第一章 新しい使用人  第ニ話

文字数 2,978文字

 皿に載せられていた時は香ばしく食欲をそそった姿が、ベシャリと床の上に落ちると、なんとも汚らしく見える。料理そのものは何も変わっていないのに、不思議なことである。

 ヒョオルが呆然として哀れな肉と野菜を見つめていると、少年はまた手を伸ばし、今度はお盆ごとひっくり返した。碗の中の粥も、野菜の和え物も、無残に床に散らばった。

「ちょっと顔が良いからって、お嬢様に気に入られて付け上がるなよ。お前なんか何もできない役立たずなんだからな」

 少年はヒョオルをにらみつけた。

「おい、新入りに当たるなよ。お嬢様もただの気まぐれで言っただけだ」

 年上のが宥めにかかるが、少年は怒気を引っ込めない。

「俺よりお利口なんだったら、俺たちが仕事を終えて帰ってくるまでに、それをどうにかしておけよ」

 少年は無残に散らばった食器と料理を指差して言うと、踵を返して出て行ってしまった。もう一人は直ぐにその背を追って出て行った。年上の少年だけが後に残り、やれやれといった様子でヒョオルと床を見て、直ぐに片付けにかかった。

「雑巾でも持ってきてやるから、ちょっと待ってろよ」

 手際よく食器を盆の上に載せて、少年は出て行った。ヒョオルは再び一人取り残された。

 炒められた肉は粥と野菜の和え物と交じり合って、さらに見苦しくなっている。それを見つめながら、ヒョオルはなぜ怒りを向けられたのか考えた。

 彼は、先ほどヒョオルが幼い娘、つまりお嬢様に褒められたのが気に食わなかったようだった。最後の発言の内容からして、彼がお嬢様の言っていたパオなのだろう。三人はお嬢様の兄である若様に付いている使用人らしい。残りのうちどちらがゴンリョルでどちらがジヤなのかは定かではないが、若様が最初に名前を挙げたことから、年長なのがゴンリョルだろう。

 使用人というのは、別に容姿端麗である必要はない。だが奥様が言っていたように、他所の家への使いや、来客があった時食事の給仕、客の世話をするのは、見目の良い者にやらせる傾向が強い。主人一家それぞれの側仕(そばづか)えにしても、ただの使用人ではなく、顔がいいとか、仕事ができるとか、他と比べて秀でた者をつけるのが慣例だった。

 なるほど、確かにパオは丸い瞳がかわいらしい子供ではあった。だが、お嬢様のちょっとした言葉を気にして、新入りの、しかも年下に八つ当たりするとは心が狭い。

(ちいさいやつだ。本当に俺より馬鹿かもしれないな)

 あんなことをするような輩は、うまく立ち回って自らを有能に見せるのに長けていたり、上の人に取り入るのがうまかったりするだけで、実は大したことはないのだ。そういう人は故郷では目にしなかったが、直感でそう思った。

 それにしても、彼に何か悪事を働いたわけではないのに、いきなり悪意を向けられ、腹が立たないわけがない。おまけに食事まで台無しにされた。家を出てからずっと空腹を抱えていたというのに。

(あいつめ、覚えておけよ)

 その決意を表すかのように、ヒョオルは床に転げた肉を摘まみ上げ口に入れた。最初は粥と和え物の味が混じっていたが、噛んでいると次第に口の中に肉の味が広がった。

 皿の上にあろうが床の上にあろうが、味は変わらない。それと同じように、嫉妬で弱いものいじめをするような奴は、取り繕ってもその本質は変わらないのだ。すぐに仕事を覚えて追い落としてやる。

 ゴンリョルが戻ってきて、一緒に後片付けをしてくれた。その時には、口の中の肉と共に、パオへの怒りなどは全て腹の中に納めていたので、ゴンリョルはヒョオルに十分同情してくれた。


 翌日からヒョオルは色々な仕事をした。水汲みや薪割り、屋敷の修繕、馬や鳥の世話、厠の掃除。まだ子供なので、屋敷の中の掃除や洗濯など、女たちの仕事を手伝わされる事もあった。

 ヒョオルは手伝う先から仕事を覚えただけでなく、屋敷の部屋の配置や屋敷の人の顔と名前まで、すぐに覚えてしまった。そして、誰がどのような立場で、力があるのかないのかなども、数日間ですっかり把握してしまった。どうやらお嬢様は人を見る目があるらしい。

 屋敷の暮らしにも慣れてきたある日、ヒョオルは他の子供たちと一緒に赤い色紙を折って花の形にしていた。これは祝いの時に家のあちこちに飾り付ける物だ。なんでも、今日は旦那様の誕生日で、遠方から親戚やら知人やらが祝いに集まるらしい。

「ヒョオル上手ね」

 普段お嬢様の遊び相手をしている少女が、ヒョオルの手の中の花を見て言った。彼は昔から手先が器用で、実家でも草鞋や筵を編ませたら、誰よりも早く、美しく、その上丈夫に仕上げることができた。

 四角い紙に十字の線が出るよう折り、それを更に三角に折り、一度開いて折り目に合わせて四つ角を折る。こうやって折りすすめてゆくと、丸い花の形になる。この作り方は今日初めて習ったが、二、三個造るうちにすっかり手順を覚えてしまった。他の者が一つ仕上げる間に、ヒョオルは二つ目に取りかるほど早く、そして出来上がりは花びらの形が綺麗に揃っていた。

「飾り花なんて、年に何回かしか作らないだろう。それがうまいからって何にもならないさ」

 使用人同士の会話とはいえ、ヒョオルが褒められてパオは不機嫌だった。パオの飾り花もよくできてはいたが、丁寧に作ると作業が遅くなり、ヒョオルのように素早く美しく作る事はできなかった。

「さっさと手を動かせよ。お屋敷中飾るには、これじゃ足りない」

 ヒョオルは仕返しにちくりと言ってやった。パオも憎まれ口を叩いたが、それ以降は黙々と花を折っていた。さすがに、いつも癇癪(かんしゃく)を起こすというわけではないようだ。

 そこへ表のほうから奥様の声が近づいてきた。皆作業を中断し、立ち上がって迎える。

 奥様は若様と、掃除をしていた使用人の女たちを引き連れていた。女たちは俯いて、顔色は暗い。
 皆の前に来ると、奥様は後ろについてきた一人に、水を張った鍋を持ってこさせ、連れてきた中年の女を塀の前に立たせ、それを掲げ持たせた。

「この者は主の持ち物を壊した。罰として日が落ちるまで、ここでこうしていなさい」

「奥様、まだ昼前です。日が落ちるまでとは時間が長すぎます」

 他の女が罰を減らしてやって欲しいと訴えた。だが、奥様は聞く耳を持たない。

「厳しくせねば、使用人たちの気が緩むのだ」

「母上、この者もわざとやったのではありません。もとはといえば、私がしっかり片付けなかったのが悪いのです」

 若様のとりなしで、奥様も気が静まったようだ。時間は夕刻までに縮められた。

「私が見ていないからと、鍋を下ろしてはならない。他の者も、しかと見張っていなさい」

 奥様は厳しく言い渡して、若様を連れて部屋へ戻っていった。何事かと女たちに尋ねれば、あの使用人が若様の部屋を掃除している時、お気に入りの筆を踏んで、折ってしまったのだそうだ。

 使用人に不手際や失敗があった場合、屋敷の主は好きに罰する事ができた。何をしたらどんな罰があると決まっているわけではなく、主人一家のさじ加減なので、たまったものではない。

 今日は旦那様の誕生日であるから、あれこれ差配しなくてはいけない奥様は気が立っていたのだろう。こんな日に何かしでかしたら酷い目に遭う。子供たちが肝を冷やして作業を再開させた時、今度は厨房から人が出てきて、彼らを呼ばわった。
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