第九章 殺人 第八話
文字数 2,966文字
白い壁と朱塗りの柱、青黒い瓦が彩る建物の間を、頭にお団子を二つ載せた娘二人が、鼠のように走っていた。そろって緑色の上着に黄土色の裳をはいている。
二人は建物の間を縫うように進み、少し開けた区画の前で止まった。
建物を一辺として四角く囲まれたそこには、彼女たちと同じ服装の女たちが大勢整列していた。
「どうしよう、司女官 様に怒られる」
「あんたのせいよ、上着を出し忘れたんだから」
「私は決められた通りにしたわ、洗濯が遅かったのが悪いのよ」
二人は入り口の壁に張り付いて、そっと中をのぞき見ていた。
「どうしたの?」
不意に後ろから声をかかる、二人は飛び上がらんばかりに驚いた。上役の司女官 に見つかったと思ったのである。だが振り向くと、そこにいたのは司女官ではなかった。
「サユさん」
二人は縋るようにその人物の名を呼んだ。
彼女は若草色の上着に黄土色の裳を履いていた。髪はふたりと同じように頭上で二つの団子にまとめていたが、その根元にごく質素な、水牛の角で作られた簪 が刺さっていた。柔和な細面で、なるほど二人が助けを求めたくなるのがよくわかる。
二人の様子を見て、どういうわけなのかピンときたサユは自分の後についてくるよう指示して、門をくぐり抜けた。
「サユ、間に合ったか」
女官たちの前に立っていた中年の女が笑みを浮かべて声をかけた。紫の上着に濃い緑の裳をはき、頭上の団子は三つあり、銀の簪を飾っている。
「その二人は?」
サユの後ろに従う二人をみとめて厳しい顔つきになる。
「はい、賜室 様のお食事に使う大皿が、どういうわけか食器庫の奥の方へ紛れてしまっていて、通りかかった二人に探してもらっていたのです」
直前まで、王の側室である賜室 の食事を作っていたサユは、遅刻した二人をかばってやった。
「そうか。お前たちも早く列に並びなさい」
二人は頭を下げて、すぐに同じ衣をまとった女官の列に加わった。自らの位置へ移動するサユへの感謝の目配せも忘れない。サユはそれを微かな笑みで返した。
サユは衣服の色が違う上役たちの後ろ、ほかの女官の前に並んだ。
「遅刻した者を庇うなんて、お優しいのね、人気取りのつもり」
隣から棘のある言葉が飛んでくる。同い年のカルマだ。
「そんなつもりは。仕事始めの日に司女官 様の雷が落ちるのは、見たくないでしょう」
その司女官 が歩き出し、列が動き始めた。サユとカルマは話すのをやめて前の人物の後ろに付いて歩む。
広場いっぱいに並んでいた女官たちは、端から順番四列になり、長い隊列を作って、カクカクと曲がる建物の間の道を歩いてゆく。さほど歩かぬうちに、もう一つの広場に出た。そこには既に多くの男たちが並んでいた。
彼らの先頭に立っているのは、紫の服を着た料理長だ。居並ぶ男たちは皆、宮中で働く料理人だった。
ここは料理人が出仕する『健穏院 』だ。宮中には様々な部署があり、それぞれに名前がついている。
今日は新しい料理人を迎えるため、『健穏院 』に属する料理人、そして女官が一堂に会したのだ。
「今年はどんな方たちかしら」
女官たちは怒られない程度にそっとささやきや目配せを交わして、新たな料理人の到着を待った。
ほどなくして、一人の役付きの料理人を先導として、真新しい若草色の衣服を身にまとった男たちが整列してやってきた。その先頭にはヒョオルがいた。
「あの者は『教味院 』ではなく、民間出身者ではないですか。なぜ主席の位置にいるのです」
料理長キョンセの後ろに控えていた役付の料理人が、ヒョオルの姿を見て驚いて尋ねる。
「なぜかと言われてもな。『教味院 』の合格者と登用試験合格者の点数を見比べた結果、一番高い点だったのが、あの者だからなのだが」
登用試験を主席で通ったヒョオルは、なんと『教味院 』から宮中に上がる料理人の誰よりも高い点を取っていた。
歩く位置と、後ろから少なからず送られる嫉妬の視線で、自ずとそのことを理解したヒョオルは、珍しくその顔に微笑をたたえていた。だが合格して満足しているわけではない。ここでどれだけ上り詰めるか、早くこの若草色の衣を浅葱色に換え、いつかは紫に換えたいと、尽きぬ野心を燃やしていた。
その紫の衣の料理長が、一列に整列した新人の前に進み出た。
「諸君は王様の名のもとに行われた厳正なる試験において、宮中の厨房に相応しいと認められた。その自信と誇りを胸に、今日よりこの王宮で励んでもらいたい。
王宮は政 の中心であり、この国の根幹である。諸君も料理という職能でもって、このサハネ国を支える気概を持ち、常にその技術と知識を存分に発揮しなくてはいけない。そのためには、常に技術の向上に努め、積極的に学び新たな知識を増やす努力怠ってはならない。外の料亭や屋敷にいた頃とは違い、重責が伴うのが宮中の料理人だ。
その重責に耐え、ともに末永く国を支えたいと願っている」
夢にまで見た宮中であっても、誰もが終生ここで料理をするわけではない。宮中勤めをして箔が付いたならと、もともと仕えていた屋敷や勤めていた料亭から呼び戻され、それに応じる者もあるし、宮中を息苦しく感じ、自ら去る者もいる。とんでもない失敗をして追い出される者もあれば、罪に問われて殺される者も。とにかく長く勤めるのは普通の料亭や貴民 の屋敷よりも困難な場所なのだ。
料理長からの言葉はそれで終わった。次に新人の配属先を告げるべく、役付きの料理人が前に進み出た。先ほどヒョオルが首席であることに驚いた者だ。
「私はこの『建穏院 』において、人事を司るジュ・ソッチョルである。それではこれから、新人諸君の配属先を通達する」
ソッチョルは紙を両手で掲げて読み上げた。
「料理人ピョク・ヒョオルは『奥秘 厨房』へ配属とする」
宮廷の料理人が所属するのはこの『健穏院 』だが、ここはいわば中央詰所であり、広い王宮のいたるところに厨房が設えられている。例えば王が住まう王宮殿のそばには王専用の『聖 厨房』、王宮や都の警備をする兵士たちの訓練場や詰所のそばには彼らのための『勇栄 厨房』という具合だ。料理人と女官はそれぞれに振り分けられ、そこで日常の業務に当たる。『奥秘 厨房』というのは、王妃をはじめとする後宮の女人たちのための厨房である。
それに続いて、次席以下の新人の配属先が読み上げられる。
「続いて、料理人の配置を発表する」
毎年新人の配置と合わせて、今の料理人の配置と役職も発表される。これまでの功績によって昇進したり重要な厨房に移動したり、逆に失敗を理由に降格されたり左遷されたりするから、料理人はみな緊張した面持ちで発表を聞いていた。
それから、女官の列から司女官 が進み出て、女官の配置も発表した。彼女らの大半も、少しでも良い厨房へ配属されたいと願っていた。ただし、その良い厨房というのは、仕事が楽だとか、彼女たちが寝起きする後宮から近いだとか、そういった場所だ。
その大半に入らない者もいる。あのサユと、彼女に嫌味を言ったカルマだ。二人は技能女官といって、料理人の補佐や雑用をこなす普通の女官と違い、料理人と同じように調理をする。
「料理女官サユ、『奥秘 厨房』三ノ賜室 様付きとする」
去年から三ノ賜室 の料理を任されているサユは、配置が変わらなかったので、ほっと緊張を解いた。
二人は建物の間を縫うように進み、少し開けた区画の前で止まった。
建物を一辺として四角く囲まれたそこには、彼女たちと同じ服装の女たちが大勢整列していた。
「どうしよう、
「あんたのせいよ、上着を出し忘れたんだから」
「私は決められた通りにしたわ、洗濯が遅かったのが悪いのよ」
二人は入り口の壁に張り付いて、そっと中をのぞき見ていた。
「どうしたの?」
不意に後ろから声をかかる、二人は飛び上がらんばかりに驚いた。上役の
「サユさん」
二人は縋るようにその人物の名を呼んだ。
彼女は若草色の上着に黄土色の裳を履いていた。髪はふたりと同じように頭上で二つの団子にまとめていたが、その根元にごく質素な、水牛の角で作られた
二人の様子を見て、どういうわけなのかピンときたサユは自分の後についてくるよう指示して、門をくぐり抜けた。
「サユ、間に合ったか」
女官たちの前に立っていた中年の女が笑みを浮かべて声をかけた。紫の上着に濃い緑の裳をはき、頭上の団子は三つあり、銀の簪を飾っている。
「その二人は?」
サユの後ろに従う二人をみとめて厳しい顔つきになる。
「はい、
直前まで、王の側室である
「そうか。お前たちも早く列に並びなさい」
二人は頭を下げて、すぐに同じ衣をまとった女官の列に加わった。自らの位置へ移動するサユへの感謝の目配せも忘れない。サユはそれを微かな笑みで返した。
サユは衣服の色が違う上役たちの後ろ、ほかの女官の前に並んだ。
「遅刻した者を庇うなんて、お優しいのね、人気取りのつもり」
隣から棘のある言葉が飛んでくる。同い年のカルマだ。
「そんなつもりは。仕事始めの日に
その
広場いっぱいに並んでいた女官たちは、端から順番四列になり、長い隊列を作って、カクカクと曲がる建物の間の道を歩いてゆく。さほど歩かぬうちに、もう一つの広場に出た。そこには既に多くの男たちが並んでいた。
彼らの先頭に立っているのは、紫の服を着た料理長だ。居並ぶ男たちは皆、宮中で働く料理人だった。
ここは料理人が出仕する『
今日は新しい料理人を迎えるため、『
「今年はどんな方たちかしら」
女官たちは怒られない程度にそっとささやきや目配せを交わして、新たな料理人の到着を待った。
ほどなくして、一人の役付きの料理人を先導として、真新しい若草色の衣服を身にまとった男たちが整列してやってきた。その先頭にはヒョオルがいた。
「あの者は『
料理長キョンセの後ろに控えていた役付の料理人が、ヒョオルの姿を見て驚いて尋ねる。
「なぜかと言われてもな。『
登用試験を主席で通ったヒョオルは、なんと『
歩く位置と、後ろから少なからず送られる嫉妬の視線で、自ずとそのことを理解したヒョオルは、珍しくその顔に微笑をたたえていた。だが合格して満足しているわけではない。ここでどれだけ上り詰めるか、早くこの若草色の衣を浅葱色に換え、いつかは紫に換えたいと、尽きぬ野心を燃やしていた。
その紫の衣の料理長が、一列に整列した新人の前に進み出た。
「諸君は王様の名のもとに行われた厳正なる試験において、宮中の厨房に相応しいと認められた。その自信と誇りを胸に、今日よりこの王宮で励んでもらいたい。
王宮は
その重責に耐え、ともに末永く国を支えたいと願っている」
夢にまで見た宮中であっても、誰もが終生ここで料理をするわけではない。宮中勤めをして箔が付いたならと、もともと仕えていた屋敷や勤めていた料亭から呼び戻され、それに応じる者もあるし、宮中を息苦しく感じ、自ら去る者もいる。とんでもない失敗をして追い出される者もあれば、罪に問われて殺される者も。とにかく長く勤めるのは普通の料亭や
料理長からの言葉はそれで終わった。次に新人の配属先を告げるべく、役付きの料理人が前に進み出た。先ほどヒョオルが首席であることに驚いた者だ。
「私はこの『
ソッチョルは紙を両手で掲げて読み上げた。
「料理人ピョク・ヒョオルは『
宮廷の料理人が所属するのはこの『
それに続いて、次席以下の新人の配属先が読み上げられる。
「続いて、料理人の配置を発表する」
毎年新人の配置と合わせて、今の料理人の配置と役職も発表される。これまでの功績によって昇進したり重要な厨房に移動したり、逆に失敗を理由に降格されたり左遷されたりするから、料理人はみな緊張した面持ちで発表を聞いていた。
それから、女官の列から
その大半に入らない者もいる。あのサユと、彼女に嫌味を言ったカルマだ。二人は技能女官といって、料理人の補佐や雑用をこなす普通の女官と違い、料理人と同じように調理をする。
「料理女官サユ、『
去年から