第十七章 厨房補技  第五話

文字数 2,973文字

 リトクはヒョオルが作った煎餅のことと、彼が故郷でひもじさを凌いだ方法を教えた。

「なんと、木の皮や雑草を食すのか」

 王は驚いた。歴史書の中に、飢饉が起きた時、民は木の皮や草を食む、という表現は出てくるが、それが実際にあり得るということにも、深刻な飢饉でなきとも、そうやって飢えをしのいでる民がいるということにも。

「そのような物を口にするとは、まったく望ましいことではありませんが、今は国中が飢えに苦しんでいるのですから、致し方ないことです」

「それはそうだが。それで、我々がそうしたものを食して、少しでも食料を民へ回そうというのか」

「それもありますが、我々の食べる分を節約するだけでは、とても多くの民を救うにことはできません。私が思うに、このような食材の調理法をまとめて、各地へ普及させ、臨時の食料として、民たちが口にできるようにするのがいいのです」

 リトクの考えに王は感心したが、それを実行することには躊躇した。

「いかに飢饉であるといえど、民に木の皮と雑草を食べさせるのは忍びない。蓄えていた食料も足りず、もう打つ手が無くなったのは事実だ。だからといって、食べ物と言えないものでも煮炊きして食えなど、そんな冷酷なことは、王としてとても言えぬ」

 リトクは父の王としての責任と民を想う気持ちは理解できた。しかし、王の言う通り、今のところ国庫を開けて民に食料を与えるしかなく、それも限りがあるのだ。食料が尽きたら、それからあと、どうやって民を救うことができるだろう。

「食料は限りがあります。今の食料がなくなれば、どのみち民は木の皮を食べ、泥水をすするしかなくなるのです。食に対する知識がない民が見境なく山野の物を食べれば、飢えを凌ぐどころか、病を発し命を落とす者が後を絶たなくなるでしょう。ならば宮中の料理人に調理方法や食べ方を教わり、それを各地へと広める方が、多くの民を救えます」

 息子の熱心な説得で、王もついにその提案を受け入れた。

「どうせなら、ヒョオルだけではなく他の料理人たちにも同様の知識がないかどうか尋ね、食材、調理法全てを網羅した書を作り、これを各地の役所に広め、民に語って聞かせよう。そうすれば、今後飢饉が起きた時、民が飢えをしのぐことができよう」

 王は正式に『建穏院(ケヨンウォン)』へと命令を出した。

「そんな。木の皮や雑草の食べ方ですと?」

 それを聞いてキョンセは絶句した。キョンセだけではなく『建穏院(ケヨンウォン)』の多くの料理人たちもだ。

 彼らは皆、代々高級料亭か貴民(シャノル)の屋敷に仕えていた者ばかりで、本来食べられないものを食べる術など知りもしなかった。その上、宮廷で日々高級な食材を扱い、華美な料理を作ることを生業としている。それがどうして木の皮を刻み、雑草を煮なければならないのかと、誇りを傷つけられたような怒りすら生じていた。

「そんなものは、まったく料理とは言えません。我々がそのような食材と呼べないものの調理法を記した書物を編纂するなど、まったくありえないことです」

 料理人たちは口々に反対した。

「それもこれも、ヒョオルがリトク王子様に妙な入れ知恵をしたせいではありませんか」

「それにしても、リトク様の担当はソッチョル殿のはずなのに、どうしてヒョオルがリトク王子様とお近づきになれたのか」

「ええい、それは私の台詞だ。あやつ、私を差し置いて勝手なことをしおって」

 ソッチョルは、主を奪われたようにも思えて、悔しがっていた。

「とにかく、このようなご命令はとても受け入れられません。王様に抗議しましょう」

 料理人たちは息巻いた。キョンセは皆を率いて、王の執務室へ向かった。

 彼らに同調しない者も、少数ではあるが、いた。その一人であったホンガルは、なんだかまずいことになるのではと、ヒョオルの姿を探していた。

 そのヒョオルはマショクの住まいで、リトクを招いて、肉のつみれを披露していた。

「食べた感じは、鶏肉とか豚肉とかとさほど変わらないようだが」

「はい。これは鼠の肉です」

 ヒョオルは堂々と答えた。

「鼠は宮中にもいます。清掃の部署の者たちが罠を仕掛けて捕まえております。それを調理したのでございます」

「鼠なんて!」

 マショクはびっくりして食べかけたつみれを吐き出そうとした。リトクはそれをなだめるように肩を撫でた。

「やめなさい。今は国中で食べ物が無くて皆困っているのだ。鼠の肉でもこうしておいしくしてくれたのだから、吐き出したりしてはいけないよ」

 そう言われると、不味かったわけではないので、マショクはごくりと飲み込んだ。

「なるほど。鼠は害獣であるから捕まえて殺しているが、それもこうして食料になりうるのだな。それに肉には違いないから、それなりに栄養もあるのだろうな」

「はい。故郷では植物から取れる食材はありましたが、肉はめったに口にできませんでした。川も海も遠く、魚もなかったので、鼠が手に入ると食卓に並んでいました。他にも(いなご)や蝉の幼虫なんかも食べることがありました」

 ヒョオルの故郷の貧しい人々にとっては当然だったが、王子にとっては驚くべきことだったらしい。貧しい暮らしが思いがけず役に立った。

 ヒョオルがマショクの部屋を退出し、厨房へ戻る途中ホンガルに会った。

「王様が、お前が王子様にお作りしたみたいな、普段食べないような物の調理法とか、そういうのをまとめた書物を作るよう命令を出したんだが、それに反対する料理人が多くて、料理長様が引き連れて、王様に直訴しに行ったぜ」

「直訴? 王様の所へか」

「そうなんだ。重臣でもない俺たち料理人がそんな畏れ多いことをするなんて。それにしてもあいつらは、お前がリトク王子様に余計なことを吹き込んだって怒ってるみたいだったぞ。特にソッチョル殿はお前がリトク様に取り入ったって思っているみたいだった」

 マショクに木の皮を出したのは、己が知りえる飢えをしのぐ技を披露すれば、必ず注目されると思っていたからだ。たまたまリトクが訪問していたことにより、思惑通り王にまでその話が届いた。

 だから、これに他の料理人たちが反対するのも予想はできていた。ただ、王に直訴するとは思っていなかった。

(だが、これはこれでいいかもしれないな。民を救いたくても次の手がない王は、命令を取り下げるわけがない。キョンセは王から信頼されているから直訴なんて大胆な行動に出たのだろうが、そのせいで王から疎まれるかもしれないな)

 王の執務室へ向かった料理人たちは、部屋の前に(ひざまず)いて、一斉に中へ呼びかけた。

「王様、こたびの命令は『建穏院(ケヨンウォン)』として受け入れることはできません。なにとぞ、お取下げ下さいませ」

 執務室の中で少数の重臣たちと、飢饉への対応を講じていた王はその声を聞き、外へ出た。

「お前たち、何のつもりだ。料理人風情が王様に意見するとはどういう了見だ」

 重臣の一人が料理人たちを叱責した。しかしキョンセは堂々と答えた。

「我々は王様の無茶なご命令をお取下げいただきたく集ったのです。あのご命令は料理人の本分から大きく外れています。『建穏院(ケヨンウォン)』の長として、それを受け入れることはできません」

 他の料理人たちも唱和した。

 まさか彼らがここまで強く反対するとは。しかもキョンセが彼らを引き連れてくるとは思っていなかった王は、しばし途方に暮れて跪く料理人たちを眺めた。
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