第二十二章 使節団  第二話

文字数 2,915文字

 新たな側室誕生を阻止したことをタンモンは大いに褒めた。後宮の問題は王の家庭のことであって、王妃の後ろ盾である重臣といえども、強く意見できないところがある。ヒョオルがうまくとりなして、新王妃の不利益を避けてくれるのは非常に得難いことであった。

 だからこそただの料理人だったヒョオルと結託したのだ。トンジュと同じく、彼もヒョオルを見込んだ自分の目を誇っていた。

 そういうタンモンの期待に応えるべく、ヒョオルは更に王に進言した。

「思いますに、後宮の、ひいては王室の問題は、きちんとした世継ぎがいないことではないでしょうか。新しい賜室(ししつ)を王様に推挙した者は、自分の派閥の家門からご側室を出し、その女人が男児を産んだらあわよくば次の王にと、そういう下心が全くなかったとは言い切れません。そういう欲によって後宮が乱れ、以前のような争いが起きることを恐れて、私は反対したのですが。はっきりと王様のお口からお世継ぎを決めておしまいになれば、重臣たちもめったに野心を持たないでしょうし、新たな女人が後宮に上がってお子を産んでも波乱は起きないでしょう。

 王様のお気持ちはわかります。ファマ王子様はまだ幼いですし、遠くへ行ってしまった王子様たちへの情もあって、お世継ぎのことを考えられないのでしょう。しかし、二人の王子様が宮中を追われることになった事件も、前の王妃様と王女様の争いも、すべては世継ぎの座をめぐって起きたこと。今後王様がお心安らかに過ごすためにも、ここでファマ様を世継ぎと定めてしまった方がよいかと思われます」

 王のことを思っての進言と見せかけて、完全に新王妃と経市派(プリョルネ)を、ひいては自分を利するためだった。しかし役者のようなヒョオルに王はまんまと乗せられてしまう。

 こうして、吉日を選んでファマを王太子に冊立することとなった。当然、朝廷からは反対の声が上がった。まだ幼すぎるのが主な理由だった。

 しかし王は立太子を強行した。それで唯一手元に残った息子を守れると固く信じていたからだ。

「ついにファマが王太子になる。こればかりはもっと先になると思っていたが、こんなに早くにとはな。ヒョオル、手柄だぞ。これで私も正真正銘の王妃となる。私を侮る輩もいなくなるだろう」

 新王妃は即位してからというもの、ずっと“新”王妃と呼ばれていることが不満だった。今の王には新王妃の前に二人も王妃がいたので、皆最初の王妃を前王妃、その次の王妃を王妃、そして今の王妃を新王妃と呼んで区別していたのだ。特別深い意味があるわけではない。単純にややこしいからにすぎないが、彼女はずっと王妃と認められないとへそを曲げていた。

 ファマはついに東宮殿へ住まうことになった。幼い王子は引っ越しの意味も良くわからずに、忙しく動く女官や宦官の側で無心に遊んでいた。

 そんな彼が儀礼用の思い衣装を身に着けて、よちよち歩きで現れた時、王の頭には一瞬不安と後悔がよぎったが、これも息子と後宮の秩序を守るためと思い直して、満面の笑みでやってきた新王妃とともに儀式の間に姿を現した。

 重臣たちが傅き、王の辞令が代読され、ファマが女官や宦官に教えられながら宣旨を受け取ると、臣下たちは声をそろえて王太子へ祝福の言葉を述べた。

「王太子殿下の長久なることを願います。創母(そうぼ)のご加護があらんことを!」

 その言葉は宮中を飛び越えて、都で暮らす民にも届くかのようだった。

 その声が聞こえたのかもしれない。数日後、国境にイシュル国皇帝からの書簡が届いた。伝令が馬を飛ばして都へ届くと、宮中は騒然となった。

「イシュル国の使節団がやってくる」

 来訪の理由は、両国の協力関係の確認と、サハネ国の内政の安定を確かめるため、とある。

 王太子冊立を祝福する文字がないあたり、イシュル国はファマが王太子となることをあまり歓迎していないと見える。その上両国の協力関係の確認とは、何かしらサハネ国に要求をしてくるつもりらしい。

 イシュル国は大国である。文明も文化も軍事も、周辺国のどこよりも発展し、その国力で周囲を威圧している。国境を接するサハネ国に対しても友好と称して内政干渉や貿易上の不平等な取り決めを強要してくることがあった。だから使節団が来るとなると、機嫌を損ねないように歓迎し、それでいてサハネ国の利益を損なわぬよう慎重な外交を行う。

 今回は特にイシュル国はご機嫌がよろしくないようだ。重臣たちは戦々恐々とした。

 特に外交を担う『照路院(ファボクウォン)』の官吏たちは慌てた。ここ数年政争が多く、この部署の人事もコロコロ変わり、経験豊富な者がいなくなってしまっていた。いつも通り当たり障りなく対応するだけなら彼らでも何となるのだが、王太子について文句を言ってくることが予想されるし、イシュル国は今まさに北方で戦争をしているから、戦争への協力を求められるに違いない。今後のサハネ国の未来を左右しかねない重要局面を乗り切れるか自信がなかった。

 王にしても今回の施設来訪には不穏な予感しかなく、非常に不安だった。そんな時、ふと、数年前に官職を退いたある重臣の事を思い出した。

「ムク・ユガを呼び戻そうと思う」

 ムク・ユガは先王の代から『照路院(ファボクウォン)』に出仕した外交の重鎮であった。高齢を理由に数年前に後進に道を譲った。彼は尊国派(タンゾンネ)といって、サハネ国の富国強兵を追求し、他国に依存せず独立した大国を目指す政治思想の持ち主だ。愛国心が強くイシュル国に対しても強気に渡り合ってきた。このような時に頼りがいのある人間だ。

 タンモンは外交については門外漢であったし、尊国派(タンゾンネ)はさほど大きな派閥ではないので、彼一人が戻ったところで経市派(プリョルネ)を脅かすには至らないだろうと、特に反対はしなかった。他の重臣たちも同じだった。

 すぐに王からの書簡がユガの元へ届けられた。

 王への忠誠心が強いユガは、二つ返事で引き受けると、すぐさま官服を引っ張り出して、輿を急がせて宮廷へ向かった。

 王は朝議のあと数人の重臣を集めて使節団への対応を協議していた。扉を開いて颯爽と入ってきたユガは、しっかりと根を張った大樹のような声で宣言した。

「王様、久方ぶりでございます。この労骨を思い出していただき、頼っていただけるとは望外の幸せ。王様のため、そしてこの国のため、骨身を惜しまず働く所存でございます。
 イシュル国の使節団来訪については聞き及んでおります。このわたくしがいるからには、王太子殿下のことも、戦争協力も、外国の思うままにはさせません」

 髪は真っ白で、顔には幾重にもしわが刻まれているが、背筋は伸びて、足取りもしっかりとしている。頼もしいその姿に王も重臣たちも勇気づけられた。王はすぐに『照路院(ファボクウォン)』の長官の上に、臨時の外交長官という官位を設けて、それに任命した。

 ユガはそのまま会議に参加し、てきぱきと方針を決めた。そして古巣の『照路院(ファボクウォン)』へ足を運んだ。官吏たちは重鎮の帰還を派閥を超えて喜び迎えた。

 しかし、その時のユガはなぜか厳しい表情をしていた。引退した自分が出てこなくてはいけない後進たちの体たらくに腹を立てているのもあったが、それ以外に彼を不機嫌にさせている要因があるようだった。
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