第十二章 異国の木  第七話

文字数 2,956文字

 サユが焼き饅頭(ジャンジュドナ)の白菜の餡を作っていると、小ぶりな片手鍋を持ったマァヤと、蓋つきの木の器を両手に持ったクムナがやってきた。

「あら、二人ともどうしたの」

「『雑吏(ソギ)厨房』の食事は味気なくて、上の女官様たちのお食べになる食事を、ちょっと味見に来たんです」

「もう、食べる事ばかり考えていないで、ちゃんと仕事なさい」

 そこでサユはふと、ヒョオルがどう過ごしているか尋ねた。器の一件を知っているから、不遇の中の彼が気がかかりだったのだ。

「今はとっても張り切って仕事をしていらっしゃいますよ。おかげで、私たちはこうやって、いろんな厨房からおこぼれを集めて回る役回りになったんです」

 マァヤは鍋をちょっと持ち上げて見せた。サユは彼女の言う意味がよくわからなかった。

「今日からこうやって他の厨房を回って、少しずつ料理を分けてもらって、それを雑吏(ソギ)達に出すことになったんです。ほら、どこの厨房でも、料理を作って盛りつけたら、鍋や窯の中に少し余るじゃないですか。具はすべてさらって汁物の汁だけ残るとか。そういうものは、その厨房の担当者の食事になることもありますけど、量が少なければ捨ててしまうでしょう」

 一人分になるかならないかの余りを捨てることはよくある。また、菜膳(さいぜん)などに使う

だけが余ったり、飾り切りを失敗した野菜を仕方なく捨てることもあった。今サユが作っている焼き饅頭(ジャンジュドナ)も、餡だけ残ってしまったり、実際に食べる分より余分に包んでしまうこともよくあった。

 また、宮中の献立は食べる人間の健康を考慮したりして、融通が利かないことが多い。位の高い人間の食事であればあるほどその傾向は強かった。少し余らせたから、明日の食事の足しに出すなどということはできず、捨ててしまうのはしょっちゅうだった。

「なるほど。これまで『雑吏(ソギ)厨房』では分配される食材では足りず、菜園や農場で食材を無心していたんですものね。考え方を変えて、完成した料理の余りを集めることにした。賢いヒョオルさんらしいわ。でも、どうしてそんなことを思いついたのかしら」

「菜園の雑吏(ソギ)のまとめ役が病気で倒れたんですよ。なんでもその場に王様がいらっしゃって、大騒ぎになったんですって。雑吏(ソギ)の不健康は料理人のせいだ、なんて責められたらたまったものじゃないですから、それで思いついたんじゃないでしょうか」

「そう、王様が。では料理人が何もしないわけにはいかないわね」

 王がなぜ菜園にいたのかはわからないが、ヒョオルがなにやら重大な事件に巻き込まれているのではと、サユはふと心配になった。

(時間がある時に様子を見に行ってみましょう)

 サユはそう決めて、クムナの持っていた器に、余りそうな焼き饅頭(ジャンジュドナ)の餡を少し分けてやった。

 こうして、雑吏(ソギ)厨房には食材と作りかけの料理、そして完成した料理が少しずつ集まった。前者は配分された食材と組み合わせたりして『雑吏(ソギ)厨房』の料理人がきちんと料理として完成させた。しかし、それぞれが少量なので、一人か二人分のいろいろな料理が沢山出来上がる格好となった。

 ヒョオルはそれを一人分ずつ器に盛って、雑吏(ソギ)達に見える所にずらりと並べた。

「そちら側ではいつも通り粥と漬物、炒め物を全員に渡してやれ、それからここにある料理は、雑吏(ソギ)達に選ばせる」

「選ばせるって、勝手に取らせるのか」

「はい。一人一皿、早い者勝ちです」

「そんなことして、あいつら喧嘩しねぇかな」

 ホンガルの心配は杞憂だった。彼らは普段は口にできない見るからにおいしそうな料理に驚きつつ、早い者勝ちと知ると、先を争って一番食べでのありそうなものを取ろうと列に並んだ。そこで誰が先だとか多少の言い争いはあったが、深刻な喧嘩に発展することなく、みな子供のようにうきうきと皿を取って食卓についた。こんなに楽し気な食事時はここでは珍しいものだった。

 あの日、王に食事の改善を宣言すると、すぐに食材の問題を指摘された。

「各厨房への食材の配分はお前が好き勝手できるものではあるまい。それでどうやって食事を変えるというのだ」

 ヒョオルはかねてより考えていた事を話した。それが各厨房から余った料理をかき集めるという方法だった。

「配分される食材は量としては足りています。我々料理人も、健康に害となるものが無いよう気を付けています。しかしどうしても食材や味付けが同じようなものばかりになってしまうのです。ですので、少しでもいつもと違う食材を使った料理や、違う味の料理を口に入れることが肝要なのです」

 当然、王は医者でも料理人でもないので、ヒョオルの語る方法が正しいかはわからない。それでも彼の言い分を吟味して、ゾラをこのまま主治医に任せるか、ヒョオルに任せるかを決めなければならない。

 今日初めて言葉を交わした料理人よりは、長年仕えている医官の方が信頼できる。通常であれば王は迷いなくヒョオルの提案を却下していただろう。

 だが今回、事態は少々複雑である。ゾラ自身が仕事へ戻りたいと言い、そうしなければタミュンの木は枯れてしまうかもしれない。だから心を悩ませ、散策がてら菜園へ赴き、気晴らしをしていたのである。

「……ゾラもタミュンの木も、必ず救えるというのだな」

 王は念を押した。

「木はゾラが必ず救ってくれましょう。私はそのゾラを救います」

 ヒョオルは言い切った。これでゾラを戻してもらい、彼の病を軽くすることで手柄を挙げる。それがヒョオルの狙いだった。

 そして王はとうとうゾラを仕事に戻すことに決めたのだった。

 そのゾラは今日も少々遅れて厨房へやってきた。

「お前はこれだ」

 いつものように配膳を受けようとしていたゾラに、ヒョオルは盆を差し出した。ゾラは盆を支える手の主が誰かを知ると、ぎくりと硬直した。毒で殺そうとした相手なのだから、顔色が変わって当然だ。

 ヒョオルのほうはというと、彼の狼狽えるさまを面白がるように口の端を上げていた。ゾラは動揺を仏頂面で包み隠して、盆を受け取った

 ゾラのためにヒョオルは特別に料理を作っていた。くず野菜をどうにか綺麗な形に整えて蒸し、酢で合えて上から胡麻を振った野菜の酢和え(ソジャエソルチル)。茶を混ぜた炊き込み飯(ソルハン)、それに他の厨房から分けてもらった、魚のすり身の蒸し団子(チュギュモットク)

 その他の雑吏(ソギ)と違い、彼は大きく健康を損ねているから特に気をつけなければ病を改善させることはできなかった。虚血は塩や醤油などを多く取りすぎると起きるので、この料理には一切塩を使わなかった。

 ゾラは不機嫌そうな顔をしながら料理を口に運んだ。いつもと同じように箸は進まず、半分とちょっとを食べたところで、また仕事へ戻ろうとした。

 ヒョオルは厨房から出てきて、その手を掴んで行かせなかった。

「食事が終わるまで仕事にもどるな。王様からのご命令だぞ」

 王からそう言付かっていると伝えると、ゾラは渋々椅子に戻って食事を続けた。

 この料理人が何をしようとしているかは、王から聞かされていた。食事で病を治すつもりなのだろう。

(なぜそんな出しゃばりを)

 毒入りの梅の実を食べずに生きていたことも、恐れ多くも王にそんな大胆な提案をしてゾラを助けるようなことをしたのも、全てが理解できなかった。

 それを説明するつもりなのだろうか。仕事中のゾラのもとにヒョオルが姿を現した。
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