第二十四章 出会い  第七話

文字数 3,003文字

 リトクはとりあえず海岸の洞窟に身を隠していた。トックはごみを処理した後、二人でこっそりそこへ向かった。

「着の身着のままで逃げ出されたとは、おいたわしい限りです。おまけにこんなひどい火傷まで」

 洞窟の中で提灯の灯りを頼りに改めてリトクの顔を見たトックは、さぞ痛むだろうと涙を流した。また母親譲りで色が白く、気品のある整った容貌が大きく損なわれたことが、惜しくもあった。

「顔は自分でやった」

 あっさりとリトクは告白した。

「どうしてそんなことを」

「リトク王子はあの火事で死んだ。誰もがそう思っているのに、リトク王子と同じ顔をした人間が生きていたらまずいだろう」

 そこでトックは初めて、彼が火事を利用して、捕らわれ人の立場から逃げ出したのだとわかった。そしてこれからはまったく別の人間として生きるつもりなのだとも。そのために自らの顔を焼くとは、なんて強い覚悟だろう。

「見張りの兵士は先に殺されていたらしい。だからそのうちの一人と衣服を交換し、私の死体に見せかけた。だが兵士の人数を数えられたら露見してしまうかもしれない。だからまだ油断はならない。しばらくはここに隠れているつもりだ。刺客の目が完全に離れ、私も動けるようになったなら、次の行動に移る」

 トックは洞窟に正座して、協力を惜しまないと言った。

 火事の後始末が終わったあと、トックが現場に出向くと、兵士たちはまんまとリトクが偽装した遺体に騙されて、リトクが死んだと思い込んでいるようだった。兵士の数が合わないと気が付いた者もいたが、きっと瓦礫の下敷きになって遺体が残らなかったのではないかと、そういう理由づけがされていた。

 そもそも火事の原因はリトクの失火ということになっていた。都の役所と違い、事件を精査する能力が低かったことが幸いした。

 トックは何食わぬ顔で仕事をしながら、密かにリトクを助けた。前のように食堂の余り物を持って行ってやったり、兵士の衣服を着ていては良くないと、自分の着替えを貸し与えたりしてやった。

 それから、リトクと再会した翌日の朝、盛大に湯を腕にかけて火傷した。医者から火傷の薬をもらう時、少ないと心もとないとか、なんとか難癖をつけて多く処方してもらい、リトクの顔にも塗った。

「火傷に効く薬草はハンバルとグシュだ。私が探しに行けたらいいのだが」

 医学の知識を学んでいたから、リトクは薬草のことがわかる。トックも多少は知っていたが、直接食事とかかわるもの以外はおざなりだった。

「では、私が探してきて、薬を作りましょう」

 トックは朝仕事が始まる前に山菜を摂る山で薬草を探し、店主が寝静まったあとの厨房で煮込んで膏薬を作り、リトクに渡した。こうして薬を塗り、包帯をして過ごしたから、焼けただれた皮膚は少しづつ再生した。ただ、醜い跡が残り、依然の貴公子然とした面影は全く消えてなくなった。

 こうして一ヶ月が過ぎた。おそらくもう刺客は現れないだろう。そう判断したリトクは、ある日トックに願い出た。

「トック、いや、師匠。私をあなたの弟子にしてください」

 突然王子に敬語を使われ、その上弟子にしてほしいなどと言われ、トックは慌てた。もちろんリトクにも考えがあってのことだった。

「ヒョオルと戦うには、宮中へ入らなくてはいけません。その方法はいくつかありますが、登用試験を受けて官吏になるには、貴民(シャノル)の身分が必要です。私は過去に勉学を治めてきましたから、これが一番手っ取り早い方法ですが、何者でもなくなった私が、貴民(シャノル)になることは叶いません。

 その他に、雑吏(ソギ)として宮中に上がることもできますが、雑吏(ソギ)は常に募集があるわけではないですし、下働き同然ですから、料理長たるヒョオルを糾弾することなど、とても無理でしょう。

 宦官になるのも手ですが、宮中の宦官は幼い頃に集められ去勢と教育を受けるので、私では年齢が行き過ぎています。

 このように、今挙げた方法では宮中へ入ることはできません。そこで、料理人として宮中へ上がることを考え付いたのです。

 料理人であれば、都の料亭で働き、『教味院(キョニウォン)』に入って王宮へ入ることも、料理人登用試験を受けて民間から宮中へ入ることもできます。これが一番可能性が高いと思いませんか」

「そうですが、でも『建穏院(ケヨンウォン)』の料理長はヒョオルですよ。危険ではないですか?」

「だからこそです。危険を冒さなければ彼を倒すことはできません。近くに潜み、機を伺い一気に倒す。こうでなくてはなりません」

 己の顔を焼いた人間が言うのだから説得力がある。実際、リトクの両目には固い決意が現れている。

「料理人も、子供の頃から味覚を養い、技術を磨いてなるものです。今から始めて、宮中へ上がるほどの力を持つとなると、それは並大抵の事ではありませんよ」

 そんな覚悟はとうにできているだろうが、トックは一応念を押した。リトクは力強く頷き、再度頭を下げて頼んだ。

「わかりました。私では力不足かもしれませんが、持てる知識と技術を全てお教えします」

 共にヒョオルを倒すと誓ったのだから、トックもついに腹を決めた。リトクは何度も礼を言った。

 ともあれまずは、リトクを洞窟から出さなくてはいけない。二人は知恵を絞り、幼くして死んだトックの従兄弟の名を借りて、リトクが彼に成りすますことにした。従兄弟の名はジャビ。庶民によくある名前で、リトクとはかけ離れた響きだ。ジャビは幼い頃に火傷を負ったため容貌が醜く、働き口が見つからない、だから両親が罪を犯して宮中を追放されたトックに押し付けてきた、という筋書きにする。

 ジャビは数日後、いきなり訪ねてきたふうを装って横道食堂へ現れた。トックは迷惑そうなそぶりを見せつつも、肉親であるから冷たくあしらえないと、店主夫婦にしばらく置いてくれるよう頼んだ。二人は受け入れてくれた。

 ジャビはきびきびとよく働き、また昔ヒョオルから学んだ料理の知識も披露し、店主夫婦に見せた。二人は感心して、これなら長く働いてくれて構わないと言うようになった。

「私は料理人の家系に生まれて、罪こそ犯しましたが、身分は職民(ヨノル)のままで、料理人としての職も失っていません。しかしもう、妻をめとることは叶わないでしょう。ですからあの子を養子として私の跡を継がせたいのです。彼は料理人の子ではありませんが、容貌のせいで皆から冷たく扱われているのは不憫ですし、私がどうにか救ってやりたい」

 というトックの申し出も、家系の事に口出しはしないと、すんなり受け入れられた。

 トックとジャビは早速役所に行って、手続きをした。通行手形、身分証などはリトクが上手く偽装したので、役人たちを騙せた。トックの親戚が住んでいるのがここから遠い土地だったのも幸いした。近ければ役所同士連携を取って身元を調べてしまうからだ。

 予想していたよりすんなりと、ジャビは料理人の養子となった。

 そこからジャビの修行が始まった。朝早く起きて水汲みをしたり、山菜を取りに行ったり、鍋や皿を洗ったり、およそ王子の生活では体験しなかった労働ばかりで、最初は疲れが顔に出ていた。しかし慣れてくるとむしろ表情は生き生きとして、楽しんでいるようでもあった。飾り切りなどの技巧も、熱心に練習し、次から次へと習得していった。

 食材についての知識などは、元々の優秀さを発揮して知識を増やしていき、一年後にはトックも負けるほどになった。
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