第二十五章 ガド豆  第七話

文字数 2,917文字

 親衛隊長は、それこそジャビが王子であったころから実直で真面目な人柄で知られていた。女官二人が首をかしげるように、突然息子に便宜を図ろうとするとは考えにくい。第一、もしカンビを除きたいなら、人事異動でもなんでもすればいいのだ。自分が長を務める部署なのだからある程度好きにできるはずなのに、わざわざヒョオルを巻き込む必要はない。

(きっと、ヒョオルが仕掛けた陰謀だ。親衛隊長は気に入らない武官を更迭するために贈賄をでっち上げたと疑われている。親衛隊長は否定しているそうだから、尚更、陥れられた可能性が高い)

 そうジャビは予想していた。そして予想が正しければ、親衛隊長はこのまま排除されてしまう。

(ヒョオルの狙いは何だろうか。親衛隊長が邪魔だったのか? いや、あの者は陰謀でヒョオルと敵対するような男ではないし、王様と同じでヒョオルを信頼していた。ならば、カンビの方か。奴をどうしても高い地位に据えたいのだろうか)

 いずれにしても、ガド豆不作の原因究明の陰に埋もれているこの事件を、注視しておく必要がある。そう思っていると、ちょうどジャビが当直の時、王が散策にやってきた。

 こういう時、王は心静かに過ごしたいので、役人や料理人は呼ばれていないなら挨拶をしたり案内をしなくてよいのが暗黙の了解になっていた。それにジャビにとっては万が一素性がばれてはいけないため、また個人的な感情があるため、余り王と顔を合わせたくない。

 だが、今はそうは言っていられなかった。詰所の窓から王の足元を照らす提灯の灯りをみとめると、ジャビは自らも小さな手燭を持って外へ出た。

 宮中へ上がってから、王は度々菜園で料理人ヒョオルと会っていると知った。もちろん彼が料理長になってからは回数は減ったが、それでも雑吏(ソギ)ゾラとはよく顔を合わせているらしい。

 ジャビがこっそりと王の後をつけていくと、一行はタミュンの木の前で足を止めた。側付きの者たちは木から少し離れた所に待機した。その中に親衛隊長はいない。そして木の側に立っていたのはヒョオルだった。きっと目下の事件について話すつもりだと、ジャビは可能な限り近付いて聞き耳を立てた。

「王様、この度の事件について、私も色々と調べてみましたが、親衛隊長様がご自身の息子を北門部隊長としたかったため、カンビ殿を更迭しようと、贈賄の罪をでっち上げたということのようです。私がその相手に選ばれたのは、単純に王様と近しく力があると思われていることと、王様がここまで目をかけてくださっているがために、同じくお側に侍る親衛隊長様の妬みを買った故だと考えられます」

「そうか……。あの親衛隊長が息子のために不正を犯し、妬みで人を陥れるとは、どうにも現実と思えぬが……」

「私も同感です。しかし、親子の情は時に人を狂わすもの。親が子を想う気持ちは尚更です。王様もご存じでしょう」

「うむ……」

 リトクとマショクを生かそうと、キョンセを事件の首謀者に仕立て上げたことがある王には、その言葉が沁みた。

「王様、親衛隊長には処罰が必要です。彼が私とカンビを陥れようとしたのは、残念ながら事実なのですから。

 もちろん、親衛隊長は長年仕えてきて何の落ち度もありませんでしたので、王様があの者を厳正に処罰できないのは理解します。その埋め合わせと言っては何ですが、彼の子息を北門守備隊長にしてやりましょう。親衛隊長は職を解いて蟄居とすればよろしいかと。子息が高い地位についていれば、親衛隊長の生活も安泰でしょうから」

 この案は王の心に適っていた。それに、自身を陥れた相手を許すことで、ヒョオルの度量が広いように見せかけてもいる。

「そうだな。それが一番丸く収まる。今はまだガド豆の不作の原因がわからず、民も不安がっている時だ。あまり事を荒立てぬ方が良いしな。ところで、親衛隊長の子息を北門守備隊長にするのはいいが、カンビはどうするのだ」

「空いているのは親衛隊長の席ですから、彼をそこに据えるのがいいでしょう。守備隊長から親衛隊長に出世するのは珍しくありませんし、陥れられた彼を慰撫しなくては、親衛隊長の処罰へ不平を鳴らすかもしれません。丸く収めるというならば、彼を引き上げるのが妥当ではないでしょうか」

 王もこの事件を通じてカンビという人間を知ったが、親衛隊長と比べると、その人物は劣って見えた。しかしヒョオルの言う通り、彼を新たな親衛隊長とし、今の親衛隊長の息子を北門守備隊長にするのが、円満な解決だった。王はヒョオルの進言を容れた。

(やはり、ヒョオルはカンビという人間をどうしても親衛隊長にしたかったのだな。ということは、この陰謀は最初からそのために画策されたのだろう。親衛隊長が哀れだ。蟄居して果たして命が無事かどうか。その息子もろとも、口封じに殺される可能性もある)

 ジャビは彼らに同情したが、彼らを救ってやろうとは思わなかった。これは宮中に上がってから訪れたヒョオルを倒す機会である。他の人間を気にかける余裕はないのだ。

 カンビという男とヒョオルは結託していたはずだ。ヒョオルではなくカンビを攻めるべきだ。そう考えたジャビは、次にマァヤとクムナに会った時、カンビはどういう人物か訊ねた。

「普通の武官様ですよ。でも他の隊長様とかみたいな威厳はあんまりないですね」

「上の方に媚びへつらうようなところがあります。反対に下の方を軽んじるところも。私はあまり良い方だと思えません」

 この話を聞く限り、カンビは大した人間ではない。必ず陰謀の証拠を残してしまっているはずだ。

 ジャビは表向きは静かに業務にいそしんでいるように見せて、頭の中でカンビに探りを入れる算段を練った。


 一方、ガド豆の不作の原因は、まだ解明されていなかった。

 ガド豆を別の場所や日当たりのいい場所に移動させたり、水害のあった地域から持ってきた苗を宮中に植えかえてみたり、その逆をしたり、あれこれと畑の環境を変えて試してみた。もちろん、土を掘り返して一匙ずつ紙の上に広げて、これまで見たことがない害虫がいないかも調べたが、まったく見つからなかった。

 ゾラがタミュンの木の世話をしていると、そこにハンユンがやってきた。

「ゾラさん、ガド豆ですが……」

 彼はおずおずと話した。ゾラは頷いて先を促した。

「ここ数日観察していて、思ったことがあるのです。ですがこれははっきりした根拠もなく、荒唐無稽な話になるのですが、それでも言っていいでしょうか?」

 また頷いて先を促す。

「ゾラさんが持って帰ってきた水害のあった地域の土は、宮中のガド豆畑の土とよく似ていました。宮中の畑は水害に巻き込まれていないのにです。宮中の苗と水害地域から持って帰ってきた苗の土をそれぞれ交換してみましたが、まったく変化が見られませんでした。これも、宮中の土と水害のあった地域の土が同じ状態であることを現しています。つまり、水害は関係ないのではないかと。

 私たちはガド豆を植え換えて様々な条件のもとで観察していますが、その中で宮中の全く新しい土に植えたものが、わずかですが、元気になってきているようなのです」

「本当か」

 ゾラは期待を込めて言った。
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