第二十一章 料理長  第八話

文字数 3,012文字

「非常にあっさりとしているが、一体どういう工夫がされているのか」

 王に訊ねられて、ヒョオルは待っていたと言わんばかりに答えた。

「先の王様は脂っこい料理を避けていたというのは知っておりましたので、牛肉は蒸して油を落としたものを使っております。また葱や生姜だけでなく、柔らかく煮た豆を潰して入れておりますので、肉の分量は少ないのです。味付けも、濃い調味料で餡を煮込まずに、極力薄味にして、別に合わせた調味料を具材にかけて混ぜ合わせています。饅頭の皮も薄く作り、油に浮かべてあげるのではなく、少ない油で揚げ焼きしました。また、紙で表面の脂をよく吸い取っております」

 王も、側で競い合いを見阿もってきた宦官や女官も、ヒョオルを支持する料理人たちもなるほどと頷いた。

「また、豆腐の黒酢かけ(エッタソルウォ)の黒酢は油をゆるくする効能がありますので、工夫を凝らしても油が多いことは否めない揚げ饅頭を安心してお召し上がりいただけます。擂り野菜の汁物(チュソジャタン)は、なるべく旬の野菜を使って、お体に優しく、野菜本来の味が感じられるようにしております。よく()り潰して滑らかな口当たりにし、出汁を多めにしてさらりと飲めるようにしてあります。

 器は淡い色で絵付けのされたものを選びました。優し色合いの方がお忙しい先王様のお心が和むと思いまして。模様については、豆腐の黒酢かけ(エッタソルウォ)の入った器は野辺の草花を描いており、目に華やかで癒されるような絵付けになっております。汁物の器は鳥が描かれておりますが、これには飛翔、飛躍の意味がありますが、もう一つ自由・開放の意味もあります。日々政務に終われる先王様も、お食事のときにはお気を休められますよう願いました。揚げ饅頭の器は曲線が幾重にも重なっており、これは在位が長く続くことを願っております」

 今回は宴料理ではないこともあり、自慢の飾り切りの腕を披露する料理が一つもなかったが、それでもこれだけの工夫を詰め込み、王を唸らせたのだった。

「それにしても、一つ疑問がある。いろいろ工夫をして、油の多い食事を制限されていた先王様に合うように牛肉の揚げ饅頭(テンラムパンジュドナ)を作ったのは素晴らしいが、そもそもなぜこの料理にこだわったのだ? 他に油の少ない料理は沢山あるのだから、わざわざ手間をかけて牛肉の揚げ饅頭(テンラムパンジュドナ)を作る必要はなかったのではないか」

 確かに、他の料理を選べば、わざわざ本来の調理方法とは異なる工夫をする手間が省けるし、ものによっては飾り切りの腕を披露することができたかもしれない。

「一つは、健康のために食材や調理法を制限しますと、お召し上がりになれる料理が少なくなってしまいます。それでは食事を楽しめません。常にこの国を導く重責を負うお立場ゆえ、日々心労の絶えないことでありましょう。唯一の気晴らしといえば、菜園や庭園を散策するくらいです。なのでお食事をより楽しんでもらうことで、少しでもお気持ちを晴らしていただければと、本来は避けるべき料理も工夫してお出ししようと考えました」

 料理人として立派ではあるが、ここまでは、他の者でも言えたであろう。もちろんんヒョオルが述べる理由はこれに留まらなかった。むしろこれから話す部分が主たる理由であった。

「それと、牛肉の揚げ饅頭(テンラムパンジュドナ)は、まだ王子であらせられた王様が、先王様の誕生日に初めての贈り物として送った料理で、王様とご一緒にお召し上がりになったと聞き及びました。ご子息からの初めての贈り物だったので、先王様は殊更お喜びで、ご一緒に召しあがったことも良い思い出として深くお心に刻まれていたようです。その後はこの料理を食べるたびに、そのことを口にしていらしたと、当時のお付きの者から聞きました。

 そのような思い出の料理たれば、こたびの競い合いにうってつけだと思い選びました。また思い出深いお料理をお体のためとはいえ我慢しなくてはいけないのはお辛いでしょうから、何とか工夫してお召し上がりになれるようにいたしました」

 これは、ヒョオルがサユに調べさせたことだった。それを聞くと、王は思わず涙ぐんだ。

「そうだ。そうであったな。幼い余は父上のお好みの料理をお付きの者に訊ね、その中から牛肉の揚げ饅頭(テンラムチャンジュドナ)を選んだのだった。実はそれはお付きの者の挙げた中で余が一番好きな料理で、己の好きなものをお贈りするのが一番と思ってのことだった。膳を持って父上をお尋ねしたとき、とてもやさしく微笑まれて、一緒に食したのだった。

 余が長じるにつれて、国を統べるためにと厳しく導いてくださることが多くなったので、あのように親子として屈託なく笑い合ったのは、あの幼い日が最後かもしれない」

 しみじみと語る王の言葉に、お付きの者たちももらい泣きした。競い合いを見守っていた料理人や女官たちも、しんみりと聞いていた。

 王は思い出を噛みしめながら、もう少しヒョオルの料理を食べた。そしてようやく涙が収まると、最後の評定を始めた。

「四人とも、それぞれ見事な料理であった。いずれもその技量は料理長たるに不足はない。しかし『建穏院(ケヨンウォン)』の長の座は一つだけだ。ゆえに中でも最も優れた者を選ぶ。

 此度の競い合いでは、その技量だけでなく、料理長としての誠実さ、責任感と倫理観、そして民への心遣いに重きを置いてきた。そうした心映えと技量で最も優れていたのは、ピョク・ヒョオルである」

 見物の料理人たちの視線が一気にヒョオルに集まった。

「ピョク・ヒョオルは最初の課題の食材選びでは、自身の利害を度外視して、最も公平な方法を提案し、誠実さを示した。そして食材の良し悪しに左右されない高い腕前を披露した。

 次の課題では民の年齢や性別に合わせて、貧しい食材であっても工夫した雑炊を作り、より多くの民に行き渡るよう大人と子供で量を変えた。一人一人の民の健康を気にかけ、また多くの民を救おうという真心が現れていた。

 そして最後の課題では、先王の健康や食の好みだけでなく、そのお心にも配慮し献立を決めた。そして細かい工夫をして先王様のお喜びになるであろう膳を作りあげた。

 三つの課題全てで、優れた才能を発揮していたピョク・ヒョオルこそが新たな料理長に相応しい料理人だ」

 ヒョオルは深々と頭を下げて、王の言葉を受けた。

 最後に残っていた他の者たちも、同じようにしてその結果を受け入れた。彼らは悔しさを感じないではなかったが、重責を担うことにならずほっとしてもいた。

「すごい。流石はヒョオルさんだ」

「当り前だろ。俺は最初からヒョオルが勝つってわかってたぜ」

 トックとホンガルは小声でそんなことを言い合った。少数のヒョオルの支持者は、彼らと同様にこの結果を喜んでいた。

 一方、他の料理人たちは不満を顔に表していた。特にヒョオルを妨害していた者たちは、苦々しい顔をしていた。

 顔を挙げたヒョオルは、至極厳粛な面持ちで口を開いた。

「不肖のわたくしには過分なお褒めのお言葉、恐悦至極でございます。このような若輩者が料理長の地位をいただくのは畏れ多い事ですが、王様が自らが、我らの能力を試したうえでお決めになったことですので、お言葉に従い、務めを果たしたいと思います」

 王は満足そうに微笑んで、その場に集まった者たちに向かって宣言した。

「今この瞬間から、ピョク・ヒョオルが『建穏院(ケヨンウォン)』長となる。みな礼を尽くし、敬意を持って新たな料理長に仕えるように」

 料理人と女官たちは深く頭を下げてその命に服した。
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