に左右されがちで、いつも最高の野菜があるとは限らないのだ。

「より良い食材があって、値段が張るわけでもないのに、わざわざ悪い方を選ぶのは、料理人として良くないだろう。またルミヤ殿にどやされるぞ」

 そう言っても、ジハンも店のおやじも納得しない。ヒョオルは小さくため息をついて、牛蒡(ごぼう)の籠を指さした。

「じゃあ、代わりにこれを買っていこう。太さもちょうどいいし、まっすぐ伸びているからな」

 店主はほっと笑顔になって、籠から何本か牛蒡(ごぼう)を抜き、ジハンに渡し金を受け取った。

 二人はその後も市場をまわり、数箇所で野菜を買い付けた後、荷車を北の大路の方へ押して行った。

 ふたりの荷車がたどり着いたのは、料亭『月光(リウォソン)』の裏口。この料亭こそ、トンジュの経営する高級料亭だった。

 朝市での食材の買い出しは見習いの仕事である。ヒョオルとジハンが荷車から野菜を下ろしていると、他の見習い三人も、牛肉や豚肉、生きたままの鳥を買って帰ってきた。

 そのうち一人がつかつかと野菜の荷車に近づき、茄子やら南瓜(かぼちゃ)やらを手に取っては、しげしげ検分した。

「何を見てるんだ?」

 ジハンが手を止めて訊ねる。

「元労民(ロムノル)と田舎食堂の跡取りじゃあ、きちんとした食材を買ってきているかわからないから、料理人たちに怒られる前に、私が先に見てあげるのよ」

 彼女はチョウナといって、『月光(リウォソン)』の料理長の孫だった。代々西部で料理人をしている家柄で、父親が早死にしたから、祖父の後をついで、いつかこの料亭の料理長になるのだと、意気込んでいる。

 ジハンはむっとしたが、ここの見習いは、この華やかな都市で代々料理人として暮らしてきた家の子弟ばかりで、出自を馬鹿にされるのは日常茶飯事、まともに取り合う気が起きなかった。

 だが、元労民(ロムノル)は黙っていられない性分だった。ヒョオルは黙ってチョウナたちが買ってきた肉の包みを開いて、検分し始めた。

「ちょっと、何のつもり」

「自信満々な料理長のお孫様が、悪い食材を買ってきたとなれば、大恥をかくことになるだろう。だから俺が先に見てやっているのさ」

「馬鹿にしないで、そんな必要ないわ。私はこんな小さなころからお祖父さんと父さんに料理を習っていたの。あんたなんかと一緒にしないでよね」

 チョウナは片手を自分の膝の少し上くらいに(かざ)して言った。

「そうか? そのわりにはこの牛肉、固いし脂ものっていない。こっちのヒシャビは目が血走っていて毛艶が悪い。檻に押し込められていたかして、窮屈な思いをしたんだろう。こういうのは内臓の味が落ちる。今日は二階に部屋をとってあるお客様に、肝をお出しする予定だろう」

 ヒシャビというのは高級な鳥である。ヒョオルはその首根っこを掴み、ずいとチョウナの前に突き出して見せた。

「肝は煮込みだから、多少硬くてもいいのよ。肝以外の部分だって他のお客様に出すんだから、肉付きがいいのを選んできたの。牛肉も、あちこち見て回って、一番良い物を選んだんだから」

 市場に常に最高の食材が並んでいるとはかぎらない。だから、その日見た中で一番良い物を選んだり、献立に照らして、その料理の調理法に合う状態の食材を選ぶこともある。

 そうであるから、チョウナの食材選びは間違っているわけではない。ただ、ヒョオルの指摘も正しい。ましてヒシャビの目玉や毛艶など、チョウナは気に留めてもいなかったので、過ちを指摘されたようで、ついむきになってしまう。

「おい何を騒いでいる」

 さらにヒョオルに何か言おうとチョウナが口を開きかけたところで、誰かがこちらへ近づいてきた。頭には白い頭巾をかぶっており、白い割烹着を着た料理人である。

 サハネ国の割烹着は、日常の着物のような形をしていたが、調理の邪魔にならないよう袖は筒状で、袖口は手が通るほどの細さになっており、腕の自由を効かせるため、袖は身ごろの脇の下とだけ縫い合わせてある。したがって肩は露出しており、割烹着の下の着物が見える。

 彼の肩から除くのは臙脂色だった。この料亭では、臙脂色の衣服を身に着けているのは、何かしら役職を持っている料理人だけである。

「ルミヤ殿、ヒョオルが私の食材選びに文句をつけるのです」

 彼が食材の仕入れの責任者である料理人ルミヤだった。チョウナはまるでいじめられたとでもいうようにヒョオルを指さしながら言った。
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